五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

厳島神社と平清盛

2012年10月15日 | 第2章 五感と体感
先週、厳島神社を参拝しました。

広島から在来線に乗り換え、宮島口駅まで20数分。

宮島口駅を降りると徒歩5分ほどで桟橋に着きます。JRの船は、15分おきに運行。宮島へは10分ほどで到着。

桟橋からも鳥居が見えます。船は、厳島神社の正面の沖を通りながら、観光客にも厳島詣でのプロローグを味あわせてくれます。

もともと佐伯家の神社で(大河ドラマでは佐伯家当主の役は温水さんが演じています。)、御神体の山は弥山(みせん)。
(弥山については明日書きます)

宮島自体が御神体ですのでお墓もありませんし、信号も無く、神の使いの鹿さんたちの餌付けもしておらず、山の鹿と海の鹿のテリトリーがどうもあるようです。

佐伯家が守る神社を海まで広げ、海の中に鳥居を作らせたのが平清盛です。

ここ二年ほど、平家物語を中心に旅をしてきたのですが、厳島神社を参拝することで、区切りをつけることができました。

清盛がこの神殿を構えることは、海へと思いを馳せることであり、宋との貿易による日本の繁栄を夢見ることで自己実現をめ目指す意志の場であることをしみじみと感じることが出来ました。

平家物語は、祇園精舎の鐘の声。。。おごれるものも久しからず。。。から始まり、結局、この冒頭の数行ですべてのような気持にされられたのも、厳島神社に立つことで湧きあがってきた思いです。同時に清盛そのものに焦点を当てることもできました。

平家物語を読むにつれ、源氏がいなければ平家もなく、平家がなければ源氏もない、そんなメビウスの輪のような感覚になっていたのですが、厳島神社に立つことで、清盛というカリスマを素直に感じることができました。

やっぱり、清盛は大器であるな、と。

昨晩の大河ドラマの中で、清盛の本質を私の解釈に近い形で表現していたと感じましたし、後白河法皇にしても、「いまよう(今様)を愛する」という台詞の中に、御白河法皇のアイデンティティにしっくりしたものを感じました。

いまようの中で生き抜いてきたからこそ、生き抜くことができた法皇だったのかもしれません。

今年の初めに、御白河法皇の持仏堂「長講堂」で拝見した「現在過去帳」(法皇自身が現在気になる人を書き連ねたもの)は、法皇の人柄とぴたりと重なっているのです。
いまようを大事にするということは、今この時に活躍している者を気にするということでもあります。その中で法皇としての自分の立ち位置を上手に天秤に測っていたのではないでしょうか。崇徳のような生き方はしまい、という信念のようなものも感じます。

清盛にとって栄華という装飾は単なる装飾に過ぎず、大きな柱を押し通したことの図太さは、一般的に感ずる日本人のアイデンティティからすると、とてつもなく無骨で大きすぎるのです。
結局、その無骨で大きすぎるものを繋いていく知恵者の存在が、彼を孤立させなかったことも確かなわけです。

時子の弟時忠、時子の妹滋子、そして平氏の養子となった元海賊の盛国。この人々の存在が平家一族を盛りたてていったわけで、平家を語るには外すことのできない人物なのです。

清盛の大器は、大きすぎるがゆえに平家一門でさえも理解し得なかったのではないであろうか。。。というのが、厳島詣で考えた私の清盛像です。

そもそも、平清盛にしても平家の血が入っているわけではないのです。平家という器を使いながら平家を利用したのは、もしかしたら清盛自身だったのかもしれません。。。勝手な所感をお許しくださいませ。

つまりこのこと自体が、諸行無常の所以かもしれない、と思うのは、私の新説?やもしれませぬが。。。

今日は、こんなところで。。。では、また明日^^。

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再掲載「源氏と平氏」

2012年10月13日 | 悔いのない人生とは?
2012年7月20日の再掲載です。

↓↓

今の政治と国民の関係は、律令制度を制定した奈良時代とさして変わらないなぁ・・・、と思います。
奈良時代の頃の国家形成が、私達日本人のアイデンティティとして備わっているように思う事がしばしばあります。

平安後期、政治を変革すべく立ち上がった平氏と源氏も元を辿れば、桓武天皇、清和天皇なわけですが、皇位継承(後白河と崇徳)を争った保元の乱を皮切りに武士の存在価値を高めていったのが、源氏平氏です。

