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やっぱりわたしは都会が好きだ




ロンドンのような都会が。

年末年始に訪れたばかりのロンドンへまた行ってきた。結婚記念日週間だったので。


それぞれ丸一日、大英博物館とナショナル・ギャラリーで閉館時間まで過ごす。改装されてから充実した飲食施設で何度もお茶をしながら館内をぶらぶらするのはわれわれにとって最もすてきな贅沢である。
ロイヤルバレエのシルビアを見、在ロンドンの友人たちと食事に行き(ボーダーレス化で英国で食べる料理もウマくなった)などし、ありがたい記念日になった。






やはりロンドンは灰色トーン





年末年始のロンドン行きの一番目的は、家事雑用をせずに過ごすことだった。
そして去年からツアー中のツタンカーメン展と、ロイヤルバレエの出し物2つ(くるみとベアトリス・ポッター)を見ること。
それから夫関係のお付き合いがいろいろ。
Spice Girlsのコンサートは史上最も手のかかったポップコンサートだそうで見に行ったが、「ファン?」と聞かれるのが非常に苦痛だった(笑)。
あ、それからソルド。なにしろBottega Venetaのお店が3軒もあるのであるっ!!


以上、最初からここまでがわたしがロンドンが好きな理由の一部である。もちろん自分がプチブル風おのぼりさんであることは重々自覚している。



娘の新学期のため、年が明けてしぶしぶ帰宅したが、まだやりたいことがいっぱいあるなあ...キリはないけどなあ...大都会はええなあ。

と、相方も気持は同じだったようで、結婚記念日を口実に再決行したのだ。
(ロンドンへはユーロスターでブラッセルから1時間51分であるから、タリスでパリに行くより30分遠いだけなのだ)。



ロンドンとパリ、しばしば比較される。
女性は特にパリの方をひいきにしている人が多いが、わたしのトータルスコアではロンドンの方がちょっとだけ勝ち。


そんなことを言いつつもわたしが世界で一番好きなのはおそらく神戸大阪京都トライアングルなのである。ああ、神戸が特急で1時間半であったならば。結婚記念日も神戸で。もちろん。


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あるいはエクリチュールの囚人




ここにブログを書き始めたのは2004年。
年は再びあらたまり、今日はもう2008年。
今後いつまで書くだろうか。


わたしは10代から覚え書きのような雑記を書いていて、ある日ネット上の日記が手軽になったので、親友ととりかわしていたメールのやりとりの一部と合併させてそちらに書くようになった(その日記を4年前にさらにこのブログに移したわけだ)。

海外に住み着いたことで友人たちと延々としゃべり続けるという最も貴重な機会が激減してしまっていたから、この日記/ブログシステムはわたしの需要を少しだけ補うのにぴったりだった。


だから読者としては、わたしのことを実社会で知っている友人をターゲットにしている。
おそらく彼ら彼女らは「Moetが言いそうなこと」とか「Moet が好きそうやねえ」とか「またMoetはアホかいな」などとわたしの表情や声のトーンや、いつも身につけている指輪などを思い浮かべながら読んでくれているのだと...思う(思いたい)。


よく聞かれるので書いておくが、コメント欄やトラックバック、リンクを設けていないのは元々の対象が友人だからであり(メールでやり取り)、今後もハード面でのブログ設定を変える気持はないし、ましてや広告をつけたり、ランキングに参加することもありえないと思う。


しかし、このブログを通じて多くの理知的で生産的で魅力的な方々と知り合えたのも事実であり、感想メールなどをいただくのも身に余る光栄でうれしく、本当本当に有り難いことだと感謝している。




読者は友人、と書いたが、本当のことを言うと第一読者は自分自身なのだ。

わたしにとって日記を書くということは、読んでくれる相手(=自分自身)を想定して書くこと(言語化するとはつまり意識化するということだから)によって、随時「自分」を編み上げていく、という作業である。だから読者としてのわたしが読みたいだろうと、書き手のわたしが推量したことをメインに書いている。

わたしは子どもの頃から自分の中に決して到達することのできない空を抱えていて、隔靴掻痒感ゆえ、それを苦しいと感じていた。だからこそ、こうやって自分についてのオチもない物語を永遠に語り続けるしかないし、それを止めてしまったら、

「わたし」はどうなるのだろう?



時々Moetがここに書いていることが実際の「Moet」像である、と想像なさる方が時々いらっしゃるが、それは違うと思う。それならばこのブログ全体はフィクションである、と考えていただいた方が安全かもしれない。こう書くと「じゃあウソを書いているのか?」と言われそうだが...それも全く違うんだなあ。
このブログはわたしが演じているMoet像のうちのひとつにすぎない。

もう実際わたしにお会い下さらないことには(笑)。


どうぞ今年もよろしくお願いいたします!


合掌。



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小さな世界




毎朝娘を学校へ送り届ける時に通る角に「小さな世界」という名前のついた家がある*。


この家の食卓は窓際にあり、しかもカーテンのかわりに10センチに満たない位の幅のレースを何本か下げているだけなので、ぼんやりと赤い食卓灯を点した室内が外から丸見えなのである。
老夫婦がこの食卓に向ってコーヒーを前にし、新聞や手紙を読んでいる様子がちらっと目に入ってくるのは、ずっと朝の習慣になっていた。


ある朝突然、食卓には1人しかいなかった。
次の日も。
そのまた次の日も。

かなりしばらくしてから「おそらくご亭主は亡くなられたのだろう」というストーリーが頭に浮かんだ。

今朝も食卓には1人だけだった。
でも彼女は以前と同じ場所に同じ状態で座り、コーヒーポットを前に手紙のようなものを読んでいた。


小さな世界の窓は、この世に1つだけ確実なことがあるということを上演している舞台であるかのようだった。


われわれは生きて、死ぬ。












*ブルージュの建物の何割かには名前がついている。例えば「忍耐」(忍耐がキリスト教的美徳だった時代に建ったのか?)、「ガラスの家」(窓ガラスが貴重だった時代に建ったのか?)などなど。わが家に名前はないが、もしわたしが名付けるとしたら日本語で無常庵などと俗悪な名にして、何世紀後かには単にムジョーアンと呼ばれるばかりで何語なのやら意味は何なのやら、失われてしまうようにしたい...


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新年







ロンドンで撮影した写真はどれもこれも灰色トーンばかりだ。
やっと一枚、natural history museumの上に見つけた輝く青空。
この一年、世の中が灰色であっても、できるだけ多くの輝ける瞬間を見つけられることを願いつつ。

あけましておめでとうございます。



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