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湖上の麗人




このような大きな湖でも、ささやかな噴水でも、水辺というのはとても落ち着く。


ヒーバー城のこの湖には白鳥と鴨と雁がいる。もちろんとても人馴れしていて、餌をねだるために寄ってくる。

雁はこの季節の夕方、大群となって南へ向かうのが予報になる英国南部地方だが(ガアガア鳴きながら頭上を渡る鳥の群れはなかなかの光景である)、ここの雁たちはその群れに加わらなくていいのか...
あるいはどこへも行けないように羽が切断されているのか。
(シュトルムの『みずうみ』のエリーザベトのよう)
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hever castle




「城」と呼ぶにはあまりにもこじんまりとしたヒーバー城は、16世紀、アン・ブーリンが幼少期を過ごした城としてとても有名だ。

秋深まるイングランドの日曜日。
テューダー様式の城は小さいが、庭園は広大で、散策を楽しむ子供や犬連れの家族でなかなか賑わっていた。

わたしたちも4時間かけて湖の周りを一周した。




アン・ブーリンは、6回結婚を繰り返したヘンリー八世の2番目の妻で、エリザベス一世の母親である。

歴史を辿っていると、否が応でも歴史に名を残す女性の経歴や肖像に興味が湧いてくる。中でもアン・ブーリンは特別な印象を残す人物だ。

心変わりしたヘンリー八世が彼女を処刑(斬首)したというのも強烈ながら...

まずは彼女と結婚するために、ヘンリー八世は最初の妻、スペイン王女のキャサリン・オブ・アラゴンと離縁せねばならず、離婚には教皇の許可が必要だった。

すったもんだの末、ヘンリーは自分の好きにできるよう、イングランド国内においては国王こそが最高権力者であることを宣言、教皇庁と袂を分つ。
これがきっかけとなり、今も続くイングランド国教会が成立したのである。


王にそこまでさせた女が、たった数年のうちに、男児を産まないことや、贅沢がすぎるだのという難癖をつけられ、最終的には姦通罪や近親相姦や、黒魔術などの理由で斬首される。

あるいはプロテスタントだった彼女は、カトリックとの対立に巻き込まれたのかもしれない。
大きな権力を手にしたブーリン家と対立する他の勢力もあっただろう。

いずれにせよ、処刑の理由の一つは、ヘンリーが再び心変わりして別の女(ジェーン・シーモア)と結婚するために、だ。
今の感覚だとずっこけるしかないのである。




しかもアンの母親や、姉のメアリーもヘンリー八世の愛人であったという説や、アンは容姿ばかりか人柄も目立つところがなかったとか...
容姿はともかく、どこか魅力的なところがなければ王妃になんぞなれないと思うのだが、あまりいい評判は残っていないようである。

しかし何もいい話が残っていないことこそが、彼女が実際どんな人物であったのか、という興味をかき立てる。


ロンドンの地下鉄の駅、チャリング・クロスはナショナル・ポートレイトギャラリーの最寄駅で、構内にはアン・ブーリンの有名な肖像画が描かれている(本物はもちろん美術館に収蔵されている)。
その絵を見れば見るほど、その謎に惹きつけられる。

謎...ヘンリー八世もそれに惹かれたのかもしれない。




外観に比べると内部は驚くほど広い。
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tate britain




もうまたしばらく行かないだろうし、テイト・ブリテンの美しさを少々...




テイト・ブリテンといえばラファエル前派かターナーのコレクションか、ヘンリー・ムーアか。

わたしはラファエル前派もターナーも好きな方のグループには入っていない...しかし、ラファエル前派の精神には共感するところがある。




ピムリコのこの辺りは道をゆく人も少ない。




現在、ロンドンの主な美術館は、訪問希望日時のチケットを事前に押さえておく必要がある。
普段通り、特別展以外は無料である。


いつものように、時間潰しにぶらりと30分だけ好きな絵を見に行くとか、本の中で参照されていた絵を確認しに行くなどはできなくなってしまったものの、このままずっと開いているといいなあ...

