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Brugge Style
広告効果、ウィーンの街角
「エフゲニー」って、ドイツ語ではこう綴るのね...
とか思っている場合じゃない、去年と今年のロンドン公演は中止になったのに、キーシンさん来月はウィーン公演?!
東京の友達が去年の暮れに鑑賞したと言っていたプログラム。
「2月17日だからバレンタインのプレゼントはこれでお願いします」と夫を説得、翌日は楽友協会のチケット売り場へ早歩きで。
ミーハー万歳。
完売していなかったのが驚きだ。
明日は夜の便で英国へ帰るのだが、来月も来られると思うと帰宅前夜ブルーも吹き飛ぶ。
そして来月もザッハーに泊まりたい。
ウィーンにはいいホテルが多いとはいえ、たぶん2月はもっと寒いのだろう、特に寒い時期は向かいの国立歌劇場行く予定がなくてもここがいい。
古臭くならない絶妙の「古さ」とメインテナンスのバランスがすばらしい。
ウィーン全体に共通するように見える「メインテナンスのうまさ」、「サーヴィス業の方の機嫌の良さ」がウィーンの魅力のひとつだと思う。
ザッハートルテ、昔よりも確実に甘さ控えめになっていると思う。
わたしは大御所ピアニストも、誰でも知っているホテルも、有名ブランドも、ミシュランの星つきレストランも、世界遺産も大好き。
繰り返す、ミーハー万歳!
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ウィーン(は都市全体が)・コンツェルトハウス
素晴らしすぎて現実離れ...
去年11月のわたしの誕生日のサプライズが微妙に失敗だったので、夫が企画してくれた今回のウィーン訪問の目玉。
INTERPRETEN
Gidon Kremer, Violine
Mischa Maisky, Violoncello
Martha Argerich, Klavier
PROGRAMM
Ludwig van Beethoven
Sonate g-moll op. 5/2 für Violoncello und Klavier (1796)
Mieczysław Weinberg
Sonate Nr. 5 op. 53 für Violine und Klavier (1953)
***
Valentin Silvestrov
Serenade für Violine solo (2009)
Igor Loboda
Requiem für Violine solo (2014)
Dmitri Schostakowitsch
Klaviertrio Nr. 2 e-moll op. 67 (1944)
演奏内容とコンツェルト・ハウスの舞台のセッティングから、近い方がいいだろうと前から三番目の席を選んだのが大正解!
アルゲリッチの魅力にヤラレタ。
こんなに楽しくていいの?!
Weinbergのソナタは、Spotifyで聞くレコーディングでは、高音がキンキンしているようでシロウトの耳には全くピンとこなかったのだが、生は全くの別物、複雑で、豊かで、馥郁と香る演奏だった。
デジタル化してある音は「音だけ」を抽出するからだろうか。
Kremerは、演奏を始めるとまるで青年のようになり、音に色香ただよう。
フォワイエで現金のみの支払いということを知らず(壁が分厚くて電波が飛んで来ず、インターネットに安定してつながらないそう)、いつものように夫もわたしもカードしか持ち合わせていなかった。
ATMは外にしかないと聞き、幕間のシャンパンはあきらめようとしたところ、なんとバーテンダーの女性がおごってくれたのも決して忘れないだろう(笑)。
そんなに絶望的に飲みたそうな顔をしていたのか、わたし。
現実離れ、というと、ウィーンへ来たら絶対に行くセセッション館を午後2時前に出た時はこんな快晴(まだクリスマスの飾りが置き去りにされているのもシュール)。
そして、レオポルド美術館のVienna 1900展で、シュルレアリズムの作品を見ていたら、雪のウィーンの絵が...
夢かしら。
フロイト的には雪は何の象徴?
と思ったらそれは窓で、入館してから1時間半ほどの間に雪が積もっていたのだった。
夢よりも現実の方がシュール。
その部屋から左を見るとクリムトのこの絵が。
『死と生』。
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冬の宮殿
ウィーンの冬はわたしが住んでいる英国南部地方よりもだいぶ気温が下回る。
今日も早朝からすっきりと晴れ渡り、午前中の気温はマイナス4度だった。
ウィーンの中心部はいっそう清潔に見える。
ホーフブルグ(ハプスブルグの夏の離宮がシェーンブルンなら、ホーフブルグは冬の宮殿)の建物の影を、ロングの毛皮のコートを着て縁のない帽子を被った、痩身で品のいい老婦人が歩いている。
白馬に引かれた馬車が客待ちし、教会の石の天使がラッパを吹いている。
普段なら観光客であふれ帰るこの辺りが、冷たい光あふれるひと幅の絵のようだった。
側のDemelに駆け込んで「ウィンナーコーヒー」Einspannerを。
ウィーンの何が魅力的といって、サーヴィス業の方の機嫌がいいことだ。
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プリマベーラ(春)
特に予定のない日曜日。
青空が広がり、きんと冷えた空気の中に春の光が感じられる。前庭の桜もつぼみを膨らませている。
西ヨーロッパでクロッカスが咲くのももうすぐだ。
先月のフィレンツェで娘が欲しがり、家族でかわるがわる遊びはじめたパズルの続きを(娘はもう大学にもどってしまった)。
とっておきのチョコレートケーキを食べつつ。
スポンジはシフォンケーキ風でふわふわしっとり、チョコレートクリームは砂糖なし、生クリームベルギーのフォンダンのみ。
同じくベルギーで買い込んでくるシロップ漬けチェリーが冷たくジューシーなアクセントに。問答無用。自画自賛。
お茶をいれてパズルなんか始めてしまうとあっという間に時間が経ってしまう。
ふと、「こんな無駄ってある...?!」と我にかえる瞬間もあるのだが、ウフィツィでもっとも興味があるこの絵の細部の細部までじっくり見て観察でき、悪いことばかりではないかも...
