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Brugge Style
本のある、空間から空間へ
数日前、娘の買い物につきあった。
本のある空間が好きだ。
わたしの部屋は壁一面が書棚で、夫の書斎も、娘の部屋もそうだ。
リビングには写真集と大型本専用の書棚を置き、ダイニングにもいつでも手に取れるように写真集がコンソールや寝椅子の上に積み重ねてある。
出かける時は必ず本を持つ。
車の中にも本が置いてある。
ユニークな図書室があるホテルはもちろん、部屋のあちこちに本が設置してあるとわくわくする。
この日はパーティがあった。
ついでに言うと、「積読」も好きである。
後日、読むだろう本も積んである一方、わたしの知性の発達の遅々としたあゆみを鑑みると、おそらく死ぬまでには読めないような本もたくさん含まれている。
そういう本は、人類の叡智、過去や知らない土地、あの世や、創造主や、宇宙へと開ける「扉」である。
「わたしが知らないとすらも知らないことがこの世には無限に存在する!」と、積んである本を見るたびに思い知らせてくる。そういう本が家の中にあるのは大切だと思う。
家の中のつつましい本の集合体は序の口、真骨頂としての図書館も、本屋さんも大好きだ。
もちろん、図書館や本屋さんにはこことは違う世界へとつながる「扉」が多いからである。
図書館や本屋さんにいると、「あれも読んでない、これも読んでない」と、自分の人生の有限性と、知識の有限性を感じて焦るばかりでなく、えもいえぬ幸せを感じる。
「創造主のふところに包まれる」というような神秘体験とはこういうことなのか、と思う。
ほら、例えば仏像がずらっと並んでいる静かなお堂を歩く時、仏像はあちらからは何も言ってはくれないが、優しく見守ってくれているような気がし、こちらから働きかけるとヒントをくれたりする、あんな感じだ。
仏像や神像も、こことは違う世界につながる「扉」である、といえば、多くの方は賛同してくれるのではないだろうか。
図書館を飾るのは、そこが神の叡智を垣間見られる場所だからか。
あるいは「知」によって神の世界を序列化しようという欲望からだろうか。
神社仏閣、教会が、ボルヘスの図書館やエーコの『薔薇の名前』に出てくる図書館、世界三大図書館(エフェソス、ペルガモン、アレキサンドリア)などが、神秘性や永遠性をまとっているのは当然なのだ。
最近では街の本屋は少なくなり、あったとしても、すぐ忘れられてしまうような流行りの本だけを販売するだけだったりする。
ブルージュでは、知的好奇心にあふれた品揃えで有名な馴染みの本屋さん夫婦が今年隠居した。
娘が自分で本を選ぶようになった頃から信望してかわいがってくれ、英国に引っ越しが決まった時は「もしベルギーで保護者が必要であれば、私にその仕事を任せてほしい」とまで言ってくれた品のある婦人だ。
先日に訪れたロンドンにある「老舗」のひとつ、ピカデリー通りのHatchards(一枚目の写真)は、街中にあって品揃えも店構えも素敵(隣の大型書店チェーンウォーターストーンに買収されてしまったが、一見するところまだ個性的な個人商店の面構えをしている)。
マリルボーンのDaunt (二枚目の写真)は、書架の分類の仕方がユニークでいい。
分類が国別地域別になっており、例えば「ロシア」のコーナーに行くと、旅行ガイドブックやロシア料理などの実用本と並んで、ロシア正教会の美しい写真集や、ドストエフスキーやチェーホフ、ザミャーチン、シーシキンの本が並んでいるのである。
ロンドンの繁華街にいながら、一気にロシア上空に飛び、正教会の、ミルラ薫る堂内に降り立ち、総主教の目を借りて蝋燭の火やイコンを見つめ、あるいは19世紀の社交界の女や、レーニンに心酔したボルシェビキの目を借りて世界を見る...ような気になるのである。
次にオーストリアに行ったら、メルクの修道院にあるという図書館が見たい!!
『薔薇の名前』の主人公の一人は、その著名な図書館へのオマージュとして、メルクのアドソと名付けられたのである。
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maticevskiのカクテルドレスは初秋のドラマ
昨日も書いた、ロンドンの南にあるサリー州では夏が再生している。
昨日今日は28度と多少過ごしやすいが、その前日は30度になり、明日の土曜日は31度の予報が出ているとか。
ロンドン行きの予定、どうしよう...
日が暮れてからは涼しいので、夜はこのドレスの出番だ。
最愛のデザイナーMaticevskiの、トレーンが30センチもあるカクテルドレス。左足に入るスリットが絶妙に深い。ハイヒールのサンダルは銀。
初秋の今なら、蜂蜜のようないい色に焼けているし。
今年の夏も日焼けには十分気をつけていたにもかかわらずこれですよ...
年をとっていいことの一つは、こういうドレスを着ても「お嫁さん」にならないことかと思う。
ちなみにわたしはおしゃれは「コスプレ」だと思っている。
おしゃれで表現したい自分や、内面など持っていので、劇的な場面には劇的なドレスを着るのが好きだ。
若作りをするつもりは全くないが、こういうドレスをいつまでも着られるよう、姿勢、筋力、sprezzatura...には注意したい。
「スプレッツアトーラ」sprezzaturaは、カスティリオーネの『廷臣論』に出てくる概念だ。
「それが努力なしに、そして事実上考えずに行われた...かのように提示すること」である。
わたしはこの言葉が好きで、座右の銘とし(笑)、娘が小さい頃から、特にピアノのコンクールのたびに「家では本番のように、本番では家でのように」と言ってきた。
すでに娘との間ではギャグの域。
わたしがこういったドレスで装うときもどこかギャグの趣がある。それでいいと思っている。
ラファエロによるバルダッサーレ・カスティリオーネの肖像画@ルーヴル美術館
この肖像画はモナリザ(を事実真似た構図になっている)に並ぶ傑作だと思う。
まさに「努力なしに行われた」完璧な「廷臣のコスプレ」であり、コスプレのままを「努力なしに」写しとった芸術家の腕!! だと思うから。
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薔薇と蜂の秋の夏(というにはまだ早い)
今年のイングランドは寒かった。
6月下旬から7月上旬にかけて一時期暑くなったらしいが、ベトナムにいたので、今年の夏は印象が薄い。
BBQをしたのは先週末一回だけ。
それでも、9月の初めや、10月上旬のブリュッセルマラソンの頃は毎年最高の天気が期待できる! ブリュッセルマラソンの夏、と命名したいくらい。
今年も待望していたら...
