五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

アイデンティティという柱

2012年12月19日 | 第2章 五感と体感
「人は犬に食われるほど自由だ」という写真家藤原新也氏の写真に添えられたご自身の言葉に衝撃を受け、松岡正剛氏の遊学に学ばせて頂き、結局、あれから30年経った今でも、あの時、ガンジス河に立った時の体感は、古い写真を見返すよりも生々しく、あたかも今感じているかのように新鮮な体感で思い出されます。

返って、現在のほうが、あの頃の封印を解いたかのように自由に軽やかに思い返すことができるようです。

私の学びの過程の中で、ケルトについて学んできたことも、繋がりの接点として大きな宝物です。
そこから改めて比較宗教及び比較文化を学んできました。正確に言うと、その学びをしたかった自分が無意識にそれを選んできただけのことです。

東と西の伝承経路を学んでいくと、ある時期の共時性にも気付きます。

人がアフリカから歩きだし、ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡り、北米、南米に辿りつくまで長い長い間、人の持つ普遍性は既に人の身体に与えられており、それが環境によって変化してきただけのことだと思うと、人の持つ魂をあっけらかんと信じることができるのです。

昨日の四ツ谷勉強会は「アイデンティティの統合」がテーマでした。今年最後の勉強会を締めくくる上でも、とても大切なテーマだったと思います。

どんなに取り乱していても、どんなに不安のどん底に居ても、自分自身がそれだけ長い間育まれた遺伝子の伝承体であることを思うと、既に答えを持った統合された状態の中で揺れていることに気付くのです。

人は迷いの中で、自分の正中線を中心に揺れながら生きているのです。

たった一つだけの事を確信めいて信じてしまうと、自分の鋼(はがね)は、大風が吹くとポキッと折れてしまうでしょう。

確かに、確信を持つことは大事なことです。でも、その確信は、自分が持つ引き出しが他にも沢山あることも意識していたほうがもっと太く安定した柱になるかもしれません。

あるときは、鋼に成り、あるときは、風に吹かれた柳に成る。。。。これで好しでは、と思います。

私は私であり、私以外の何者でもないのですから…。

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