五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

喧嘩の仕方

2011年07月25日 | 第2章 五感と体感
喜怒哀楽を発散する一つに「喧嘩」があります。

新平家物語では、家来の喧嘩の様子がリアルに描かれています。

源氏物語でも同じですが、事の発端は、「どっちが偉いか、身分が高いか、」という感情の発露が、ちょっとしたきっかけで、血みどろの争いになってしまいます。

その中で面白いのが「車争い」です。

源氏物語でもそうですが、六条御息所を乗せた牛車を然るべき場所に停めることが出来なかったがために、大騒ぎになります。新平家物語も清盛の孫が牛車に居るのを知らずに藤原一族の家来が道を避けるどころか喧嘩をふっかけてきたために大変な騒動になってしまいます。
どちらも、互いの家来がしでかしたことではありますが、手を下さないボスは、プライドを誇示したり傷つけられたりして、その後の人生に影響していきます。

喧嘩の中の一つの手法として、「駆け引き」があります。
この駆け引きが上手か下手かで、武将の命だけでなく一族の繁栄か衰退大きく別れていくのです。

でも、そんな喧嘩ばかりの時代に、飄々と生き抜いていく人が居るのです。

いつの世も柳の枝のようにするりとかわし、それでいて自分の意思を思うがままに生きようする人です。
平家物語に登場する麻鳥という男です。
もう一人、出家をし、罪悪感で苦しみながらも喧嘩の世界から遠のき歌人として生涯を送る西行という男も居ます。
愛する人の首を切ってしまったことがきっかけで長い期間罪に苦しみ、出家し荒行を続け人生を思索していく遠藤盛遠こと文覚上人もそんな中の一人かもしれません。

彼らの考え方や行動を物語で読むにつれ、喧嘩と争いの中に、人生の幸福とは一体何かを真面目に考えた人が存在していたことに、ほっとした平安感を覚えます。

喧嘩をする前に、私はどんな喧嘩がしたいのか…
何を求めて喧嘩をふっかけようとしているのか…
私は一体、何が気に入らなくて、何を求めているのか?
自分に求めているのか?それとも他者に求めているのか?

自分の喜怒哀楽が喧嘩で解決し悔いが無いのであれば止めはしませんが(笑)←悔いなき人生において本当に大切なことです!!

でも、負の感情を相手や世間に訴える前に、上記の問いかけを自問自答する時間も大切にしたいものです。

いずれにしても苦しんだり選択に悩まないと、先は見えてこないと思うのはいつの世も同じかもしれません。

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