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Brugge Style
qutb
ナタリア・オシポヴァ(Natalia Osipova)のソロ公演をサドラーズで見た。
Sidi Larbi Cherkaoui Qutb
Russell Maliphant Silent Echo
Arthur Pita Run Mary Run
10月の追加公演のチケットも取れ、感想はそのときにと思ったのだが、昨日ネットで偶然この写真を見つけて感動したので書きたくなった。
すばらしくないですか、この写真。
ダンサーはもちろん、こんな瞬間を切り取ることができる写真家の眼。
James O’Hara, Natalia Osipova and Jason Kittelberger in Sidi Larbi Cherkaoui’s Qutb © Dave Morgan
げ、げ、げいじゅつ。
これぞ、げいじゅつ。
で、ですね...
この日の午前中は、大英博物館で公開中のSunken Cities「沈める都市」展も訪れた。
エジプトはアレキサンドリア沖で発見されつつある古代エジプトの都市についての、ものすごーく興味深い展示。
中でも「オシリス神の神秘」(Mysteries of Osiris)と呼ばれる、死と再生の儀式についての解明はすばらしかった。
ごく簡単に説明すると、一年のうちに訪れる自然の「死と再生」のサイクル(エジプトでは特にナイル川の氾濫と作物の再生)を擬人化した類感呪術の儀式だ。
それらを見ているうちに、芸術というのは、現実にはありえないシーンを切り取って提示する行為でもあるのかも...と思ったのだ。
現実にはありえないシーンというのは、神の世界での出来事であったり、この世ならば、特に時間と空間を無視した奇跡的な一瞬などのことだ。それをどのように切り取るかによって、呪術になったり、のちには古典派とか、印象派とか、キュビズムとか名付けられる。いかがでしょう、違うかなあ...
われわれ人間には、「ああ、神がかりだったらありそうなシーンだよね」などと、経験したこともないのにそう思える瞬間や感情ってありますよね?
ちなみにQutbというのはアラビア語でピボットという意味であり、また、「完全な人間」をも意味するそうだ(ウィキペディア先生、ありがとう)。
実際にはありえない「完璧なる人間」...
それを表現する芸術...
Silent EchoはQutbよりさらによかった。
芝居色の強いRun Mary Runもよかった。もっとドロドロな熱情の表現があればさらによいと思ったが。
今から10月の追加公演も楽しみ。
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