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Brugge Style
わたしが激しく欠いているもの
親友のKが、わたしのブログには
レストラン、パーティー、旅行記、買い物、そして夫の仕事のネタ
以上が欠けていると言った。
そして「そういうことに関してめっちゃネタあるんとちゃうの?」と。
おお、さすがK。
わたしはまさに意図的にこれらのネタを極力使わないことにしているのである。
(反対にわたしが無意識に書いていないネタとは何だろう。わたしの抑圧された欲望。トラウマ。)
なぜならば、これらはイベント自体に華があるので、わたしの文章能力が完敗してしまい、「何月何日どこそこに行った。誰々が来ていて、何々が旨かった。すごくかわいかった。おもしろかった。すごく楽しかった。」という小学生の作文になってしまうからだ。
自分の整理のできていない言葉や昔話を垂れ流しするよりも、小学生の作文を書いて公表する方が恥ずかしいと感じるわたしの公共心とはいったいどんなレベルなのかと思ってしまうが、そういう風に感じるのである。
そこでちょっと考えてみた。
たぶん、わたしは「生きる」ことには希望はほとんどないが、「生き直す」ことの方には希望があると思っているのだ。
レストランで旨いものを食ったり、ブランドものを買うことには(めっちゃ楽しいけど)希望はない。しかし「生き直す」ことには希望がある。少なくともわたしのような出来の悪い人間にとっては。だからわたしには無数の小説が、詩が、音楽が、ダンスが、絵画が、必要なのである。
ああ、何かワケのわからないことを言っている自分。
いっつもね。
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