平家物語を読み進むに従い、自分にとっての真実と判断が、生死を分けていくことに、色々と考えさせられています。
自分の下した判断が命取りになったとしても、最期は自分の今を受け容れて死んでいく武将が沢山描かれています。
負けることをいかに解釈するかの日本人の原型が平家物語から読み取ることができ、今までピンとこなかった「もののあわれ」が、なんとなくですが、自分にとって身近な感覚なのだということに気付きだしています。
勝つことよりも、負けることに意味を感じさせようとするのは、この「もののあわれ」という日本人のアイデンティティに深く繋がっているように思います。
昨年あたりにイギリスの歴史小説「大聖堂」を読んだのですが、平家物語を比較考察すると、勝つことと負けることの中にそれぞれの違いが見出されてくるのです。
勿論、それぞれの小説は、それぞれの国のアイデンティティの中から生まれているものです。文体も、登場人物の心理描写からもお国柄が赤裸々に表現され、読み手の私のアイデンティティにおいて読書し感じ取っているわけです。
現在の日本の政治についても、奈良時代からの政権争いから考察していくと、現況を今更憂うこともない。。。と思ったりもします。
「悪」とか「負」という概念は、限りなくうやむやで、それよりもそのときそのときの政権に対しての謀反とか反逆に気を取られていくアイデンティティを育んできた日本は、ヘンだヘンだと呟きながらも、その流れの中で多くを主張しないことで生き延びてきた民族でもあるように私の目に見えてきました。
それが、日本人の生き延びる力だとしたら、このアイデンティティをどう利用していくかを考えたほうが健全かもしれません。
「日本人が日本人自身を憂いでいること」自体が日本人のアイデンティティであることをそろそろ受容する時期にきているかもしれません。
そんな思いで平家物語を読んでいくとあっという間に16巻を制覇できるのでは…(@@;)
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自分の下した判断が命取りになったとしても、最期は自分の今を受け容れて死んでいく武将が沢山描かれています。
負けることをいかに解釈するかの日本人の原型が平家物語から読み取ることができ、今までピンとこなかった「もののあわれ」が、なんとなくですが、自分にとって身近な感覚なのだということに気付きだしています。
勝つことよりも、負けることに意味を感じさせようとするのは、この「もののあわれ」という日本人のアイデンティティに深く繋がっているように思います。
昨年あたりにイギリスの歴史小説「大聖堂」を読んだのですが、平家物語を比較考察すると、勝つことと負けることの中にそれぞれの違いが見出されてくるのです。
勿論、それぞれの小説は、それぞれの国のアイデンティティの中から生まれているものです。文体も、登場人物の心理描写からもお国柄が赤裸々に表現され、読み手の私のアイデンティティにおいて読書し感じ取っているわけです。
現在の日本の政治についても、奈良時代からの政権争いから考察していくと、現況を今更憂うこともない。。。と思ったりもします。
「悪」とか「負」という概念は、限りなくうやむやで、それよりもそのときそのときの政権に対しての謀反とか反逆に気を取られていくアイデンティティを育んできた日本は、ヘンだヘンだと呟きながらも、その流れの中で多くを主張しないことで生き延びてきた民族でもあるように私の目に見えてきました。
それが、日本人の生き延びる力だとしたら、このアイデンティティをどう利用していくかを考えたほうが健全かもしれません。
「日本人が日本人自身を憂いでいること」自体が日本人のアイデンティティであることをそろそろ受容する時期にきているかもしれません。
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