ここから平清盛が優勢となり、源義朝は平治の乱で敗れ、結局身内に殺されるわけです。

平家物語を読んでいると、戦いがあるごとに、落ち武者となり源氏が平氏に寝返ったり、平氏が源氏に寝返ったりと、大物の武将が生き延びるために自分の身の置き所を変えていく話が沢山盛り込まれています。

負けた武将に付く兵が、深い山の闇に紛れて、散り散りになっていく様を想像すると、果ててゆく最期までボスについていくことよりも落ちて生き延びることを選ぶことを良しとすることは、私の身体の中にも落ち延びの正当性がしっかりと根付いているように思います。祖先が生き延びてきた方法が自分の遺伝子の中に記憶させているからのように解釈しています。

奈良時代から生き延び、源氏と平氏、取ったり取られたりの戦乱の世を潜り抜けてきた祖先を思うと、今現在生きている自分は奇跡の生命だな。。。と、思うのです。

武士であった私の祖先が、大政奉還によって家臣を引き連れ北海道に渡ったことも、生き延びるための方法だったわけです。

「何か重大な岐路に立たされた時、自分は何を柱に生き抜いていくか。。。」
日頃の暮らしの中で自問自答してみることは、つらつら思う程度で良いとは思いますが、何か突発的な事が起こった時の判断に役立つことは嘘ではないと思います。平素考えていることが、生き延びる事に繋がるとしたら、自分は自分の心と魂と身体を大切にしているかをふと思い返してみるだけでも良いかもしれません。

源氏、平氏に囚われることなく、自分自身を大切にし、生き延びていきたいものです。

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ブログ再掲載2「山の辺の道」

2012年10月12日 | 悔いのない人生とは?
去年2011年10月13日のブログ再掲載です。

↓↓

10月9日はお天気も良く、長時間歩くには最適な天候でした。

いずれは歩きたいと願いながらもなかなか叶わず、ようやく実現した「山の辺の道」ハイキング。

天理の石上神宮から歩き始め、大神神社までのおよそ11キロ。昔はあぜ道だったところがほぼ整備され歩きやすいため、老若男女が気楽に歩くことができます。名残あるあぜ道はわずかとなってしまいましたが、田畑の間にぽつりぽつりと古墳、明治の廃仏毀釈で取り壊された寺跡、小さな神社、大きな神社、道端の石仏等を辿りながら、ゆっくりのんびり実りの季節を楽しみました。

いにしえの人々の様々な想いを知っている山の辺の道は、人の歴史と共に歩んでくれている道なのかもしれません。

9月の台風が田畑を荒らしたらしく、なぎ倒された稲田も見かけました。それでも金色の穂を揺らし、秋の陽を懸命に吸収しているように見受けられ、心強くも感じたり、たわわに実る柿の実に豊かな温かみを感じたり…

木陰を求めて神社の境内でお弁当を広げる人々が、愛おしくも感じたり…

目的の大神神社に着くころはすっかり日も暮れ、参道の燈明を頼りに三輪駅へ。

ほんわりと達成感が湧き出して、奈良の居酒屋で、女5人は俳句に夢中となり、生ビール片手に言葉が溢れ出し、いつしか宴は俳句の会へと…^^

というわけで、一句、

三輪山の 東立つ月 橙(ダイ)のそら

・・・お粗末さまでした~

奈良の旅編 3


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今日も再掲載「雲隠れ」

2012年10月11日 | 悔いのない人生とは?
2011年10月11日のブログ再掲載です。
↓↓

源氏物語の光源氏が亡くなる章は「雲隠れ」ですが、その章は、空白です。タイトルしかありません。この世とあの世の境目を考えるとき、この「雲隠れ」が思い浮かびます。

奈良時代、中国に習い律令国家を目指します。杓子定規で測ることは簡単でしょうが、働いて税を納める義務を果たすことのできない人々は、隔離されていきます。

奈良豆比古神社が建てられた奈良坂は、平城京の外れであり、他の都市を結ぶ道の分岐点に位置しています。
奈良坂には多くの芸能者が育ち、集まり、そこから日本全国へと散らばっていき、取りまとめの組織も生まれたようです。

