五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

他者との関係

2012年11月13日 | 第2章 五感と体感
他者との関わりにおいて、毎度毎度自分が陥るパターンがあるとしたら、何でしょう。

相手が違っても、いつも同じパターンで自分がストレスになるとしたら、他者を批判する前に自分の傾向を再確認してみたほうが解決が早いかもしれません。

そんな時、そんな自分を受け容れることなど出来ないのは、当たり前でしょう…。自分の傾向を洞察して修正するなんてことは、そうそう簡単にできるものではないと思いますし。。。

では、どんな思いを湧かせて自分を再点検すれば良いのでしょう。

「自分は、どんなふうに人から愛されたいか」「自分は、他者をどのように愛しているのか」

このことを、思い巡らしてみると、自分の他者との関わりの傾向が見えてきやすいかもしれません。

幼い頃から現在に至るまで、どんなふうに親から育てられたのでしょう。。。育てられた通りに自分を活かしているのか、親の育て方の反面教師で他者と関わっているか、、、人によって色々な思いが湧いてくると思います。

他者との関係が、自分自身との関係と深く結び付いていることを知ると、ちょっとは自分自身の囚われから自分自身を解放することができるかもしれませんし、他者との関係は、まずは自分の傾向を知るところから始めると案外自分の問題に突き当たるように思います。

他人の事より、まずは自分の事、ということ、ですね…。

日本は、季節の変わり目。寒気がどっとやってくると急に寒くなることでしょう。お身体ご自愛ください^^//

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他者との関係

2012年11月13日 | 第2章 五感と体感
他者との関わりにおいて、毎度毎度自分が陥るパターンがあるとしたら、何でしょう。

相手が違っても、いつも同じパターンで自分がストレスになるとしたら、他者を批判する前に自分の傾向を再確認してみたほうが解決が早いかもしれません。

そんな時、そんな自分を受け容れることなど出来ないのは、当たり前でしょう…。自分の傾向を洞察して修正するなんてことは、そうそう簡単にできるものではないと思いますし。。。

では、どんな思いを湧かせて自分を再点検すれば良いのでしょう。

「自分は、どんなふうに人から愛されたいか」「自分は、他者をどのように愛しているのか」

このことを、思い巡らしてみると、自分の他者との関わりの傾向が見えてきやすいかもしれません。

幼い頃から現在に至るまで、どんなふうに親から育てられたのでしょう。。。育てられた通りに自分を活かしているのか、親の育て方の反面教師で他者と関わっているか、、、人によって色々な思いが湧いてくると思います。

他者との関係が、自分自身との関係と深く結び付いていることを知ると、ちょっとは自分自身の囚われから自分自身を解放することができるかもしれませんし、他者との関係は、まずは自分の傾向を知るところから始めると案外自分の問題に突き当たるように思います。

他人の事より、まずは自分の事、ということ、ですね…。

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自分の枝葉

2012年11月12日 | 第2章 五感と体感
生育史は宝物です。
自分の感情は、自分の生育史によって育まれた考え方によって湧き出してきます。

何も無いところからは湧き出さないでしょう。

「心は自由です」と言われても、何かきっかけが無い限り、いつも同じ考え方と湧き出す感情で過ごす方が多いかもしれません。

アトリエモンキュールで講座に組み込まれている生き甲斐心理学講座は、昨日も身体と心に優しいお料理を頂きながら、ゆるりと勉強会が始まりました。

食することでリラックスしてくると、自分の枝葉が広がっていくような体感になります。
樹木に例えれば、幹だけで生きていると、枝葉の優しさがわかりません。

幹だけ大切にしようとすると、枝も葉が見えません。見えないと栄養も行かず、枯れてしまいます。
枝の葉っぱが光合成をすると、幹はどんどん丈夫になるのです。

自分の枝葉は、多様性の受容や何かとの繋がりや、他者への興味とも置き換えることができそうです。

枝の先についた葉っぱが、隣の樹木の枝に触れた時、何かが生まれてくるようにも思います。そんな風にして人との繋がりを慈しんでいきたいと思うことをしみじみ感じた勉強会でした。

