生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

多いか・・・

2011年02月22日 22時59分36秒 | 武蔵野大学大学院
とりあえず、来期の履修科目を登録した。

①中国仏教特講 レポート
②浄土教特講  レポート
③比較宗教特講 スクーリング(30コマ)
④人格心理学特講 レポート
⑤社会心理学特講 レポート+スクーリング(15コマ)
⑥ケースワーク特論 レポート
⑦特定課題研究演習 (修士論文相当)
⑧精神保健学特論  スクーリング(15コマ)

⑧のみ2単位で残りはすべて4単位。都合30単位。多すぎか?

実際20単位で修了となる。とりあえず登録しておこう。まだ、変更ができるから。
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解脱・・・

2011年02月21日 22時51分02秒 | ちょっと立ち止まって・・・
哲学の答え。

①何のために学習するのか
②何を学習するのか
③いつ終わるのか
④誰のために学習するのか

以上について、悩んでいたが、吹っ切れた。


学習する理由は要らない。何故なら、私は見返りを求めていないからだ。目的や目標を持って、何かしら学んでいるのなら、何のために学習するかを明確にする必要があろう。

しかし、私の学習は転職のためでも、給与アップのためでも、出世のためでも、そういう俗なもののために学んでいるわけではない。

学びたいから学ぶだけ。学びたい限り学ぶだけ。何のためでも、誰のためでもない。

そもそも、人間とは学ぶために生まれてきたのだ。そうでなければ、他の動物のように、本能の赴くままに生きて、そして死ねばよい。にもかかわらず、そうではない現状があるのは、サルから人間へと進化した際のご先祖さまが、学ぶことを糧としたからに他ならない。

人間は好奇心の塊。だから、本能的に学ぶことが好きなのである。

でも、それが高度化され、強制され、競争の中に組み込まれ・・・そうこうしていくうちに、学びが苦痛になってきただけのことなのだ。

自分のためでもない。ましてや人のためでもない。ただ、人間として学びたいだけ。ムリせず、嫌いにならない程度に学ぶことこそ、人として自然な姿なのである。

悩むことなく、己の信じる道をゆくことのみが、生涯学習への道に、私を呼び戻してくれるはずである。
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THE SAME THING~♪

2011年02月21日 22時34分49秒 | その他
ベリンダ・カーライル。

いつの頃に買ったのだろう。古いCDが1枚車に積んである。家族には迷惑だろうが、時に、サビの部分を英語で歌う♪

最近の曲は歌わない。いつまでたっても80・90年代である。音楽については、未だ、21世紀に至らない(笑)
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例えそれを知っていても叫ばすにいられない~♪

2011年02月21日 22時13分48秒 | ちょっと立ち止まって・・・
ちょっと昔の曲に遭遇した。

1990年。私が社会人になった年である。

>この声は小さすぎて 
>君の元までは届かない 
>例えそれを知っていても 
>叫ばずにいられない

そう、何かにつけ、「例えそれを知っていても××せずにいられない」ものなのだ。



>こんなところにも
>壁が待っていた
>交わろうとする
>そして乗り越える
>でもすべては水に流れてく

>くぼみに落ちたり
>雨に撃たれたり
>虹の都へは
>遠すぎるようだ
>でも待つことはできない

壁やら、くぼみやら、雨やら・・・人生、色々ある。にもかかわらず、虹の都は遠すぎる・・・



でも・・・

待つことはできない。

もう、15年以上前の曲だが、未だに、私の胸に響くのは何故だろう。
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熟考・・・

2011年02月20日 19時43分31秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今の自分は哲学モード・・・考えている。

というより、今、「何を」学習するのかということで悩んでいる。私の師匠の言葉である「生涯学習は何でもあり」というフレーズを信じてきた。あまり、後先考えずに、どちらかというと、手当たり次第に取り組んできたつもりである。

とりあえず勉強とか、学習とか、資格とか目指そうとする人は、取り組みを始める「きっかけ」や「理由」、「目的」「目標」等があるはずだ。例えば、「給料をアップさせたい」とか「出世したい」「独立したい」「ライバルに勝ちたい」等々。だが、私には、それほど、明確な学習するだけの理由がない。

