人間学特講の第2回レポートの結果が出ていた。
「70点 合格」ということだそうな。一応、安堵しています。なんせ、一番厳しいという「噂」がささやかれていた先生で、しかも、ご自身で「敢えて見込みのありそうな学生を落とす」という話をされていましたから・・・ってことは、私は見込みの無い学生なのか?
スクーリングの結果と合わせて単位認定なので、まだ、結果はわからないが、とりあえず、必須5科目のうち、はじめて「単位申請認定レポート」を書く権利を得たこととなる。
とはいえ、スクーリングの筆記試験で、何を血迷ったのか、「人間は有限性を持たない」と言った「テキストとは真逆」の持論を展開したので、不可を喰らうかもしれない。
そう、フランクルは「有限性」「独自性」「一回性」といったキーワードで人間の死を述べており、それがテキストで使われていたのだが、私は「有限性」を否定したのだ。
しかも、根拠となる文献を提示せず。あくまで持論。なぜ、そんなことを書いたのか、今でも信じられない。というか、このブログでは、よく「人間の人生は限りがあるので尊い」とか言っているのに、その「有限性」を否定したのだから、たまらない。
一瞬の気の迷いであった。書いている途中で、ふと、「人間って、自分の人生のみに拘束されるのだろうか?」と思ってしまったのだ。犬や猿、いや、鳥や魚等、人間以外の動物なら、有限の命を終えてオシマイである。しかし、人間は、過去の人々の叡智を背負い、将来の人々にその叡智を引き継いでいる。もし、有限性が担保」されるというのなら、過去も未来も放棄されなければならないのではないか・・・そう思ってしまったのである。
私の性格は、自分の考えを述べずにはいられない性格である。持論を展開するにあたり、損得を考えている余裕がない。あとで後悔することも多いが、信念を曲げるよりか、潔い死を選ぶ。俗に「世渡りが下手」と呼ばれる性格である。
今となっては仕方がないのだが、思いっきり「人間は有限ではない」と書ききってしまった!
不合格なら、それもまた人生。何も、修士の学位だけが目的で院生をやっているわけじゃない。闘える時に闘わないなら、「社畜」ならぬ「学畜」である。単位のために自説を捨てるのは、あまりにも惨めであり、何のために学習しているのかわからない。
とはいえ・・・やはり、卒業したいのは事実。もう少し、丸~くならないといけないのかもな・・・
「70点 合格」ということだそうな。一応、安堵しています。なんせ、一番厳しいという「噂」がささやかれていた先生で、しかも、ご自身で「敢えて見込みのありそうな学生を落とす」という話をされていましたから・・・ってことは、私は見込みの無い学生なのか?
スクーリングの結果と合わせて単位認定なので、まだ、結果はわからないが、とりあえず、必須5科目のうち、はじめて「単位申請認定レポート」を書く権利を得たこととなる。
とはいえ、スクーリングの筆記試験で、何を血迷ったのか、「人間は有限性を持たない」と言った「テキストとは真逆」の持論を展開したので、不可を喰らうかもしれない。
そう、フランクルは「有限性」「独自性」「一回性」といったキーワードで人間の死を述べており、それがテキストで使われていたのだが、私は「有限性」を否定したのだ。
しかも、根拠となる文献を提示せず。あくまで持論。なぜ、そんなことを書いたのか、今でも信じられない。というか、このブログでは、よく「人間の人生は限りがあるので尊い」とか言っているのに、その「有限性」を否定したのだから、たまらない。
一瞬の気の迷いであった。書いている途中で、ふと、「人間って、自分の人生のみに拘束されるのだろうか?」と思ってしまったのだ。犬や猿、いや、鳥や魚等、人間以外の動物なら、有限の命を終えてオシマイである。しかし、人間は、過去の人々の叡智を背負い、将来の人々にその叡智を引き継いでいる。もし、有限性が担保」されるというのなら、過去も未来も放棄されなければならないのではないか・・・そう思ってしまったのである。
私の性格は、自分の考えを述べずにはいられない性格である。持論を展開するにあたり、損得を考えている余裕がない。あとで後悔することも多いが、信念を曲げるよりか、潔い死を選ぶ。俗に「世渡りが下手」と呼ばれる性格である。
今となっては仕方がないのだが、思いっきり「人間は有限ではない」と書ききってしまった!
不合格なら、それもまた人生。何も、修士の学位だけが目的で院生をやっているわけじゃない。闘える時に闘わないなら、「社畜」ならぬ「学畜」である。単位のために自説を捨てるのは、あまりにも惨めであり、何のために学習しているのかわからない。
とはいえ・・・やはり、卒業したいのは事実。もう少し、丸~くならないといけないのかもな・・・