日本・ベルギー・英国 喫茶モエ営業中
Brugge Style
シェイクスピアはお好き?

英国BBC放送で、Shakespeare re-toldのシリーズを放映中...
シェイクスピアは本編はもちろん、すでに何度も舞台を近現代に置き換えてre-toldされているが...シェイクスピア好きの末席を汚す者としては、例えばデレク・ジャーマンの「エドワード2世」、よかったなあ。
で、今夜は『マクベス』。
意外と近現代に舞台を移した作品がなく、今夜の放送を楽しみにしていたのである!
感想...良かった。なぜか。この監督、いや、脚本家、柄谷行人の「マクベス論」読んだんとちゃう?
柄谷行人の「マクベス論」を読んで、柄谷ファンになった人は多いだろうが、大学に入りたてのワタクシもその一人だった(笑)。
今、「マクベス論」をひっぱり出してきて、舞台を現代ロンドンの三ツ星レストランに移した今夜のマクベスと比較、う~ん「マクベス論」にあてはめながら人物とシーンをたどって行くと、増々いい出来だったように思える。
ーおそらく”自己”というものがどんな分析をも超出してしまうばかりでなく,他ならぬ自己自身をも拘束し破壊するという事態、存在しないはずのものが存在するばかりでなく、それほどに現実的なものもないというような奇怪な事態の経験である。
(柄谷行人)
かっこいい。
来週は「じゃじゃ馬ならし」だ!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
ROME
英国のドラマ"ROME"。
先週の水曜日は見逃してしまったので、今夜は絶対に再放送を見なければと開始時間30分前から紅茶をセットして待機!シーザーがルビコンを超えてローマに入る直前までのエピソードだった。わくわく。
何がどうしてそんなにおもしろいかというと、今までのローマものドラマや映画に比べて視点が分散しているところだろうか。わたしが一番注目しているのはアッティラ(Polly Walker)。
凝り凝りの装置も興味深し。
塩野七生さん、この番組をご覧になっているだろうか。
あなたとローマ産の葡萄酒でも飲みながら、一緒にこのドラマを見て、あれこれ教えていただくのが、今夜のワタクシの夢です(笑)。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
長靴下のピッピ
ワタクシが子どもの頃、実写版が放映されていて、2歳下の妹が熱狂していたので一緒に見ていた。
子どもの頃はなぜか少女もの、ーーー例えば赤毛のアンや若草物語や小公女などーーーに全く興味がなかく、ピッピにしても「妙な北欧の女の子の話(でもおもしろいやん)」くらいにしか思っていなかった。
今日は娘と一緒にミュージカル版「長靴下のピッピ」を観た。
お話は実写版の方がはるかに質が良くて想像力も逞しい気がしたが、時代と地域を越えて子ども達が喜ぶキャラクターとストーリーが健在というのは、大げさだが人類の一人として素直に嬉しいことである。
主題歌だってワタクシ、まだ歌えるも~ん(笑)。
娘と過ごしていると、自分の過去の人生の折々をもう一度経験するような瞬間があり、ワケの分からない感動がどーっとこみ上げてくる(笑)。
子どもがいる、ということを「特殊な体験化」したくないのだが...
さて欧州の劇場はシーズンが始まっていて、先週はカールマンのオペラ「チャルダッシュの女王」、来週はバレエ「ジゼル」など、ワタクシの劇場ライフ充実の秋冬...そのくらいしか楽しみがないと言っても過言ではないのだが。
この時期、ブルージュへお越しの方は余裕がおありなら劇場を訪れてみられては?他の大都市ほど設備も観客もゴージャスではありませんがね。
(娘の誕生日を前にデジカメが壊れてしまった...。)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
森歩き
森深きヨーロッパ。なんだか素敵なイメージ。
童話の舞台になっては子どもが迷い込み、美しきお姫様が眠る森。「黒い森のケーキ」という名のダーク・チェリーのケーキもあったっけ...
なるほど小人や妖精もこういうところを好んで生息場所にしているんだなあ、と納得してしまうような森がこの辺にもたくさんあり、遠足や休日の目的地として楽しみの場所になっている。
そんな森歩きの必需品は、拾った宝物(松ぼっくり、ドングリ、苔、枝切れ、落ち葉、ベリー等)を入れるビニールの袋、雨にいつ降られるかわからないので、夏でも防水されたウィンドウ・ブレーカーの類い、そして一番大切なのが、ぬかるむ道をどこまでも探検するための長靴。

迷彩柄がさらに素敵だったのに、娘には却下され、この赤を購入。
ほんとにかわいい。
都会暮らしの大人に長靴は必要なかったが、田舎の母親になって、わたしも同じ赤いのが欲しい~。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
百までも
もっと若い頃...
軽い集まりなどで、相手は小難しい(且つ、どうでもいい)話などしたくなかろうに、議論好きであったわたしには聞き捨てならんトピックが出たりして、どんどん抽象的な話に発展していくことがよくあった。
当時のワタクシの”若さ/かわいらしさ/軽さ”に興味を示して寄ってきたと思われる男性も、それで逃げていったケースが多くあり、今考えるとほんと~うに惜しいことをした(笑)。
みなさん、ワタクシの駄法螺(だぼら)につき合わされたりして、お気の毒なことでございました。
最近はずいぶん大人になったので、大風呂敷を広げることも少なくなった。ラヴレターにもニーチェがハイデガーがどうのこうのなどとは書かなくなりましたことよ(笑)。
が、しかし...
友人からメールで日本の現代文化について質問を受け、それに答えるためにかなり熱を入れてしまった。書き終わって爽快、でもふと、「こんな抽象性の高い説明が欲しいわけではないだろうな」と...反省。でもわたしにはやっぱりそのようにしか書けないのでそのまま送信した。
今月、一つ年をとったが、三つ子の魂百までも、なのである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |