コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

顔の見えない論戦

2008-04-12 01:10:12 | 日常雑感

先日ある人から耳にした情報をネットで探して見ていました。
ある方のブログをめぐるやり取りなんですが、ある方面で話題になっているということなので…

その内容をここで紹介するつもりはないんですが(気になります? 笑)

ちょうど、私のメインホームページも衣替えして、掲示板を外しこのブログを中心にすえました。
ずっと掲示板中心でやってきたんですが、ちょっと私自身の対応も変わってきてる気がしましたのでね。
自分でホームページを持つ前は、知人のページの掲示板によくお邪魔してたんですが、寝る間を惜しんで書き込んでましたね。
というのは「私の言いたいことをわかって欲しい」と言う一心で、次から次から言葉を重ねていましたから。
その「言いたいこと」は仏法のことなんですが、同じ浄土真宗を聴聞しているはずなのに”通じない”ことが多かったんですね。
それも相手はほとんど真宗の僧侶の方々…(苦笑)
もし簡単に受け入れられていたら、逆に白熱することもなく、おたがい「ありがたいですなぁ」で終わっていたかもしれませんが、「信心」ということひとつとってもすれ違う…そうなると「いかに相手が間違っているか」を主張しあうだけなんですね。
おそらくは、私が当たり前に使う「後生の一大事」と言う言葉だけでも、その内容以前に「その言葉を使う奴は気をつけろ」という先入観などもあったかもしれません。
一旦先入観をもたれると、それを振り払うのは容易じゃありませんね。

しかし、そうやって伝えようとすることでかなり「自分の聞いているもの」がハッキリさせてもらったのも事実です。
大きなご縁でしたね。

今回、掲示板をブログに変えようとした背景には、今の私は掲示板で「あなたは間違っている」という形の関わり方を出来なくなってきていることがあります。
法義のことだけなら曲げることは出来ないところは当然あるのですが、コミュニケーションと考えると、「尊重」ということを外せませんから。
掲示板をネット上の座談にしたかったんですが、ずっとそこにこだわるよりは違ったアプローチを試してみたいなと。
その分、「法話を題材」にしたものを別に用意して試したいなと思ってます(これはもうちょっと後でね)

こういう話題になったのは、最初に持ち出したある方のブログで、基本は自分の想いを書いておられるのだけど、自分の正当性をアピールするために相手の批判がどうしても出てきてしまう様を見たからです。
そうすると、反論というものが出てきますし、それが直接対決ならまだしも、場所を変えて当事者じゃない人たちが憶測の元に話を広げて言ってしまう様は…
で、肝心の仏法が飛んでいって、もう人間的などろどろに…(笑)
当事者じゃない私は、それらを通して「結局どっちも(私も含む)凡夫やなぁ」とね。

でも、それはまさしく10年前(今も変わらんか)の私の姿なんですね。
この書き込みも周辺事情だけで何にも仏法に触れてませんしね。

 

ホームページをリニューアルしました。
前に話題にした真宗カウンセリング研究会の年間予定表も完成させました。

一々の華

一回りして、シンプルに戻ってきましたね。