「高松→琴平→道後」と、西進する・クリン一行
それと同じように、「高松中学校長→金刀比羅宮禰宜→道後町長」
と
れき(歴)任した、
いさにわゆきや(かんじ:伊佐庭如矢)っていう人について、
ちょっと、ふれておきたい。と、思います
クリンたちがその人を知ったのは、わりとさいきんで、
Eテレの「知恵泉」っていう番組で、「道後温泉本館」をたてた人
と
紹介されていたのを
見たのが きっかけです
彼は、松山はん(藩)に仕える、有のう(能)な役人
で、
ばく(幕)末~明治期を、
松山のために、ほん(奔)走してきましたが、
晩年、道後町長になって はじめたのが、
「温泉街をつくろう」プロジェクトでした
もともと、ここ・道後には、いい温泉が 出たのですが、
近所の人や、牛馬が、つかれをいやす
ド田舎の
さびれた「湯治場」に
すぎませんでした・・
それを、「温泉観光地」として、よみがえらせよう
と 考えたのが、
町長の、いさにわ・ゆきやでした
ゆきやは、「町の財政難克服」や、
「町民の雇用創出のため」と、地元をせっとく(説得)に
かかりますが、
住民からは
なかなか・なっとく(納得)して
もらえず・・
「1500人しかいない町で、そんな莫大な予算組んで、
豪華温泉施設なんかつくって、
どうすんだなもし」と、 大反対されます
しかし ゆきやが、あきらめず、ほうぼうに頭を下げ、
しきん(資金)ぐりをし、
「道後の未来のため」と、みずからは給料返上で
はたらくのを見て、
しだいに、妨害者はへり、みんな・協力しはじめたそうです。
そして
「日本初の公衆浴場」である、道後温泉本かん(館)
が
オープンしたのが、
明治27年
すぐさま、大当たりして、
町はにぎわい、町民はうるおい、
西日本きっての、「観光温泉街」としての 今日を、
切り開いたそうです
「道後・百年の計」をあんじ、行政のらつわん(辣腕)を
ふるいながらも、
「清廉潔白な生き方こそ、人生の基本で、成功の秘訣だ」
と
言いのこしたという、
いさにわ・ゆきや。。
クリンたち、
ぜひ この人がつくった・おふろに入りたい
って
思ったのでした
(その17、「道後温泉3階席」に、つづく)