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Brugge Style
aman xvi
かっこいい6人乗りのボートをチャーターしてプライベート・クルーズへ。
しかし、覚悟していなかったことが起こった...
珍しく船酔いしてしまったのだ(笑)。
向こうに見えるのは、シュノーケル・スポットに先に到着していた10人乗りのAman XII。
停泊して、夫と娘は海に飛び込んだものの、わたしはついに海の中へ入れなかった。
...どころか、ルーフトップにも上がれず。上の方が揺れるのは物理の法則である。
クリスタルクリアな水、レース模様のような珊瑚、カラフルな熱帯魚。船上からのぞいても白黒シマシマのや、エレクトリック・ブルーの小さい奴らが泳いでいるのが見える。が、下を向くと胃のあたりがムカムカする。
2人のクルーとおしゃべりして気をまぎらわし、あとはひたすら昼寝。
ピクニック・バスケットの中に入れてくれていた生のジンジャー・ティーは、復活に多少の効果があった。
他には炭酸飲料もいいそうですね。腕のツボも押したりしてみました(笑)。
海上から見たアマンキラ。
夕暮れの海が好き。
夕方は、引潮のプライベート・ビーチで過ごす毎日。
バリ島の火山アグン山の噴火(1963年、4年)の火山砂で黒いビーチだ。
この日も夫と娘はボディ・ボードでアザができるまで遊んだが、わたしはカバナに横臥しているだけで身体が揺れ、本を開いたら文字が踊り出し、船酔いが戻ってきた。
陸酔い、というのですね。
夕食は、毎朝朝食に選ぶインドネシアの鶏肉のお粥、ブブ・アヤンを頼もう...
アマンは80年代後半にアジア人のボヘミアン大富豪により、アクセスの相当悪い、静かで広大な敷地に、優雅なヴィラ形式の客室をわずかに作るというコンセプトで発足した。
彼個人の別荘としての建設が、最初の契機だったそうだが。
30年後の今では、バリ島の山の中のアマンダリ周辺には、他のリゾートホテルやキャンプ場が続々進出し、決して完璧に静かな遠い里ではなくなった。
インドネシアに大小18000もあるという、そのうちの小島しか見えなかったアマンキラの沖には、24年ほど前から石油タンカーや、ロンボク島を結ぶ客船が浮かぶようになり、現実と隣り合わせだ。
しかも、アマン・リゾートのオーナー企業がロシア系になってからは、完成したばかりの高層建築型アマンNY、今後企画のあるLAやマイアミなど、「めちゃくちゃアクセスがいい」場所にも、「ヴィラ形式」ではない高層ビル型を含め、続々ホテルが建設される予定だ。
グローバル化とIT革命は、多国籍企業と金融業界の力をますます大きくし、アマンの核になるコンセプトも失われるのが時代の潮流かとも思われる。まあ「アマンの核」自体が、すでにそういうものの萌芽を含んではいるのだろうけれど...
グローバル企業は、資本を投下する国の経済の発展・維持や、その国内での雇用の創出や、学校や病院などの社会資本の整備、納税を「義務だ」とは考えない。そんなことに金を使っていては国際競争に勝てないからだ。
金になりそうなブランドには資本を投下、最大に増やすことに「だけ」に関心がある(だから最近は新しいレザーのブランドだの、チョコレートだのを販売するようになった)。
また、帝国主義的搾取の問題も気になってしょうがないが...
わたしは今でも長く滞在すればするほどアマンが好きになるのだ。
今はしばしクリス・レアの"On the Beach"でも聞いて、失われた時に思いをはせよう。
夕方、海で遊ぶ人のシルエットを眺めているとぐっとくる。
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