神社に祀られた志貴皇子は、万葉歌人であり、多くの歌を残していますが、政治を司ることには興味がなかったようです。その息子も芸能を愛します。奈良時代の血なまぐさい戦乱から一歩距離を置き、芸術に親しんだことで生き延び、桓武天皇を生むこととなります。
奈良坂の歴史を知るにつれ、境界線の存在は、日本人のアイデンティティを育んできたと言っても言い過ぎではないように思います。

光源氏の「雲隠れ」すなわち「曖昧」の中に、自分の心を糺し、真理を心の奥底に鎮座させる力が備わっているようにも思います。
奈良坂で見た境界線の曖昧さには、西洋で生まれた心理学の用語には該当しない日本人としての私の統御感の素地が隠れているようです。まだ、言葉は見つかりませんが、自分の腑に落ちる相応しい言葉を探しながら、言語化していくのが私の修業のようです。

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去年のブログ再掲載「奈良豆比古神社」

2012年10月10日 | 第2章 五感と体感
去年のブログの再掲載シリーズです。

☆☆2011年10月11日のブログから
↓↓

今回の奈良の旅は、奈良豆比古神社の翁舞を拝見することが主な目的でした。

この奈良豆比古(ナラズヒコ)神社は、「いわばしる 垂水のうえの さわらびの 萌えいづる 春になりにけるかも」(万葉集)を詠った志貴皇子(田原天皇)を祀る神社です。志貴皇子は天智天皇の子であり光仁天皇の父です。延喜式神名帳(えんぎじんめいちょう)によると「771年正月二十日に奈良山春日離宮に祀る、つまり、奈良坂に祀る」と記されてあるそうです。

田原天皇は「春日宮天皇」として。高円山の裏「矢田原」に御陵があります。
この春日宮天皇には二人の子がおり、その子供が散楽俳優を好み、父の病を芸能をもって祈り治癒したことが、猿楽をこの神社から発達させたと言われています。

申楽・能楽・翁三番ソウの面は、ここからはじまったったとされています。つまり、能楽の源流である猿楽が、奈良豆比古神社で発達した、ということです。

毎年10月8日夜からの奉納「翁舞」は、保存会や町内の方々の尽力で守られており、国の無形文化財に指定されています。

奈良坂については、明日あたりに書こうと思いますが、歴史を語る上で見逃すことのできない場所に、この神社があることの意味を捉えつつ、奉納舞を拝見したことで、私の学びも一歩進んだように思います。

:樟(くす)の木:

平城京、遷都千三百年と同じくらいの樹齢とされる御神木の樟の木は、近づくことができないくらいの強い「気」です。神社の横を沿い、奥の森に入ろうとすると、山の西から冷たい空気が吹き流れ、そこから数歩歩くと、人を簡単には寄せ付けない磁気を感じました。まるで、プラスとプラスの磁石が互いを寄せ合わない感覚を身体で感じると、鳥肌が立ち、それが醒めるまで立ち竦むしか術がありませんでした。ひっそりと樟の袂に佇むために、きっとまたここを訪れると思います。

今日はここまで。^^//続きは明日・・・

「翁講・翁舞保存会の冊子参照」

奈良の旅:1

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平清盛という人

2012年10月09日 | 第2章 五感と体感
平清盛、という人を語ろうと思っても、本当の父と母を知らない清盛の思春期の憂いの時期までは、私の身の丈で理解できるのですが、平氏の頭領となり、福原に夢を抱き、理想に向かってまい進していく清盛を想像しようとすると、私の身の丈では、想像の域を超えているように感じ、想像しにくいのです。

たぶん、とても大きな人だったのだと思います。

清盛の意志の太さによって、平氏方の周囲があたかも清盛の力そのものになったかのようになり、現実を吟味する力が徐々に削がれていったようにも思うのです。

たった20年数年の平家全盛の時代に作られた平氏のアイデンティティが、850年経った今でも語り継がれているのは、それだけ清盛の理想が大きかったからかもしれない、と、ふと、思いました。

昨年から一年以上かけて、平家物語を読み、平氏のみならず、源氏の所縁の地、奥州へと足を運んできました。

理想という意志の大きさの揺るぎなさは、指揮する側の意志の力と同じです。
統率者が意志を失えば、砂上の城のようにグズグズと消え去ってしまいます。

週末に、二泊三日の勉強会で平家物語をテーマに「生き甲斐の心理学」を学びます。

師匠との打ち合わせの中、ふと、平清盛の大きさに改めて気付き、今更ですが諸行無常の響きあり。。。という平家物語の出だしの意味が私の中で腑に落ちたのです。

ある意味、意志ある大きな存在に振り回されることは、幸せなことかもしれませんが、意志が見えないのに頭領ぶっている人に振り回されることだけは、避けたいな、と、思います。