自分の枝葉は、どこかに繋がっていることを信じている人は、きっと何かを生み出す力も秘めているはずです。

やっぱり、「砂の一粒一粒が繋がって関係していくことで大きな役割を担う」というガンジスの砂粒の思想は、私の原点であるようです。枝葉も同じです。

週末に一区切りできた満足感が、雨上がりの週明けの気分を夭夭(ようよう)とさせています。

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お気に入りの喫茶店

2012年11月11日 | 第2章 五感と体感
昨日は表装の作業を終えてから、電車に乗って隣駅に。

私の気分転換はカフェにふらりと入ることで効果テキメンです。その喫茶店は、カフェではなく、喫茶店と呼びたい珈琲専門店です。マスター一人で切り盛りしているので、ちょっとお客さんが多くなってくると、「かなり待つことになりますが。。。」と、柔らかく意志を表します。

仕事にしても趣味にしても、ともかく落ち着くことが必要なので、5分でもコーヒータイムを取ることが出来る時は、ささっと入って、深く呼吸して、コーヒーの香りを吸い込みます。
昨日は、のんびりしたかったので、のんびりと目の前で入れてくれる所作を楽しみ、香りを楽しみ、存分に気分転換ができました。

コーヒータイムは、「あら不思議」気が合ってくるのです。

今日から、銀座で私が所属する表導会の展覧会です。これから下げ干しした掛け軸を巻き出かけます。午後からは代官山アトリエモンキュールの講座内で生き甲斐の心理学の講座です。

どこで一息入れるかは、もう決まっています。

お気に入りの場所で一杯頂く珈琲に感謝しつつ、今日も、気を合わせて、気が荒立つことを回避しながら過ごしたいな、と思います。

そのためには、早め早めに移動することも必要ですね。。。

よき休日でありますよう^^//

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心の自由

2012年11月10日 | 第2章 五感と体感

スロベニアのエルサレム村の郷土料理のレストラン

土日くらいはのんびり過ごしたいと思うのですが、仕事なのか趣味なのか、趣味なのか仕事なのか、境界線が解らない生活を何年もしているような気がしています。ここにきて益々境界線が無くなってきたようです。

旅をしても、仕事なのか趣味なのか曖昧です。

仕事なのか趣味なのかの判別のつかない生活をしているということは、好きなことをしている、ということにも繋がりそうです。結局、自分の仕事が好きだということなのです。

つまらない気持で仕事をしていると、自分がほんとうにつまらない人間に成るような気がします。

楽しく仕事をしていると、何となく周りから人がやってきます。


エルサレム村のブドウ畑

楽しそうだと、覗きたくなるのは、自然の摂理です。有難いことです。

よい「気」を身体に通し、正直に生きながらも、反省しながら軌道修正して歩むことを心がけたいものです。
それが「心の自由」というものなのかもしれません。

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身体で見えてくる感触

2012年11月09日 | 第2章 五感と体感
人生を先に歩いている人は、歩いた軌跡から物云う事ができますが、人生を先に歩いているからといって、その人の言う事が正しいとは言い切れません。

生まれてきた時代、環境が違えば、解釈も随分違います。

そうは言っても、経験者の言葉には、体験してきただけの重みがあります。

つまり、実際に経験してきたことの結果が解釈=言葉にでてくるわけで、経験していない人の解釈とは重さが違うのは当然のことでしょう。

仕舞いの稽古を付けていただきながら、師匠の謡いから映像が見えてくることが時々あります。でも、その映像は、私が見ている映像であって、他の人に見えるわけではありません。

自分が見えているものを身体で形式的に表現することは、究極の抽象化だと思うのです。

人の醸し出す何かが形式を裏打ちし、一体としての美が形成されていくことが、能楽の面白さでもあると感じています。

形式に裏打ちする「私そのもの」が、表裏一体として見えてくることが、怖くもあり私を魅了するものでもあるかもしれません。

あれこれ言葉で語るにはまだ早いとは思うのですが、身体で見えてきた感触を感じる今日この頃。
ちょっぴり進歩したような自分に、続けることの大切さを改めて意識しています。

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NPO法人の経営

2012年11月08日 | 第2章 五感と体感
生き甲斐の心理学の教育普及活動を行うために設立した「NPO法人CULLカリタスカウンセリング学会」は、11月でまる7年となりました。お陰さまで会報は今回で20号となりました。

