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Brugge Style
グウィネズの中世の城
ずっと行きたかった場所をついに訪れた。
わたしが住んでいる英国、イングランドはサリー州から北西へ車で5時間半、北ウェールズの海沿いの中世の城群。
1枚目と2枚目の写真、カーナーヴォン城は改装工事中で内部が見学できず、外から見ただけ。
しかし、午前中の引き潮の時間に河口の向こう側にそびえ立つその姿は雄大で、海と空の色が変化するのをずっと眺めていたかったほど。
船底をさらけ出して停泊するボートは、まるで砂浜に置き去りにされたおもちゃのボートのようで哀愁を誘う。
兵どもが夢の跡、と。
また、他でのんびりしすぎて一番西側のアイルランド海に面したハーレフ城には時間切れ、訪問できなかったが、スイス出身の城郭建築家マスター・ジェイムズの匠の技は十分見学できた。
13世紀、イングランド王エドワード一世(フランスのノルマン系)は、ついにケルト系のウェールズを征服。
彼がウェールズ統治の拠点として築いた城は、古代ローマの基礎などを利用し、10ほどあるのだとか。
西からコンウィ城、カーナーヴォン城、メナイ海峡を挟んだアングルシー島にあるビューマリス城、ハーレフ城....の四城が、「ヨーロッパにおける13世紀後半から14世紀初頭の軍事建築の最高の例」として「グウィネズのエドワード一世の城郭と市壁」世界遺産に登録されている。
なるほど、中世のお城と聞いてイメージする戦争のための城、そのままの姿が残されている。
もしもエドワード一世の資金が不足せず、完成されていたのならば、さぞ豪華絢爛な宮廷生活が営まれたことだろう。
ここに板張の床、屋根や窓が入り、贅沢な布やカーペットが飾られている様子を一所懸命想像
イギリス・ウェールズ北西部のアングルシー島ビューマリスにある中世城郭。
アングルシー島はドルイドの島。ドルイドのメンヒルも多く残されている。次に機会があったら、ドルイドの史跡巡りをしたいなあ。
イギリス内で最も建築技術に優れた二重環状城壁で、シンメトリー構造の美しい造りなのだそう。
コンウェイは背後の山とコンウィ川で守られている。さらに街を21の塔を備えた9メートル3キロの城壁で囲み、同時にイングランドから商人や職人を植民させ、新しい街が作られた。
コンウィは現在の街もかわいらしく美しい。
城には8つの塔。典型的な中世の堅城。
姫路城と姉妹城提携しているそうですよ。
こちらの内部も、残されたチャペルのボルトや食堂の暖炉、梁渡すためのでっぱりや、高窓などを見ながら一所懸命当時の生活を想像。薄寒く、湿気が多く、昼も夜も暗かっただろうが、大陸から瀟洒な家具や布を持ち込んで飾ったのだろう。
おまけ...これは紅茶と抜群に相性の良いウェルシュ・ケーキ。大好き!
一泊だけだったが楽しかった!
次はスコットランドまで、ハドリアヌスの長城がぜひとも見たい。
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北ウェールズの「英国最小の家」
英国、ウェールズ。
北ウェールズの海沿いの街(村?)コンウィにはThe smallest house in Britainがある。
ガイドブックにも必ず掲載されている有名な家だ。
イングランドはサリー州の家から車で北上すること5時間半、ついにずっと訪れてみたいと願っていた北ウェールズのグウィネズ地方へ。
目当てはもちろん世界遺産にも登録されている、グウィネズのエドワード王時代の城砦と城壁(Castles and Town Walls of King Edward in Gwynedd)だ。
13世紀にウェールズ地方を制圧を果たしたイングランドのエドワード一世が、ウェールズ反乱軍鎮圧のために建設した海沿いの中世の城のうちの四城。
そのうちの一つ、コンウィ城は、この英国一小さな家の後ろに建っている。
上の写真だけではその小ささが分からないので、人が入っている写真を...
隣の家と比べても小さいですね。
去年10月29日に浸水し(この家は港の目の前に建っている)、2022年春まで内部公開はされないのだとか。
......
英国(正式名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国)に住まうようになって、最初に悩んだのがこのブログ上での国名の表記のしかただ。
日本語ではヨーロッパ大陸の側に浮かぶ英国島の国全体をを指して「イギリス」と呼ぶ。
しかし、慣用であるとはいえ、「イギリス」は「イングランド」でしかない。
英国を構成するのは、イングランド(イギリス)、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの四つの国(カントリー)であり、ウェールズやスコットランドの人に向かって「イギリス」「イギリス人」というと訂正されるであろう。
それぞれのカントリーが英国議会に議席を持ち、自治政府と議会があって首相がおり、程度の差はあれ立法権もある。
英語とは全然違うウェールズ語、スコットランド語、アイルランド語もある。
当然、「民族」意識や誇りは高い。
たとえばウェールズのケルト文化は、フランスのノルマンディー地方に源のあるイングランドの文化とはもちろん違ってい、特にケルト神話やドルイドが司る宗教、伝承(アーサー王と円卓の騎士!)、音楽、わたしなんかよりずっと詳しい方もいらっしゃるであろう。
わたしの親友もケルト系の文化が好きでとても詳しく、ウェールズを憧れと親しみを込めて「あの異郷」と呼ぶ。
とはいえ国際的にはこの四つの国は非独立国であり、国際社会においては一つの「国」英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)である。
残念ながら食事には地方の特色があまりなく、どこに旅しても同じような(まずい)ものを食べさせられるのはどの地域も同じなのはほんとうーに残念なことである(笑)。

こちらはウェールズのシンボル、赤い龍。
ウェールズ国旗にも意匠されている。
そういえば英国の国旗ユニオン・ジャックは、イングランド、スコットランド、アイルランド国旗の三つを重ねたものだが(ウェールズはすでに13世紀にはイングランドに征服され、16世紀には法律によってイングランドに正式に併合されたため)この赤い龍がもしも四つ目として重ね合わせられていたとしたら、どんなユニオン・ジャックになっていたのだろうか。
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コッツウォルズ最大の街、サイレンセスターで
ウェールズにほど近い丘陵地帯に広がる蜂蜜色のコッツウォルズの村々は、古いイングランドの景観と雰囲気を残している...