しかもパズルのピースがぴったりはまることの快感よ!
この何かが「ぴったりはまる」「絶妙に決まる」快感は、たとえばオーケストラの音がぴったり合うのを身体で感じたり、バレエのパが完璧に整う瞬間、スポーツのゴールやサーブが決まり、数式の完全無欠、そういったものに人間が見出す「美」のひとつで、絶対要素なのかも...などと考えてしまう。
テンペラ 203 cm × 314cm ウフィツィ美術館、フィレンツェ
先月のウフィツィもガラガラで、この作品の前が無人になる瞬間さえあった。舐めるようにじっくり見学。飽きない。ほんとうに飽きない。
世界は冬にいったん死に(左端のマーキュリーが象徴)、春に生まれ変わり、より豊かになる(右端の西風の神ゼピュロスが触れると彼の花嫁、ニンフのクロリスが花の女神フローラに変身)。
見守るのはこの園を支配する愛の女神ヴィーナス。
三美神は右から「美」「貞節」「愛」。完璧な美。
三美神。
右の「美」の女神は、中央の「貞節」と左の「愛」を統一して新しい調和をもたらす。
美とは、貞節と愛の結合なのである。
「貞節」は「愛」を拒否しようとするものであり、「愛」は「貞節」を無視しようとするものである。ただ。「美」への憧れに支えられた時にだけ、「愛」と「貞節」は矛盾なく結びつく。
(高階秀爾『ルネサンスの光と陰』355ページ)
ヴィーナスの頭上を飛ぶ彼女の息子:目隠しをされたキューピッド(愛は知性を超える存在であるゆえに目を必要としない。心の目で見る)が、「貞節」に狙いをつけている。「貞節」は「愛」へと循環する。
より高い精神的存在へ自己を高めることこそが愛そのものの至高目的なのである。
「弁証法をこれ以上美しく踊らせる」ことはおそらくできない、と。
繰り返すが完璧な美とはこのこと!!
バレエでこの絵を再現してくれないだろうか。
子供のころ、ワガノワの卒業公演で『三美神』は見た記憶はある...
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romeo and juliet 2022
©2021 ROH. Photograph by Andrej Uspenski
昨夜はまた素晴らしいものを見てしまった。
ロイヤル・バレエのMarianela NuñezとVadim Muntagirovによる、去年11月の2回の『ジゼル』も、公演の間の3時間ほど異次元に移動してた? と思ったほどだったが...
ロイヤル・バレエはその演劇性で知られている。
演劇は(オペラも、バレエも、芝居も、ちょっと違うが小説も)、ある状況(多くはぎりぎり極限の状況)で人間はどのように思考し、選択し、行動するのか、人間とは何か、人間は世界をどのように解釈するのか、普段の人間ができるだけ避けて考えようとしないテーマを扱う。
狂人や浮浪者、魔法使い、死者や神が登場する筋書きが少なくないのも、それらが常に人間とは何かを問うてくるからである。
演者は、自身の性別や年齢、人種や心情をいったん傍において、別の人格を演ずる。
実際の自分とは、最もかけ離れた時代の、属性も、信条も、性格も違う人物を演じる歌手、ダンサー、俳優、語り手...人間はおそらく「他者」になり切ることで本質を知るのだろう。
崇高なことだと思う。
また、一回性が特徴で、何度同じ演目を見ても飽きない。
昨夜のロイヤル・バレエの『ロミオとジュリエット』、プリンシパルダンサーはFederico Bonelli as Romeo and Marianela Nuñez as Juliet。
このシーズンの『ロミオとジュリエット』は2つの時期の開催に別れており、ある記事によると、2つ目の時期の初パフォーマンスを飾るはずだったNatalia Osipovaの「不調」で、Marianela Nunezがこの夜も務めたらしい。
もちろんすばらしかったそうだ。彼女の公演回は全部見ることにしているファンとしては見逃して残念、テーブルをぶっ叩きたいほど(笑)。
昨夜もMarianela Nunezはすばらしかった。繊細にして大胆、無駄な動きやごまかしや演技のわざとらしさは一切なく、彼女の足首と甲の柔らかさはクリームのようだ。完璧な美。言うことがなくて困る。
会場がざわついたのは、第二幕のマンドリンの踊り(ストリート・ミュージシャン連。披露目屋、といえばいいか)のリードダンサーのJoonhyuk Jun、そしていつものように第一幕舞踏会のシーンで舞台をかっさらっていったMarcelino Sambéだった。
女性指揮者Alondra de la Parraの率いるオーケストラもすばらしかった! ブラヴォー!!!
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