もともと持ち備えているアイデンティティを大事にせずに海の上を彷徨っている船は、ひょっとしたら私が住んでいるこの国かもしれません。

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役割を担う事

2012年10月08日 | 第2章 五感と体感
それぞれの箱に属していると、それなりに役割が回ってきます。

学校にしても町内会にしても、家庭であっても何らかの役割を担うことで、和を保っていくのは、人間の傾向であるし、生物全体の種の保存に繋がっていくものであると思っています。

大げさかもしれませんが、そうだと思います。

何らかの役割を担うことを拒否していくことは、その集合体との関係性を断ち切っていくことと同じです。

これも大げさかもしれませんが、そういうものだと思っています。

誰かがやるからいいや…

そんな面倒くさいこと、私は嫌いだ…

嫌なことはやらないで済ませたい…

私自身、集合体をまとめていくことは、ほんとうに面倒くさいと思う事が度々あります。

でも、「やる人が居ないと、仕様が無いなぁ~~と思いつつやる人が居ないのだったら、やるか。。。」という図式いつものように私の中で成り立ち、役割を担う事が多い傾向にあるようです。
そして、案外役割を担ってみると、普段出合えない様な興味深い傾向の人と出会う事ができるので、こういう仕事をしている私には傾向対応の修業の一貫のようで、興味深く勉強させていただくことが多いのです。役割を達成すると喜びだって湧いてきます。

役割を担う事は、点と点を繋げることでもあります。

人との関係性を繋げることにも面白さを感じます。

同じように面白さを感じながら、役割を担い合い、親交を楽しむことが出来る人とお付き合いすることは、自分の満足感にも繋がります。

孤独感を自覚している人ほど、さらりと役割を担っているようにも思います。

孤独感を自覚していない人ほど、役割から逃げていく傾向があるかもしれません。

ちょっと手厳しい言葉かもしれませんが、世の中、こういうバランスで成されているようにも感じます。

やる人が5%、やらない人が95%、、、もしかしたら、こういう割合のバランスで地球の生命体が維持されていくのかもしれません。

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意志という言葉

2012年10月07日 | 第2章 五感と体感
意志あるところに道あり

という言葉は、誰でも知っている言葉ですが、この言葉をようやく使えるようになってきました。

自分の中に強い意志もないので、畏れ多くて自分の口から発することを憚っていたのです。今も具体的な強固な意志があるわけではありませんが、「自分が生きることのデザイン」が、好む好まざるに関わらず、ああ、これが自分の生きるということのデザインなんだ、ということを受け容れることができるようになってきたのかもしれません。

自分が描いてきたデザインを今更、真っ白な紙に戻す気もありませんし、描き損じたとも思っていません。

今という現実から先をどう生きるかは、自分のデザインに既に描かれているはずですし、無から有を生むことは不可能です。

必然性というデザインの中に自分が活かされて、その与えられた意味を考えながら解釈しながら生きていくのが人間の姿であるように思うのです。

自分が考えて、解釈したことを信ずることができたならば、あとは決断と行動しかありません。
決断と行動という力を備えるのも自分自身の問題です。

決断するという余裕も無く、行動に移らなくてはならないことだってあるわけです。人生にはそんな場面は山ほどあります。

あまりにも自分のプロセスを大事にしすぎて決断ができないとしたら、それも自分の個性であると居直る必要もあるかもしれません。

決断できない迷いが自分の意志であるとすると、そうしながら生きていく術を身につけていくことだって可能なはずです。

他者の人生をデザインすることはできませんが、自分の人生をデザインすることは自由にできるはずなのですから^^。

私が感じる感性や体感は、他者に同じようには通じませんし、もともと人は孤独を恐れる生き物であることも、時々思い出したいものです。

自立することと、孤独である自分を受容していくことは、セットになっているように思います。
意志とは、その葛藤から生まれていくようにも思えるのです。

孤独な自分の扱い方を年齢を経れば経るほど上手になっていきたいと思うのが、私の意志かもしれません^^;