と観光客を手招きする。
丘陵はこの時期も青々とし、羊が草をはんでいるのが遠くからも見られる。
冬は特に灰色の雨の日が多いにしても。
娘がどうしてもわたしを連れていきたいお店があると、サイレンセスターというコッツウォルズ最大の街(村?)にも立ち寄った。
街そのものも可愛らしく、ユニークなお店も多いらしい...
クリーム・ティーを食べ、ジュエリー店や画廊を見てから、街の中心にあるお目当てのアンティーク・ブロカント店へ。
こちらがおもしろいのは、迷路のような店内が、ごく小さなガラスケース、棚、セクション、一角...とそれぞれ個人商店になっていること。
おそらく、個人商店は場所を借りるためにいくらか、ものが売れるたびにいくらか、を支払うのであろう。
つまりネットでいう、アマゾンや楽天のようなプラットフォームを提供する電子商店街の実際版、といったところである。あ、それって普通に百貨店のこと(笑)?!
わたしの目にはどうしようもないガラクタから、垂涎のローマ時代のコインや、アンモナイトの化石、版画、無数にあるウェッジウッドやスポードの食器、銀のさじやフォークとナイフ...
何かを買うためにというより、見学料を支払っても見て回りたい。
商品の数が多いため、店内を回遊して頭を冷やすことができ、衝動的な買い物が避けられるのもいい。
もしこれが別のセッティングだったなら、わたしはバーレイの古い皿や、銀の盆を買ってしまっていたことだろう...
17時、閉店時間。
結局何も買わなかったが、娘が言った通り、ものすごく楽しかった!
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公現祭と初詣@グロスター大聖堂
ぬいぐるみ状の人形たちで構成されていた。
1月6日は公現祭だ。
12月25日に誕生したイエスの洗礼を祝う東方教会のお祭りが、4世紀の頃には西方のローマ・カトリック教会に伝播、ベツレヘムで誕生したイエスを訪問した東方の三博士(これは「世界」の象徴とも解釈できる)を記念するお祭りとなった。
カトリックのベルギーではこの日に三博士(オランダ語の直訳では三人の王様のケーキ、フランス語では王様のケーキ)のケーキというアーモンド・クリーム入りのパイを食べてお祭りし、クリスマスの飾り付けを始末する。
たまたま6日はコッツウォルズへ遊びに行ったので、2022年初詣を兼ねてこの地方の大聖堂があるグロスターを訪れた。
グロスターは遅くともローマ帝国の植民都市として記録されており、グロスター大聖堂の前身は7世紀の修道院を基礎に持つ。
1089年に工事が開始、1499年までかけて建設された、ロマネスク様式、初期イングランド・ゴシック様式混合のレース飾りのような模様が多用された華麗な建物である。
ハリー・ポッター映画のファンの方は、こちらの14世紀のクロイスター(回廊)で、多くの学校の場面が撮影されたことをご存知なのではないだろうか。
近辺の学校の聖歌隊が「我は汝に誓う、我が祖国よ」(I vow to thee, my country、曲自体はホルストの「木星」)を繰り返し練習しており、うっとりしながら見学をして回り、祈りを捧げた。
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2022

今年もどうぞよろしくお願いいたします
2022
寅
......
10月の日本で一目惚れした中島敦のポチ袋。
早く使いたくてうずうずしていた。
子供のころ、両親や祖父母に連れられ、大人を恭しく訪問する機会は多かった。
自宅にも多くの訪問を受け、当然、子供も気取って挨拶・応接させられた。
今思えば、そうやって敬語や社交を仕込まれたのだと思う。
(だからある欧米の国で相識の家庭を訪問した時に、応接されている同じ部屋で、広いとはいえその家庭の子供がテレビを見るのを許されていたのには大きなショックを受けた・笑)
そんな機会では、必ず、「本でも買いなさいな」とお小遣いをいただいたものだった。
なつかしい。わたしもいつかそんな大人になりたかったのだ。
とにかく今年も本を買いまくりたい。
読みまくりたいと言わないのがモエの控え目である(笑)。
ポチ袋は太宰治バージョンも買った(来年使おう)。
こちらは「子供はいいなあ」とつぶやいている。
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