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プリマベーラ(春)




特に予定のない日曜日。
青空が広がり、きんと冷えた空気の中に春の光が感じられる。前庭の桜もつぼみを膨らませている。
西ヨーロッパでクロッカスが咲くのももうすぐだ。




先月のフィレンツェで娘が欲しがり、家族でかわるがわる遊びはじめたパズルの続きを(娘はもう大学にもどってしまった)。

とっておきのチョコレートケーキを食べつつ。
スポンジはシフォンケーキ風でふわふわしっとり、チョコレートクリームは砂糖なし、生クリームベルギーのフォンダンのみ。
同じくベルギーで買い込んでくるシロップ漬けチェリーが冷たくジューシーなアクセントに。問答無用。自画自賛。

お茶をいれてパズルなんか始めてしまうとあっという間に時間が経ってしまう。
ふと、「こんな無駄ってある...?!」と我にかえる瞬間もあるのだが、ウフィツィでもっとも興味があるこの絵の細部の細部までじっくり見て観察でき、悪いことばかりではないかも...


しかもパズルのピースがぴったりはまることの快感よ!

この何かが「ぴったりはまる」「絶妙に決まる」快感は、たとえばオーケストラの音がぴったり合うのを身体で感じたり、バレエのパが完璧に整う瞬間、スポーツのゴールやサーブが決まり、数式の完全無欠、そういったものに人間が見出す「美」のひとつで、絶対要素なのかも...などと考えてしまう。


『プリマヴェーラ(春)あるいは春の寓意』サンドロ・ボッティチェッリ1482年頃
テンペラ 203 cm × 314cm ウフィツィ美術館、フィレンツェ


先月のウフィツィもガラガラで、この作品の前が無人になる瞬間さえあった。舐めるようにじっくり見学。飽きない。ほんとうに飽きない。




世界は冬にいったん死に(左端のマーキュリーが象徴)、春に生まれ変わり、より豊かになる(右端の西風の神ゼピュロスが触れると彼の花嫁、ニンフのクロリスが花の女神フローラに変身)。
見守るのはこの園を支配する愛の女神ヴィーナス。
三美神は右から「美」「貞節」「愛」。完璧な美。

三美神。
右の「美」の女神は、中央の「貞節」と左の「愛」を統一して新しい調和をもたらす。
美とは、貞節と愛の結合なのである。

「貞節」は「愛」を拒否しようとするものであり、「愛」は「貞節」を無視しようとするものである。ただ。「美」への憧れに支えられた時にだけ、「愛」と「貞節」は矛盾なく結びつく。
(高階秀爾『ルネサンスの光と陰』355ページ)

ヴィーナスの頭上を飛ぶ彼女の息子:目隠しをされたキューピッド(愛は知性を超える存在であるゆえに目を必要としない。心の目で見る)が、「貞節」に狙いをつけている。「貞節」は「愛」へと循環する。
より高い精神的存在へ自己を高めることこそが愛そのものの至高目的なのである。

「弁証法をこれ以上美しく踊らせる」ことはおそらくできない、と。
繰り返すが完璧な美とはこのこと!!


バレエでこの絵を再現してくれないだろうか。
子供のころ、ワガノワの卒業公演で『三美神』は見た記憶はある...
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