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洗練




わたしは「有り難がり」なので、本を読んで感動した箇所に出会うとやたらメモを取るタイプである。


そして、そのフレーズをどこにメモしたのか、出典が何なのか、そういうことをすぐに失念して、いろいろなところを探しまわるタイプでもある。

また、ほとんどの時はメモしただけで満足してしまい、メモの存在自体を忘れてしまう、そういうタイプでもある。



「物が思考の影響を受ければうけるほど、人生の細部は高貴に、洗練され、偉大になる」

というバルザックの言葉は、なぜかメールボックスの中に保存されていた。
誰かに送るつもりだったのか?送りつけられる相手には迷惑なハナシである。


このバルザックの言葉を引っ張りだしてきたのは、キッチンの床大掃除をしていたからだ。

わが家のキッチンは目の粗い石製で、台所の脂汚れ、土足生活ゆえの汚れ、犬の毛などが目地の中にしつこく堆積し、家中で最も掃除が厄介なパートである。
お手伝いさんにも時々細部掃除を頼むのだが、時間の不足や、してくれたとしても清潔感覚のずれなどが浮上してきてすっきりすることがない。
家のことをするのが大好きで、フローリングを洗うのは朝飯前に、のドメスティックな夫も「あなたがそこまですることはないでしょう」と言ってやってくれない。

で、わたしがやるのである。
クレンザーと古い歯ブラシで。


わたしは掃除が全くできない人間だが、やり始めるととことんやってしまう性分でもある。そして一度達成したらメインテナンスができない。とことん汚れたときにとことん掃除...そういう循環でしかできない。
もしわが家の手入れが行き届いているように見えるのならば、それはつい前日、家の中が崩壊寸前であったことを意味する。


で、バルザック...でしたな。


床を拭く姿が美しくないといけない、それが洗練である、という躾をしてくれたのは祖母であった。

だから、ジューシーのジャージを着てヤンキー座り(古っ)で目地をゴシゴシしていても、気持ちだけは縁側をぞうきんで拭き上げる着物姿の自分である(着物姿で拭き掃除謎したことはないが)。
自分の姿は棚にあげ、祖母や、幸田文の姿を思い浮かべながら、近いうちに娘にもこの所作を教えなくては、とメモ(笑)をとるのであった。

妄想の中では、わたしも娘も着物を着て、たすきがけをして微笑みながら黒光りする床を拭いている。


こうしてわたしの人生の細部は洗練されて行くのだ...ああステキ...もちろん妄想の中だけだけど(笑)。



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