ショパンにはまりつつ・・・朝早く起きてネットを見ていてふと思ったことがある。
今は、なんと、生き難い世の中なんだろうか・・・ということである。
たった、数百年前は文字すら読めない日本人も多数いたのに、今では、日本語どころか、英語、中国語等、世界の多くの言語に通じていないと、ネットで書かれた文字すら読めない状況にある。無論、翻訳機能もあるだろうが、あまり使い方がわからないので、もっぱら現地語で見ている。
例えば、ショパンを探すにに、英語だったり、中国語だったするわけだが、概ね、読めて、分かってしまう。それだけ、情報化社会は国境レス社会といえよう。
昔なら、狩りをし、田畑を耕していれば一生を終えることができたのに、今の社会はそれを許さない。数十年前、中卒は「金の卵」と呼ばれていたのが、今では、大学を卒業しても仕事がない。就職率の低下がそれを物語っている。求めるものが高すぎるのだ。
はっきり言って、私自身も文明の利器については、大幅に遅れがちなのかもしれないが、おじいちゃん、おばあちゃんでも携帯やパソコンを使えないと、情報社会から弾かれるのは異様としかいいようがない。
そして、その「使える」「使えない」で、差が発生する社会ともいえる。例えば、デパートの営業時間。ネットで検索すれば1分でわかる。ネットが使えないと104でデパートの電話番号を聞いて、電話して確認する必要がある。104や電話が使えないなら、現地に出向いて確認するしかない。すべてにおいて「知っている人間」と「知らない人間」との「時間的」「経済的」その他モロモロのギャップが大きくなってきているのだ。
そして、情報の出し手も、ある程度「わかっていること」を前提に情報を作り込む。例えば、英語で書くとか。英語のわからない人は来てくれなくて結構というものだ。あるいは、ネットで情報を出すとか。ネットの使えない人はターゲットではないのだ。もしくは携帯の情報サイト。私は既に情報をいただくことはできないサイドの人間である。
ツイッターがわからない私は、既に、情報的には「負け組」で「敗者」であるといえよう。
何もわからなくても、なんとか生きていけるのだが、より快適を求めようとすると、ある種のレベルにまで到達していないとサービスの対象から除外されてしまう。
そして、語学、操作方法等スキルがあればあるほど、様々な情報が容易に手が入る世の中。強いものが、更に、どんどん、加速度的に強くなっていくのだ。
そういう社会で生きている以上、生き難いと愚痴をいうより、何かスキルを身につける必要があるのかもしれない。
今は、なんと、生き難い世の中なんだろうか・・・ということである。
たった、数百年前は文字すら読めない日本人も多数いたのに、今では、日本語どころか、英語、中国語等、世界の多くの言語に通じていないと、ネットで書かれた文字すら読めない状況にある。無論、翻訳機能もあるだろうが、あまり使い方がわからないので、もっぱら現地語で見ている。
例えば、ショパンを探すにに、英語だったり、中国語だったするわけだが、概ね、読めて、分かってしまう。それだけ、情報化社会は国境レス社会といえよう。
昔なら、狩りをし、田畑を耕していれば一生を終えることができたのに、今の社会はそれを許さない。数十年前、中卒は「金の卵」と呼ばれていたのが、今では、大学を卒業しても仕事がない。就職率の低下がそれを物語っている。求めるものが高すぎるのだ。
はっきり言って、私自身も文明の利器については、大幅に遅れがちなのかもしれないが、おじいちゃん、おばあちゃんでも携帯やパソコンを使えないと、情報社会から弾かれるのは異様としかいいようがない。
そして、その「使える」「使えない」で、差が発生する社会ともいえる。例えば、デパートの営業時間。ネットで検索すれば1分でわかる。ネットが使えないと104でデパートの電話番号を聞いて、電話して確認する必要がある。104や電話が使えないなら、現地に出向いて確認するしかない。すべてにおいて「知っている人間」と「知らない人間」との「時間的」「経済的」その他モロモロのギャップが大きくなってきているのだ。
そして、情報の出し手も、ある程度「わかっていること」を前提に情報を作り込む。例えば、英語で書くとか。英語のわからない人は来てくれなくて結構というものだ。あるいは、ネットで情報を出すとか。ネットの使えない人はターゲットではないのだ。もしくは携帯の情報サイト。私は既に情報をいただくことはできないサイドの人間である。
ツイッターがわからない私は、既に、情報的には「負け組」で「敗者」であるといえよう。
何もわからなくても、なんとか生きていけるのだが、より快適を求めようとすると、ある種のレベルにまで到達していないとサービスの対象から除外されてしまう。
そして、語学、操作方法等スキルがあればあるほど、様々な情報が容易に手が入る世の中。強いものが、更に、どんどん、加速度的に強くなっていくのだ。
