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昨日ナイジェリアで




能天気で単純、深く考えることが苦手なので、落ち込んだりすることはあまりない。

が、正直、昨夜はかなり参っていた。
娘からのメッセージにも返信できないほどだった。


BBCニュースは毎晩見るのだが、見るたびに腹が立つ。

昨夜は、ナイジェリアで病院と学校が襲われ、身代金目当てで小さい子供や生徒が「また」誘拐されたというニュースがきっかけで息苦しくなった。比喩ではない。身体に来た。誘拐された子供の親の気持ちに比べたら糸くずほどの息苦しさだろうが。


今日から少し時間を遡っても、キプロス島の山火事、静岡の土石流、新疆ウイグルをめぐってユニクロが仏当局に調査され、北米大陸西部では気温が50度手前まで上昇し、新型コロナ禍での東京オリンピックを中止することすらできない。

毎年山火事が起こり、台風やハリケーンは大型化し、土地は砂漠化し、子供は飢え、人は奴隷以下の扱いを受け、未知のウイルスとの遭遇でパンデミックが起こり、それでも恵まれた人たちは、この世にあるもの全てに値段をつけて最後の最後まで儲けようと鼻息も荒い。

気候変動と、富の超二極化。


わたしが、資本主義は限界だと言うと、「貧しくなってもいいのか」「自由がなくなってもいいのか」という反応が返ってきたりする。
(もちろん、『聖なる天蓋』(バーガー)としての資本主義をいくら責めても、自分の無能が免責されるわけではないが)

ここには誤解がある。資本主義でなければ共産主義(あるいは封建主義とか)、という一択しかないわけではない。
わたしはみんなで貧しく不自由になろうと言っているのではなく、みんなで豊かに自由になろう、と言いたいのである。

例えばいい食事ができなくなったり、快適な家に住めなくなったり、好きなことに熱中したり社会参加する自由時間がなくなるのでは意味がない。誰でもアクセスできる社会が望ましい。


資本主義はその性質からして、現代が抱える諸問題(環境問題、貧困問題など)を解決できないと分かってきた。
われわれが今まで資本主義を捨てられなかったのは、資本が蓄積され、技術革新され続ければ、「いつかは」豊かな生活ができると思いこまされてきたからにすぎない。今だにグリーンニューディール派なんかはそう言っているが。

また、資本主義は、共産主義など他の主義よりはマシだとも思わされてきた。
評価する面はあるにしても、資本主義では搾取が「グローバルサウス」と「未来へのツケ」など、われわれのいる「中心」からは物理的にも時間的にも遠く離れたところで行われているため、巧妙に隠されているだけとも言える。
奴隷以下の条件で働かされている人と、未来に禍根を残す環境破壊の上にわれわれの快適な生活は成り立っているのだ。


現実は改善されるどころか、地球とグローバルサウスの人々に負荷がかかりすぎている。
投資先を失った資本が利益を出すために人件費を削り、商品作物を生産するためにその土地の人が飢えたり、インフラ例えば水道が民営化されてコロナ禍でも満足に手が洗えなかったり、その暴力的搾取の壮絶さは、新自由主義的な発想で改善するどころの話ではない。その前に人類も地球も滅亡してしまうだろう。

喫緊の課題は2030年までに二酸化炭素排出量を半分、50年までにゼロにする、富の超二極化を是正する...だが、「よりやさしい資本主義」を目指して罪悪感を逃れるだけのSDGs、自己満足だけのグリーンニューディールくらいでは、資本という自己増殖する魔物は止められないと思う。むしろ資本がそれを利用するだけだ。


周知のように去年の世界の富豪トップ2000人の財産は、最貧困層46億人のそれよりも多く、しかも4月から三ヶ月間のコロナ禍だけで、富裕層の資産は27.5%増え、10兆2千億ドル以上に達した、と。10兆ドル!! 

それでも資本主義は自由平等で民主主義的で、マシなシステムだと言えるだろうか。

新自由主義者はイエスと言うだろう。
あるいはスマホを持たされ、ネットに繋がり、デリバリーサービスを受けられることで「豊かだ」と勘違いさせられている人々はそう言うかもしれない。

わたしにはとてもそうは思えない。


「頭の中がお花畑」と非難されるのも折り込み済みだ。
が、資本が蓄積され、技術革新が進められたら、いつかアフリカにも南米にも、英国(<先進国ね)で飢える子供や、日本で暇なく働いても年収は平均以下という人にもマシな社会が到来するだろうという夢ストーリーや、地球の平均気温が3度上がっても技術が進歩するから大丈夫という楽観や、頑張ったら報われる式のネオリベの方がむしろお花畑だと言わざるをえない。
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