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パリの空気

2012年10月06日 | 第2章 五感と体感
夏の間、ほったらかしにしていた髪をどうにかしてもらおうと美容院に行ってきました。

昔のようにベリーショートにすれば、着物を着る時もいちいち上げなくてもいいし、あれこれと気遣うことも必要ないし、、、と、思うのですが、せっかく伸ばした髪の毛を切ると、今回は、死ぬまでショートになりっぱなしになりそうな気がし、そう思うと踏み切れず、せいぜい肩まで切って頂くことで留まりました。

美容院の経営者であり、いつも私の髪をどうにかしてくださる美容師さんは、もうかれこれ14,5年のお付き合いです。ヨーロッパの歴史や美術、建築、写真等の話をし出すと、ハサミを置いて互いに語り出してしまうほど、自分の感性を言葉で表現できる楽しい方です。

今年は夏前に初めてパリに2週間滞在。コンドミニアムを借り、パリをゆっくり歩くことができて大満足だったそうです。

「そうそう、パリは、働きもののパリっ子を知ってから、興味が始まるのよ~~」という共通概念でまた盛り上がりました。街中で多少の生活を味わってみると、それが五感で味わえるのです。

決して大きくないアパートに暮らす庶民の日常に触れると、オンとオフの使い方にメリハリを感じながら、一人一人の哲学とか信念が見えてくるのが面白いのです。
必死に生きることと人生を楽しむことが共存しているということを直に身体で感じる経験をしちゃうのもパリかもしれません。

個々の個性の強さ美しさが、Café文化を生んでいくことも理解できるような気がします。

そろそろ冬支度のパリ。公園の木や街路樹の葉が色付く頃です。

奈良は私の魂の故郷ですが、パリは私に生きていくことの矛先を見据えることを感じさせてくれる刺激を与えてもらう場所です。

人生は旅そのもの~♪なぁんて、ちょっとシャンソンぽく言ってみました(笑)

秋の空気と入れ替わり、秋の気候がようやく落ち着きだしました。夏の疲れは取れているでしょうか?季節の入れ変わりは体調が優れません。ゆっくりとお休みできる時は、ゆっくりすることを意識したいものです。

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理想の高さ

2012年10月05日 | 第2章 五感と体感
「自分の理想の高さは、そんなに高いものではない」
そう思うことの落とし穴を時々痛く感じることがあります。

普通であればいい。
皆と同じであればいい。

たったこれだけのことが叶えられないのは何故なんだろう?と、思い苦しむことで、理想と現実のギャップの大きな開きを感じることが度々ありますし、私自身、この落とし穴に落ちることが時々あります。

自分自身が思う「普通」とは、一体何でしょう?

その普通こそ、自分の理想であることを思うには、自分の思い描く「普通」を改めて思い巡らしてみることが大事かもしれません。

普通=理想を想い描き、そこから湧き出してくる自分の不安感とか不満感、怒り等の「湧き出す感情を」静かに意識に上げることができるでしょうか。。。

案外、100億円欲しいという理想から湧き出す自分の感情よりも、普通でありたいという理想から湧き出す自分の感情のほうが根深いかもしれません。

理想の高さは、スペシャルで大きなことが「理想」というわけではなく、自分の中に湧きあがる不安な感情のあちら側にあるものが自分の理想であることをここで感じ取って頂けると幸いです。

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若い御神木に会った

2012年10月03日 | 第2章 五感と体感
昨日の仕事帰りに、電車が止まりやむなく足止めを食らい、仕様が無いので自由が丘で時間を潰しました。

日中、いつも分刻みで動いているので「時間を潰す」という発想が何か新鮮で、どうせならうんと時間を潰そうと、自由が丘散策を試みました。

自由が丘の街は、広い範囲にわたって小さなお店が連なっています。個性的なセレクトショップも多く、ぶらぶら歩くにはうってつきの場所でではあるのですが、古道具や古裂や古書ならワクワク楽しい私が、一人で歩くには、ちょっと手持無沙汰です。そんな私が引き寄せられるように、こんもりとした森へと導かれたのです。

そこは神社でした。熊野神社。

へぇ~、自由が丘に熊野神社があるんだぁ~~

と、思いつつ、境内の横道から入ると、神楽殿が目の前にあり、横をみると本社があり、その社を守るように楠が茂っていました。私はこの楠に導かれたわけです。

自由が丘の熊野神社は、実際には目黒の熊野神社ということで、江戸時代に熊野詣をした人々が、その印として熊野神社から分社していただいたのが始まりだそうです。歴史は百五十年と浅いのですが、目黒の神楽は、ここで見ることができるようです。

