コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

明日から法座

2008-04-19 02:10:47 | 真宗
明日から「真宗法座の集い」
今週初めに急遽世話役の依頼があり、参加することになった。
実はこの法座はまだ未経験。
他の法座とはちょっと趣旨が違うので、いきなりの世話役はちょっと心配だけど、その趣旨自体は普段から気にかけていることなので、そんなに普段と違う動きをすることもないだろう。

法座には、「信心を得る」という大目的がある。
そのために、伝える人と聞く人がいるのだが、一生懸命になるあまり一方通行の流れになりかねない。
どちら側も、そういう立場・役割に徹する方が楽だから。

そうすると「予定概念」に捉われて、理想の求道者になっているか否かのところで動いてしまい、肝心の法をないがしろにしてしまうんじゃないだろうか。

明日からの法座は、そのあたりを固定させないところから始まる。
ベースになるのは「信心ろ得る」なのは間違いないが、法話-座談などのプログラムも自由にして、そのときの参加者の「いま、どうしたいか」を大事にする。
昨年までの法座の様子もいろいろ聞いているが、時にはその自由さが問題を起こすこともあるようだ。
そりゃあそうだ、ひとりの「やりたいこと」を選択すれば、それが別の人の「たりたくないこと」である場合もあるだろうし。

この法座の世話役は、流れを促すのではなく、「どのような流れ」になってもそれを助ける役割じゃないかなと思ってる。
法座の世話役よりむしろ、エンカウンターグループの世話役なんだろう。

うん、こうして書いてて気持ちが高揚してきた。
何が起こるか、楽しみだ。