コロナが始まってからずっとやっていたことがあります。
古文書の整理です。
特に手間どったのがこれ。
160丁ほどの大部の写本です。右側に穴をあけ、紙縒りでとめてありました。
ところが、綴じてある順番が全くデタラメなのです。
頁番号はどこにもふってありません。
目次も無し。
もう、地道に、繋がった文を捜しだして、頁をつなげていくという作業を繰り返すしかありません。
これは、160ピースのジグソーパズルを解くようなものです(^^;
こんな感じです。
ところが、左頁として綴じてあったこの紙は・・・
本来は、反対の左側に穴があって、右頁にくるべきものであったのです。
裏返せば、前頁(左頁)となります。
『婚礼法式』とあり、この写本の最初の頁であることがわかりました。
こんな感じで、全体の三分の一ほどが、反対側に穴があけて綴じてありました(^^;
おまけに、全然関係のない、別の写本も紛れ込んでいました。
『銃備略叙』嘉永年の写本です。が、4丁のみ。
このように滅茶苦茶な写本の綴りを、少しずつ処理をして、最終的に、12のブロックにまとめました。
ここまでで、4か月ほどかかってしまいました(^^;
問題はここから先です。
最初と最後の部分は、すぐにわかりました。
しかし、他のブロックは、互いの前後関係が全くわかりません。どのようにも組み合すことが出来るのです(^^;
作業は、ここで完全に行き止まりました。
ヤレヤレ、4か月をムダに費やしたのか・・・・・
そうだ、苦しい時のネット頼み。
なんと、国会図書館デジタルに『婚礼法式』があるではないですか。
あとはもう、鼻歌まじり(^.^)
伊勢貞丈『婚礼法式』明和2年
上流階級の婚礼法について、多くの図をまじえ、非常に詳細に記述された物です。その一部を紹介します。
「たのミの部」から始まります。
「たのみ」とは、結納に相当する儀式。
座敷違棚の置物。
雉と鯉の置き方。大草流。
銚子とひさげ。
銚子、ひさげに付ける折形、蝶。
貝桶の図。
手箱紐の結び方。
「夜具の部」、こしまきの図。「とのい物」「おんそ」とも言うと記されています。
明和2年に、伊勢平蔵貞丈が著した『婚礼法式』の写本であることがわかります。
なお、最後の頁は、国会図書館の『婚礼法式』にはありません。
ところが、東博デジタルコレクションに、この最後の頁が付加した写本がありました。
東京国立博物館デジタルコレクションより
寛政八年と十二年の違いがありますが、『婚礼法式』の本体部分も含め、故玩館と東博の品は、ほぼ同じです。
私のジグソーパズルで完成した写本と東博デジタルコレクションは、いずれも、伊勢万助貞春が、伊勢貞丈『婚礼法式』を写して、人に与えるためのものだと思われます。
東博デジタルコレクションの写本はその雛形で、相手の名が入っていません。
一方、故玩館の写本は、伊勢万助が、伊勢貞丈『婚礼法式』を写して、伊勢流礼法家、土井主税に与えた物です。
室町時代、将軍の命を受けて発足した伊勢、今川、小笠原の礼法は、江戸時代に入って急速に発達しました。各流派、特に小笠原流の興隆とともに、礼法を教授する礼法家が多数生まれ、混乱も生じました。
その中にあって、江戸中期、伊勢流礼法家、伊勢貞丈は、多数の文献を渉猟して、考証を重ね、礼法を根本的にまとめ直しました。博覧強記の彼の研究は、武家制度、典章、弓馬、武器武具、服飾、婚礼などの諸分野に及び、300以上の書を著したと言われています。
伊勢貞丈は伊勢流中興の祖であるのみならず、日本の礼法を語る時、筆頭にくる人物です。『貞丈雑記』『包結記』『安斎随筆』『安斎雑考』『安斎小説』『武器考証』などが有名で、そのうちのいくつかは、近年、再刊され、読むことができます。
伊勢万助貞春(宝暦十―文化九(1760-1813)年)は、伊勢貞丈の孫(養子の子)、土井主税は伊勢流の礼法家です。伊勢万助は、伊勢貞丈の著作の普及に努めました。
折形など礼法関係の資料は、故玩館コレクションの一つです。いずれ、まとめて紹介します(^.^)
江戸時代に小笠原流が主流になった理由はよくわかりませんが、貴族や上流武士の礼法を、庶民にも受け入れやすいものにしてきたからではないでしょうか。
車でいえばトヨタ。スバルや本田がきらりと光っても、大衆受けするのは何故かトヨタ(^^;
江戸時代でも、上流階級は、伊勢や今川が主だったと思います。
ちなみに、吉良上野介は、将軍や大名に礼法を教える高家の筆頭で、今川の流れをひく吉良流でした。石高は高くなかったのですが、礼法教授の礼で潤っていたはずです。浅野内匠頭は田舎大名で、そういう仕来たりに疎かったのが、松の廊下事件の一因とも考えられます(^.^)
決して無駄な時間ではなかったと思います。私ならとても考えられない仕事です。
小笠原流しか知りませんでした。伊勢流があるのを初めて知りました。
どの礼法に従うのか、礼法は地域に偏りがあるのでしょうかね。
私はもっぱら、趣味に活用していします(^^;
昔は、貴重資料といえばマイクロフィッシュしかなく、解読が大変でした。デジタルになって、本当に有難いです。
江戸時代には、礼法をはじめ、いろいろな文化が栄えました。やはり、平和な時代が長く続いたからだと思います。
デジタル版が公開されるようになると、利用頻度も上がり、利便性が良くなりますね。
それにしても、このような各流派の「礼法・作法」が多数存在する日本は、世界で数少ない国ではないでしょうか? 素晴らしい国だと思います。
当時の写本の技術には、目を見はるものがあります。特に、絵や図などはよく写せるものだと感心します。
まあ、コピーなどはなかった時代ですから、皆、せっせと写したのだとは思いますが。
いやー、間違えました。寛政です。いつもチェックしていただいて恐縮です。早速、訂正します(^.^)
東博のものと同じですね!
東博では、このようなものも集めているんですか。
知りませんでした。
ちょっと、つまらないことで恐縮なんですが、文中の「寛永八年」とありますのは「寛政八年」のミスプリですね。