住宅街の真ん中にあり、しかもお天気が悪かったので方向が解りにくかったのですが、帰宅し地図で確認すると、江戸時代は鷹狩りの場所であった場所を背に、小高い山に多摩川を見降ろし、本社である熊野神社の方角に向いているように見受けました。

去年の今頃に観た奈良坂の楠は、樹齢千年をとっくに超えていて、多分奈良豆比古神社建立よりも以前に既に御神木であったであろう楠です。それに比べると、まだ若く初々しい楠は、きっとこれからも自由が丘の街を守り続けるのでしょう。

時間潰しで出合った楠に、何となく将来を託す自分の心が合わさったように思いました。

千年先の楠の成長を楽しみに。。。またお参りに伺います。

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すでに自由の中に生きている

2012年10月03日 | 第2章 五感と体感
自分に不自由さをもたらしているものは、何なのでしょう?

私自身、仕事に関してとかお金にまつわること、勉強が足りていないことへの未達成感、人間関係に関して等、不自由さを感じることはしばしばあります。

でも、

「あなたはすでに自由の中に生きている」と言われたら、「たしかに、そうかもしれない」とも思います。

自分を不自由にさせているのは、何なのでしょう?

昨日の腰越勉強会で、改めて「自分が木だとしたら、何の木であるか?」という設問について吟味してみました。

昨日もやはり、ルンビニの菩提樹が浮かんできました。ここ一週間、あちこちの勉強会で、私自身もこの問いかけを皆さんにし、自分自身も考えてきました。

根っこがノビノビと張り、幹もしっかりしつつ、光が当たる方にくねくねと動き、枝も同じです。自分が育つのに都合のよい方向を自然と察知してそちらの方向に伸びていくイメージが強く湧いてきます。
菩提樹の隣にビルができて日陰になってしまっても、きっと光の方向に伸びていくのが、私の菩提樹のようです。

そう解釈している私は、「あなたは、すでに自由の中に生きているのよ」と、言われれば、成るほど、と思うわけです。

あまりにも理想と現実のギャップが開きすぎているのであれば、自分の現実吟味力を点検し直す必要がありそうですが、自由の中に生きている自分を生かしていく自分が「心と身体と魂」を大切にしていることを自覚してさえいれば、なんとか成りそうな気がします。

もし、心も身体も魂も大切にしていると思えないなら、また振り出しに戻ればいいのです。

案外、人は単純な摂理の中に生きているようにも思います。

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台風と名月

2012年10月01日 | 第2章 五感と体感
昨晩は、嵐のため、多くの電車が止まってしまい、立ち往生された方も多かったのではないでしょうか?

私は、台風通過を家で過ごし、大河ドラマの清盛もゆっくりと観ることができました。

平家であらんずば、人にあらず。

他を排斥していきつつ、徳子を高倉天皇に嫁がせ、ますます地位と名誉を我がものとする平家の人間関係が解りやすく描かれていました。

そして、昨日は中秋の名月。ドラマを見ながら、ツイッターの掛け合いをすることが私の密かな楽しみなのですが、昨晩は、「名月と小督と高倉&徳子」を重ね合わせ、呟きを返してくださった方がいらっしゃいました。

嵐の中、帰宅した息子が、「雨は降ってないよ」と言うので、もしやと思い、外に出ると南の高い空に、煌々と瞬く月が浮かんでいました。速い速度で流れて行く雲の合間から、動かずに居る名月が、一層美しく瞬いているように見えました。

場所は、嵯峨野、、、離ればなれの小督の局が、名月の美しさについ奏でる琴の音を、800年以上の時を経た私の耳に聴こえてきたのです。
時空を超えるとはことのことかもしれません。

大河ドラマのお陰で、名月を愛でることができ、ツイッターの呟きの言霊は、使いようによっては詠い合う人との関わりのように思え、言葉は言霊だと、心底感謝しました。呟きの主に感謝感謝です。

「感性をどこに繋げていくかは日頃の志によるものよ」と、野分に愛でた名月から教えていただきました。

名月に聴きたし小督の奏でん音  また、お粗末な一句。。。(笑)

本日は、保護者勉強会。明日は、腰越の勉強会です。皆様との再会を楽しみにしています!

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