だから、モチベーションが続かないし、危機感もそれほど感じない。ゴールがない持久走のようなものだ。

キャリア・コンサルタントだからではないのだが・・・

①何のために学習するのか
②何を学習するのか
③いつ終わるのか
④誰のために学習するのか

等々、自分の学習はどうあるべきかについて、悩んでいるのだ。




昔は資格を取得することで自分をごまかすことができた。

その次は通信教育を多数受講することでごまかすことができた。

今は学位を取得することでごまかすことができている・・・




結果、資格は200以上取得、社会人での通信教育受講歴は100以上(大学通信教育を除く)、取得学位13(修士2・学士11)。だから、何なのだ。何になるのだ?一体、何を目指しているのか?生涯学習の道を誤っていないか?・・・そんなことを考え始めると、迷う迷う。「フラ夫も凡夫なり」というところだ。

漠然とした不安に苛まれ、「もっと学習せねば!」と自分にムチを打ち続けてきたが、ちょうど、機構の不合格が、私に学びの再考をするチャンスを与えてくれた。

ごまかしで形成された学習は砂上の楼閣。学習を助長してはならないのではないか。いずれ、砂上の楼閣は崩れ、助長して形成した学習は根っこが腐ってしまう・・・

真剣に学べるようなスケジュールと言うか、カリキュラムというか・・・ついつい、数に走り勝ちの自分の性格を自制して、真に誠の生涯学習を見つけたい。
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ゼミの総会!

2011年02月20日 18時52分12秒 | 産業能率大学
今日は第9回の産能大学時代のゼミの総会が浜松町であった!

幹事なので早く行く必要があったのだが・・・なんと、中央線がストップ!国分寺⇒萩山⇒高田馬場と西武線を乗り継いで、しかも、中央線がストップだから山手線をほぼ半周して、高田馬場から浜松町へ。

当然、遅刻である。

とはいえ、全体の総会は始まってまもなくで到着したので、リハーサルなしの、ぶっつけ本番で会計監査の発表が回ってきただけのことである。ちょっと、噛んでしまったが、無難に発表できたと思っている。

さて、先生もお元気そうだし、同期も2名来てくれたので、本当によかった。後輩やら先輩やらも合わせて、全体の参加者は50名強ってところ。

特にうれしかったのは、産業能率大学大学院に行くきっかけをつくってくださった先輩と、明星大学大学院に行くきっかけをつくってくださった先輩が、ともに参加しておられたこと。万難を排して駆けつけた甲斐がありました。ちなみに・・・最近、気がついたのですが、武蔵野大学大学院の第一期入学の先輩も、この総会に出席されていました。縁とは、奇なるものですね。

一通り、議案や勉強会が終わったところ、今回の総会のテーマは「先生を愛でる会」とのことで、順々にメンバーがマイクリレーをして、先生の思い出話をしていきました。飲み食いし、ビールが回ってきた最後の方に、私もご指名に預かり、先生の思い出をさせていただきました。酔っているので、何を話したか覚えていないのですが、先生を褒めるはずの趣旨を逸脱していたのか、意外とウケてました・・・(汗)。

次回の幹事会、叱られるかも・・・調子に乗って後先考えずに話すと、後で大変なことになるかもね。
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悲嘆のプロセス

2011年02月20日 06時39分15秒 | 生涯学習
グリーフケア特講を履修していたとき、「悲嘆のプロセス」を学修した。未解決の悲嘆は病気の一因となる。悲嘆の例とは、失恋、定年退職、社会的地位の低下、自己像(セルフ・イメージ)の崩壊、とりわけ愛する人の死といった深刻な喪失体験によってもたらされるとアルフォンス・デーケンは言っている。

今回、「受験の失敗」という『プチ悲嘆』に遭遇したわけだ。今まで、資格の試験で何度も辛酸をなめてきているのだが、この悲嘆からの回復プロセスを、私の書いたレポートで振り返りたい・・・

【悲嘆のプロセス その推移について】
 悲嘆のプロセスの推移についてであるが、パークスの心理社会的推移によれば、「心の麻痺の段階」「切望の段階」「混乱と絶望の段階」「回復の段階」という4つの段階より構成される。
 パークスの理論以外にも、色々と悲嘆のプロセスが考えられている。たとえば「精神的打撃と麻痺の状態」「否認」「パニック」「怒りと不当感」「敵意とルサンチマン(うらみ)」「罪意識」「空想形成、幻想」「孤独感と抑鬱」「精神的混乱とアパシー(無関心)」「あきらめ-受容」「新しい希望-ユーモアと笑いの再発見」「立ち直りの段階-新しいアイデンティティの誕生」の12段階の構成を考えるものがある(曽野、アルフォンス1984,P69‐77)。
あるいは、「ショック」「喪失の認識」「引きこもり」「癒し」「再生」という5つの段階について述べているものもある(キャサリン,2000,P60)。
 ただ、いずれの場合にも、悲嘆のプロセスにおける最初の段階としては、「ショック」あるいは、そのあまりに大きなショックに引き起こさえる「心の麻痺の段階」があげられる・・・