やはり、今週、真夏のような天気到来。
だいたい28度くらいから始まり、今日は30度、今週末は土曜日が32度で注意報が出ている。
今(午前10時半)はまだ北側のリビングは肌寒いものの、夏の定住地である温室内のリビングは座っていられないほど...あたりまえか。温室だもの。
一年間に、二回三回と花を咲かせる薔薇(オールド・ローズ)群も、6月の最盛期には敵わないが、4つ、5つと花を咲かせた。
聞くところによると蜂が攻撃的になるのはこの時期だそう。
花が少なくなり、彼らの命がかかっているのだ、と。
庭で、特にスコンにジャム、あるいは肉の脂身などが皿に残っていると襲われる。
では、今から、日陰の涼しいうちに、庭で蜂と朝ごはんのバゲットとバターとジャムを奪い合ってきます。
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the notary
部屋数が少なく、常に予約で埋まっており、わたし自身はまだ泊まったことがないものの、カフェやお庭、レストランは確認済み、とーっても素敵なのでおすすめとして書いておきます。
ブルージュの新しいホテルThe Notary。全室スイート仕立てなのだとか。
最初は夏の初めに義理の母のおすすめで行ってみた。
わたしの、とてもセンスがいいおしゃれな友達からもおすみつきである。
一部はカラフルで、物や装飾も多いのに不思議と統一感があり、居心地がいい...
日本の、例えば春に宿泊した東京のオークラとか、あるいはアマン東京、えらく話が大きくはなるが、皇居で皇族方が集っておられるお部屋の写真など、装飾を削ぎ落とした究極の優美さも大好きだが、こういうのもいい...
今まで書いてきたブルージュの情報が古くなってきたので(なんと古くはすでに20年近くも前のものだ!)、ホテルやレストランのおすすめをまた時々書いていきたいと思う。
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あれは娘が幼かったころの秋の入り口
ブルージュをひとりで散歩途中、ブルージュを囲む緑の道(昔は街を囲んでいた市壁の跡。今は緑のベルト状の公園になっていて散歩にぴったり)を歩いて、いわゆる「愛の湖」の方へ足が向いた。
すきとおる初秋の光も手伝ってか、ふいに記憶が23年も前に飛んだ。
比喩ではなく(いや、比喩か)こういう記憶は身体の記憶なのだろう。
身体は時間を認識しないのかな? と思う。
娘が幼かった頃、彼女を乳母車に乗せ、無聊のままに毎日毎時間、ブルージュを文字通り「さまよった」のだった。
幼い子と一緒なので、それなりにやることは多く、これからどうなるのかというような不安はなかったものの。
夫はアメリカ出張中心で留守がち、ネットで読めるものなどもまだまだ少なく、メールアドレスを持っている友人もほとんどなく、日本の家族からも友達からも切り離されていた。
当時はPCを持っている人さえ少数派だった。
98年にWindows98が発売され、ネット普及率は13.4パーセントだった。
わたしはアップル社の初代のラップトップを持っていたが、ほとんど無用の長物だった(<今、すごいお値段で売れるみたいだ・笑)。
それ以前から海外在住経験もあったし、親切な人たちに囲まれていたとはいえ、今振り返って自分自身を眺めてみると、どうやってサバイバルしたのか?! と思う。
ただ、街が限りなく美しかったのが救いだった。
そんな娘も23歳になり、来年の今頃は日本でいう研修医としてすでに働き始めている(予定!)。
彼女はブルージュで育った11年間は、望みうる最高の子供時代だった、と言う。
秋になるとこうやって時を振り返ってしまう、まるでブルージュの運河を行く観光船を後ろから見おくるように。
ブルージュ、コロナ禍で観光客数が当然落ち込んでいたそうだが、今はもう中心部は激混み、レストランの定休日が多い日曜や水曜は、観光客向けのお店はともかく、地元民が好むお店はなかなか予約ができなかったりもする。
ホテルも目ぼしいところは取りにくいことも。
かつては質がよかったものの、改装が喫緊なのではというところも多い...
商店街は一方で歯が抜け落ちたように空き店舗が目立ち、売り場を拡大したのはザラだけ、という...
これから観光に行かれる方は、人混みを避けたい向きには、わたしは個人的には以下をお薦めする。
1:一番上の写真のグリーンベルト(ブルージュ旧市街を取り囲む緑の散歩道、公園)をぐるっと散策
2:人気のある美しい写真スポットを眺めるにはライトアップが消える前の夜中(ブルージュの中心街は安全、わたしがひとりで歩くことも)
3:独特の建築を楽しむためには、ヤン・ヴァンアイク広場Jan van EyckpleinからスピーガルレイSpiegelreiをセント・アナレイSint-Annareiとランガ・レイLangereiの交差するほうへ、そしてGouden-Handreiを曲がる...というコースを
4:ブルージュの旧市街のすぐ外から出ているボートに乗って隣村Dammeへ。自転車でも行けるし、自転車もボートに乗せられるよ!
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