那須と言えば「殺生石」と言う位有名な場所。
硫黄の臭いが立ち込めて、毒気を放って人畜に害を与えるとの事から「殺生石」と呼ばれる様になったと言い伝えられております。
下にある木道の奥に見えるのが殺生石です。
駐車場から徒歩240mだったか?
下記は由来の看板の写しです。
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殺生石の由来
殺生石は昭和28年1月12日史跡に指定されました。
この由来の概略は、昔中国や印度で美しい女性に化けて夜を乱し悪行を重ねていた白面金毛九尾の狐が今から800年程前の鳥羽天皇の御世に日本に渡来しました。
この妖狐は「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕え日本の国を亡ぼそうとしましたが、時の陰陽師阿部泰成にその正体を見破られて、那須野ヶ原へと逃れて来ました。
その後も妖狐は領民や旅人に危害を加えましたので、朝廷では三浦介・上総介の両名に命じ遂にこれを退治してしまいました。
ところが妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に害を与えましたのでこれを「殺生石」と呼んで近寄る事を禁じていましたが、会津示現寺の開祖源翁和尚が石にこもる妖狐のうらみを封じましたのでようやく毒気も少なくなったと語り伝えられています。
芭蕉は元禄2年4月18日奥の細道紀行の途中にこの殺生石を訪れ
石の香や 夏草あかく 露あつし
と詠んでいます。
注意
殺生石附近は、絶えず硫化水素ガス等が噴気していますので風のない曇天の日はご注意下さい。
昭和52年10月25日 那須町
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硫黄の臭いが立ち込めて、毒気を放って人畜に害を与えるとの事から「殺生石」と呼ばれる様になったと言い伝えられております。
下にある木道の奥に見えるのが殺生石です。
駐車場から徒歩240mだったか?
下記は由来の看板の写しです。
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殺生石の由来
殺生石は昭和28年1月12日史跡に指定されました。
この由来の概略は、昔中国や印度で美しい女性に化けて夜を乱し悪行を重ねていた白面金毛九尾の狐が今から800年程前の鳥羽天皇の御世に日本に渡来しました。
この妖狐は「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕え日本の国を亡ぼそうとしましたが、時の陰陽師阿部泰成にその正体を見破られて、那須野ヶ原へと逃れて来ました。
その後も妖狐は領民や旅人に危害を加えましたので、朝廷では三浦介・上総介の両名に命じ遂にこれを退治してしまいました。
ところが妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に害を与えましたのでこれを「殺生石」と呼んで近寄る事を禁じていましたが、会津示現寺の開祖源翁和尚が石にこもる妖狐のうらみを封じましたのでようやく毒気も少なくなったと語り伝えられています。
芭蕉は元禄2年4月18日奥の細道紀行の途中にこの殺生石を訪れ
石の香や 夏草あかく 露あつし
と詠んでいます。
注意
殺生石附近は、絶えず硫化水素ガス等が噴気していますので風のない曇天の日はご注意下さい。
昭和52年10月25日 那須町
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