以上が、以前、書いたレポートの冒頭部分なのだが、デーケンの「悲嘆のプロセス」が秀逸であろう。

私の場合、デーケンの12段階において、既に、不合格は「笑い話」の域に達しており、今では、もう立ち直りの段階である。「パニック」とか、「怒りと不当感」もあるにはあったが、あまりにひどい結果に、「あきらめ-受容」の段階へとすぐに移行した。で、「新しい希望-ユーモアと笑いの再発見」となるわけだ。

ところで・・・

武蔵野大学で学習するまで「アルフォンス・デーケン」なんて先生の名前は知らなかったもんな・・・。「アルフォンス」で知っている人といえば、「アルフォンス・エルリック」ぐらい・・・って、「アルフォンス・エルリック」って、アニメのキャラじゃん!

デーケン先生の本はたくさん読みました。死生学というか、デス・エデュケーションを学習する中で、必要となったわけです。無論、グリーフケアでもお世話になりました。

得意分野と違う分野を学ぶと、常識として知らなければならないことすら、欠落している自分に気がつきます。そして、それが、自分自身を豊かにしてくれます。

また、「ショック」や「不安」からも、救ってくれることさえあるのです。
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私が怖れること・・・

2011年02月19日 22時18分10秒 | ちょっと立ち止まって・・・
『「やめられない」心理学』という本を読んだ。

「習慣」となったらやめられないということだ。習慣を断ち切るための方策が書かれていた。例えば、「タバコを禁煙するのは難しいが、今と違うタバコを吸うようにすれば本数が減る」といった内容。自動販売機で、いつも買うタバコの隣のボタンを押せ!だそうな。

確かに、激辛カレーが大好きな私も、「甘口カレーを好きなだけ食え!」って言われても、そうそう食べられるものではない。激辛が習慣となっているのだ。

自分の習慣が破壊されることは、非常にストレスとなり、恐怖感を醸し出す。で、今、私が一番怖れるのが、「電車の中で本が読めないこと」である。

立ったまま、1時間ほどの通勤時間を、何もすることなく過ごすのは、かなりの恐怖である。心理学の実験でも、金をやるから、何もせず、ストレスゼロの環境にいてくれって言われたら、多くの人がすぐに根をあげたそうだ。

考えてみて欲しい。「棺おけ」のような箱に入って、「じっとしていろ」って言われたら、どれぐらい耐えれるか・・・私にとって「本なしの通勤時間」は、圧迫された空間の中で、何もすることがない=ストレスゼロの状況なのである。

同様に、仕事がないのも非常に辛い。昔、先輩と喧嘩して、「何もしなくていい!」と言われたことがある。わずか、1時間で根をあげてしまった。仕事がなく、ただ、机にぼんやり座っていることは、私には耐えられない。


世間では「ストレス=悪者」という論調で、ストレスさまを指弾しているが、心理学の実験でも証明されているように、ストレスがなくても、人間は生きていけない。その微妙な加減によって、うつ病にもなってしまうのだが、逆に、ひとつひとつのストレスをクリアしていくことで、人間として大きく成長していくのだ。

時間を密度高く使うのが習慣となってしまっているので、ついつい、何もしない時間というものが、「時間のムダ遣い」のように思えて不安になってしまう。貧乏性というか、心のゆとりも失ってしまっているようだ。
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ガイドブック!

2011年02月19日 20時40分29秒 | 生涯学習
去年もいただいたが、この「大学通信教育ガイド」は、通信制大学研究家には宝物である。

よくコンパクトにまとめてある。しかも、読んでいて楽しい~♪

色々本なんかも読むが、このガイドを見ている方が、確実に時間が過ぎていくのだ。
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新宿!

2011年02月19日 20時37分35秒 | その他
外人が撮っていたのと同じアングルで!
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