そういう社会で生きている以上、生き難いと愚痴をいうより、何かスキルを身につける必要があるのかもしれない。
今朝は2時半ごろ起床した。
といっても、寝たのも早かったので、睡眠不足という感じがしない。といいつつ、数時間しか寝ていないのは事実であるが・・・で、本日2杯目のコーヒーを片手に、ショパンの英雄ポロネーズを聴きながら打鍵している(おいおい、コーヒー片手じゃ打鍵できないじゃん)。
今、一番困っていることは「部屋が汚い」ということ。本だらけ。まるで古本屋である。昨日の集まりでも「本をデータで・・・」とうい話があったが、やはり、本は本という現物で所有するところに、その本たる価値があると思っている。
そう、本は紙という世界で生きているのだ!(で、ここで軍隊ポロネーズと移っていく・・・)
こんなことを言っているようでは、文明からドンドン引き離されていく「古代人」と思われるかもしれない。事実、昨日、同期が話していた「横文字」の会話には、一切、ついていけなかった・・・「ソレハ、ニホンコクナイデツウヨウスルゲンゴナノカ?」と疑義を挟んでしまうものであった。
まあ、未だに携帯も使いこなせていないのだから、仕方がないことなのであるが・・・
でも、電子化された書籍って、本当に読みやすいのだろうか?読んでいないからわからないが、やはり、私は紙の本の方が好きである。重くても、かさばってもいい。ただ、そこにいてくれるだけでいい。私にとって、本とはそのような存在なのである。とはいえ、このまま、放置されているのはまずいよな~
といっても、寝たのも早かったので、睡眠不足という感じがしない。といいつつ、数時間しか寝ていないのは事実であるが・・・で、本日2杯目のコーヒーを片手に、ショパンの英雄ポロネーズを聴きながら打鍵している(おいおい、コーヒー片手じゃ打鍵できないじゃん)。
今、一番困っていることは「部屋が汚い」ということ。本だらけ。まるで古本屋である。昨日の集まりでも「本をデータで・・・」とうい話があったが、やはり、本は本という現物で所有するところに、その本たる価値があると思っている。
そう、本は紙という世界で生きているのだ!(で、ここで軍隊ポロネーズと移っていく・・・)
こんなことを言っているようでは、文明からドンドン引き離されていく「古代人」と思われるかもしれない。事実、昨日、同期が話していた「横文字」の会話には、一切、ついていけなかった・・・「ソレハ、ニホンコクナイデツウヨウスルゲンゴナノカ?」と疑義を挟んでしまうものであった。
まあ、未だに携帯も使いこなせていないのだから、仕方がないことなのであるが・・・
でも、電子化された書籍って、本当に読みやすいのだろうか?読んでいないからわからないが、やはり、私は紙の本の方が好きである。重くても、かさばってもいい。ただ、そこにいてくれるだけでいい。私にとって、本とはそのような存在なのである。とはいえ、このまま、放置されているのはまずいよな~
昨日(既におとといか・・・)、産業能率大学通信教育課程の同期と飲み会があった!
同期会の名称は「産能戦隊」である。戦隊メンバー7人中、6人が集結した。新宿での飲み会である。定刻に集合できたのはたったの3名・・・まあ、皆さん、仕事が忙しいので。
同期は、変わりないようにも見える一方、老けたようにも見え・・・年相応というところか。
すごいのが、メニューに「産業能率大学 THE PARTY」と入れてもらっているところ。あと、カクテルも「戦隊スペシャル」と、私のゼミの先生であるM先生の名前の入った「Mスペシャル」という2つがオリジナルで作られていた!
夜10時までだったのだが、11時ぐらいまでワイワイ騒いでいた。我々のテーブルだけ、場違い、甚だしい状況だったかもしれぬ。
とはいえ、戦隊が終結できたのは嬉しい限りである。ただ、平々凡々と銀行員をしていただけでは得られなかった縁。そういう友ができたことは、我が人生にとってこの上のない喜びである。
同期会の名称は「産能戦隊」である。戦隊メンバー7人中、6人が集結した。新宿での飲み会である。定刻に集合できたのはたったの3名・・・まあ、皆さん、仕事が忙しいので。
同期は、変わりないようにも見える一方、老けたようにも見え・・・年相応というところか。
すごいのが、メニューに「産業能率大学 THE PARTY」と入れてもらっているところ。あと、カクテルも「戦隊スペシャル」と、私のゼミの先生であるM先生の名前の入った「Mスペシャル」という2つがオリジナルで作られていた!
夜10時までだったのだが、11時ぐらいまでワイワイ騒いでいた。我々のテーブルだけ、場違い、甚だしい状況だったかもしれぬ。
とはいえ、戦隊が終結できたのは嬉しい限りである。ただ、平々凡々と銀行員をしていただけでは得られなかった縁。そういう友ができたことは、我が人生にとってこの上のない喜びである。