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危機的状況を物語る 『白鳥の湖』
非常事態に陥ったとき、人間はどのように考え、どのように行動して危機を乗り切ろうとするのか。
最後に残される「人間性」とは何か。
気高くなるのか卑しくなるのか、自己犠牲的か利己的にふるまうのか、強くなるのか弱くなるのか。
演劇は常にそういったことをテーマにしている。
危機的状態においては「人間性」がエッセンスになって濃厚に現れるのである。
演劇は平時にそれを見せる機能を持つ。
たとえば演劇性の高いクラシックバレエは、「最も弱い女性」が最も「強く」、愛する男性を救い、世界の秩序を取り戻すという物語を繰り返し伝える。
演劇やバレエなど、危機的状況にはへの突っ張りにもならぬ、という人もいるかもしれないが、人間性の絡みあってほぐせない複雑さに対してもっと理解を深める訓練をしておいてもいいのではないかと思ったりする。
一昨日(10日)はロイヤル・バレエのSwan Lake『白鳥の湖』(オデット・オディールMarianela Nunez、ジークフリード王子Vadim Muntagirov。新型コロナ罹患で2回キャンセルしたMarianela Nunezが復活)だった。
もちろんこれを見るためにベルギーから帰英した。
また素晴らしいものを見てしまった...!!
最初の、オデットが白鳥の姿に変えられてしまう導入部でもう涙涙。
前から7列目と、少々舞台に近すぎではあったものの、前回が15列目で全体が正面から楽しめたのに対し、今回はMarianela Nunezの融通無碍さの細部がよく観察でき、「はっ」という息のような声が何度出そうになったことか。
イデアとしての白鳥はきっとこういう動きをするに違いない。
他にも美しいオデット姫が踊れるダンサーは何人もいるだろうが、こんな細部細部の細部までの動きのできるダンサーは他にいない。
もう他に褒め言葉が見つからないです。
優れた音楽性と、合理的で正確で無駄の全くない動きをしながら、優美で、世界で最も軽くて繊細な物質が動くようだった。天使の羽?
前にも書いたことがある、わたしの「オデット論」では、突然理由もなく身に降りかかる悪によって白鳥に姿を変えられた姫は、年齢に関係なくどこか「老生」「落魄」を感じさせなくてはいけない。
夜にだけ人間の姿に戻れ、呪縛を解くのは永遠の愛によってだけ...そのような愛の訪れを待つオデットは、絶望と希望の間を揺れる長い長い時間をまとっていなければならない。
忘れ去られている姫でなくてはならない。
去年から待ってます、とかじゃ説得性がないのである。
Vadim Muntagirovもこの上なく最高だった。
こちら宣伝バージョン動画を載せておきます。25秒ほどです。
......
9日にBBCのラジオで聞いたニュースによると、英国の某フィルハーモニックが「ウクライナでの状況を鑑み、チャイコフスキーを演目から外した」というのである。
空いた口が塞がらなかった。正気か、ウェールズ・フィルハーモニック!
そんなことを始めたら、当然『白鳥の湖』はもう上演できないし、ロシア人ダンサー、音楽家も排除されてしまうことになり、ロシア料理を出す店も、ラフマニノフを聞くこともできなくなるというのか??
政治的状況を問題にするのなら、チャイコフスキーは帝政ロシアの人物で、現在のロシア連邦とは関係のない「国」の人である上、こういった排除は差別に繋がるから断固やめた方がいいと思う。
トルストイ『戦争と平和』は? あれには侵略者は敗北必須で、侵略戦争に動員される兵士もまた被害者だと書かれているが...
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