先般、平成21年度の国公立大学志願状況が発表された。
2月4日15:00時点のデータであるが、我が母校は多くの学部で、既に前年の競争率をオーバーしている。今年は国立大学の志願者が多いのだろうか?
そして、競争率といえば、2段階選抜。私の卒業した経済学部も、既に足切りの競争率をオーバーしている。いわゆる門前払い。試験を受ける前というか、現時点で、既に何百人もの受験生が不合格となっているわけだ。
一か八か・・・と言う気持ちもわからぬではないが、足切にあうレベルの成績では、一発逆転もおぼつかない。あまりに絶大なハンディがあるのに、どうして無謀な戦いをするのか理解に苦しむ。
冷静に考えて、足切10倍となっていた場合、競争率9.9倍のレベルでギリギリ受験資格を得たとしても、これだけ、自分より上位の受験生が多いとミラクルが起こる可能性は皆無に等しい。
四大陸フィギュアでもわかるように、世界女王の実力があったとしても、最初に躓くと、挽回することはムリである。自分の得点を分析し、真に可能性がある大学を選ぶことが肝要であろう。
行きたい大学もあれば、叶えたい夢もあるだろう。初志貫徹という言葉もあるが、一方で、受験という「納期」までに、自分の能力を志望のレベルにまで「納める」ことができなかったともいえる。社会人なら、その時点で「納期遅延」として責任を負うこととなる。いわば、社会のしきたりにぶち当たる最初の試練ともいえる。
甘えることの許されない社会のルール
無論、勝負は時の運ともいえるし、敗者復活という言葉もある。しかし、その幸運を掴めなかった自分を省みる必要がある。
この時点で選択できる方策は2つ。無謀な賭けにでるか、志望校のランクを妥当なレベルまで下げるか。
私は、無謀な勝負に出ようとしたところ、立ち止まることができた。ランクを下げて、補欠で合格した。当時は、第一志望の学校に行けなかったことに劣等感も持っていたが、就職戦線で内定が出た後、バブルは崩壊し、就職が困難な時代へと突入した。1年遅れていたら、就職できていたか不明である。
というより、1年遅れたとしても、第一志望の学校に入学できた保証はない。そういう中で、志望校を変えないなら、それ相応の覚悟が必要であろう。
だが、初志貫徹というのも人生なら、第二志望、第三志望、あるいは志望外の大学に行くのもまた人生である。たとえ、志望を変えても真剣に4年間学べば、大抵の学問は修めることができる。
教授との出会いも偶然であり、真剣に学んでいれば、「神の見えざる手」の導きにより、必ず、すばらしい先生と出会うことができる。そう私は信じているし、事実、私の学生生活はそのことを証明している。
人生を変えるのは偶然であるが、その偶然を引き寄せるのは必然である。
だから・・・
立ち止まるな、一歩でもいいから前進しろ。
後ろを向くな、前を向け。
周りの雑音に惑わされるな、自分の将来を信じて動き出せ。
失敗を人のせいにするな、自分の至らなさを思い知れ。
一瞬の栄光に溺れるな、未来の成長を考えろ。
決して奢るな、自分の能力を見極めろ。
そんなことを、いつも自分の戒めとして思い続けている。