昨日書いたことの繰り返しになるが、自分のよく知っている世界の外側に通じる扉というのは、たくさんあればあるほどいいのである。
なければ知らず知らず窒息してしまう。人間も社会も。
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seagram murals は扉のように




フランスには全土に葡萄畑が広がっている...という印象を何週間か前に書いた。

シャトーの窓から、車窓から、中世の城壁から、高台の遺構から、ヴィラのテラスから、散歩途中で。
遅い夜明け、薔薇色の夕暮れ、夜中の月の光、雨の日。

葡萄畑を見ていると、わたしには常にマーク・ロスコ(Mark Rothko)の作品が思い出された。

単純なわたしの脳は、「形状が似ている」「自分と自然が一体化して神聖な気持ちになる」くらいの理由で連想していたにすぎないと思うのだが、気持ちが新鮮なうちにロンドンのテイト・ブリテンにシーグラム壁画Seagram muralsを見に来た。




テイトにあるこの連作は、1958年、ニューヨークのシーグラム・ビル内のレストラン、フォーシーズンズの依頼がきっかけとなって制作された。

ロスコは「レストランの壁」にまとめて展示すれば、絵画と「場」の融合にこだわる自分の意思に反して連作がバラバラにされることなく、常に同じ効果的なセッティングで、理想的な環境で展示され続けるだろうと考えたのだった。

しかし、赤、茶、黒のパレットを使用した作品制作の途上で、レストランの壁にかけるような作品群ではないと判断、契約を破棄する。


レストランの壁にかけてふさわしいくないというのは、ロスコの作品だけがまとめてあるロスコ・ルームに身をおけば理解できる。

彼は作品と鑑賞者の深い精神的つながりを求め、「悲劇、法悦、運命」などをテーマにした。
それらを効果的に展示するためには、ある特定の「場」が必要だった。
彼は一種の聖堂を作り上げようとしたのだった。


ロスコ・ルームは聖堂そのものである。




わたしは宗教建築一般が大好きだ。

というのは、宗教建築は内に閉じているようでいて、常に外の世界に向けて大きく開いているからである。

「外の世界」というのは、もちろんわたしがよく知っているこの世界ではない、別の世のことだ。

人間は自分が使う言語という檻の中に無自覚的に閉じ込められていて、柵の手前までが全世界だと思い込んでいる...
というのは有名哲学者を持ち出さないまでもよく言われることだが、われわれは普通、自分自身に無限の可能性があり、自由に思考でき、感じ、表現し、語り、と思い込んでいる。
しかし実際は「言語」の中で思考したり、感じたりしているだけである。

それでも、その外には何か他のものがあると察知することはできる(もちろんそれが何かを「言う」ことはできない。わたしの言語を使っては)。

そこへの扉が宗教施設には必ず備わっている。

もちろん、ロスコ・ルームにも。


考えてみたらわたしが好きなもの、例えば旅や、クラシック音楽や、バレエやオペラ、本、美術は、すべて「向こう」への「扉」なのである。

時間や、文化的閉域や、空間や、肉体的束縛を離れて...




1970年、ロスコ自身がテイトに作品群を寄贈した。
英国出身の18世紀の芸術家、ターナーへの敬愛を示すとともに、ターナーの部屋の横に自分の部屋を置いてほしいとの希望だった。

2020年9月1日からロスコー・ルームはテイト・モダンからブリテンへ移動して、現在Turner and Rothko展が開かれている。

わたし自身はロスコーを一番好きなアーティストの一人に挙げている。一方、ターナーは昔からいまだにほとんど理解できない。

しかし、偉大なるロスコーがいいと言っているのだから、そこには(その扉の向こうには)きっと何かがあるのだろう。




Mさんに捧ぐ。


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the royal ballet : back on stage!!




10月9日金曜日、英国夏時間19:30(日本時間10日03:30)から、"The Royal Ballet : Back on Stage"(帰ってきたロイヤル・バレエ)がライヴ・ストリーミングされます!

3月のロックダウン以来、以前収録された未公開映像や、5分ほどの新しいパフォーマンスなどは放送されてきたが、今回、全プリンシパル出演のプログラムが完成。

3度の飯よりもバレエが好きなモエに騙されたと思ってぜひぜひ。

ライヴでご覧になれなくても(朝3時半って無理ですよね...)、チケットがある限り録画で30日間繰り返し見られる。

チケット16ポンドが必要。詳しくは以下で。
https://stream.roh.org.uk/browse


これだけでも絶対にご覧になってみて...リハーサル風景、目が覚めるよう。完璧で、スカッとします。

Marianela Nuñez and Vadim Muntagirov in rehearsal for Don Quixote


(写真はFacebookから拝借)
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