NPO法人は、会社組織となんら変わらない経理を行い、その上、決算報告等はNPO法に基づき、提出するべき書類も多く税務署へは株式会社よりも面倒な手間もあり、助成金を受けていれば尚更の事監査が厳しくなります。

正会員は、NPO法の法律上、「社員」と呼ばれています。たぶん規約をちゃんと読んでいない人には解らないことかもしれません。(というわけで、正会員さんは最低限、規約をちゃんと読んでくださいね。)

たぶん、どこのNPOでも意識化する必要のある問題、つまり問題意識は同じように思います。

兎にも角にも、賛助会員の方々や正会員から年会費を頂き、細々と経営し続け、7年という歳月が経ったわけです。

支えてくださっている皆様のお陰で、教育活動を広げ、深めることができています。

私自身も、通信教育を行うユースフルライフ研究所で仕事やアシスタントをさせていただきながら、二つの教育活動に従事させて頂いています。
ユースフルライフ研究所では、通信教育にてカリタスカウンセラーを養成し、
NPO法人CULLカリタスカウンセリング学会では、生き甲斐の心理学の教育普及活動に専念しています。(カリタスカウンセラー3級以上取得した方が生き甲斐の心理学の教育活動をNPO法に守られながら活動する場です。)

NPO法人の経営は、会社の経営と同じであることを忘れてはいけないのです。

最近は、NPO法が厳しくなり、安易な趣旨で始めた法人は淘汰されているようです。その分、ノウハウを持った箱作りの上手い団体ばかりが生き残っていくのにも問題はあるかもしれませんが、私達のような小さな団体が、7年間生き残っていることは、とても貴重なことだと思っています。

相変わらず、助成金を受けず、のびのびと自助努力で経営している私達のNPOを支えてくださっている賛助会員の皆様に、感謝しています。

来年は、賛助会員の皆様との具体的な交流を考えておりますので、益々ご支援よろしくお願いいたします。

そして、正会員である社員の活動が、NPO法の下で広がっていくよう願っています。

いつも、ブログを読んでくださっている皆様にも感謝申し上げます。私の身の丈を綴ることは私自身の整理にも繋がっています。今日は、ちょこっと固い話で、申し訳ありませんが^^;・・・。NPO法人の経営者の一人として、そろそろ正中線を糺し直す時期でもあるので、書いてみました。

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現実を吟味する力

2012年11月07日 | 第2章 五感と体感
自分の置かれている環境や立場、状況は、活動すればするほど多様です。

世界中を飛び回っていれば、人種や宗教の違いで、多様な違いを目の当たりにするはずですが、それにしても、自分が関わる人々は限られています。

ましてや同じ場所に定着して過ごしていると、多様性に気付かず、小さな世界しか見ることができません。

自分が解釈していることや考え方は、自分と他者が別のものであると理解できているだけでも、世界が広がっていくように思います。

メールを含めたインターネットの交流の中で見えてくる他者の個性は様々ですが、一人一人の呟くことを読んでいくうちにその人の個性が一定したものとして見えてきます。

人の言葉は、「ことだま」です。
自分が吐き出す言葉を大事にすることは、現実を吟味する力にも繋がっているように思います。

言葉は、息に乗せられて「ことだま」となるように解釈しています。

息に乗せる言葉をそのままゴミ箱に捨てるように吐き捨てられると、周囲はその人のストレスを直に感じ、不安を感じます。嫌悪感ということもあります。

言葉は尊いものです。

数行であっても、一言であっても言葉によってその人の平素の「思考と感情と行動」が顕わになります。

私自身もそのことを胸に留めて、言葉を発していきたいものです。

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自分という主役

2012年11月05日 | 第3章 無意識の世界
週末は、友達の結婚式、そして、大学生活最後?の我が子のサークル「スペイン語研究会」のフラメンコショーをそれぞれ心ゆくまで喜び楽しみました。

学生時代含めて、自分の中の違和感ゆえに、自分が自分でありきれなかった私は、傍から見ると好きなことを思いのままにしているかのように見えていたかもしれませんが、決して思いのままに自分の身体と心を使ってはいませんでした。

自分の心と身体を使ってはいない。つまり、自分である自分を自分として没入することができていなかったのです。

いつも、自分は対岸を見ていて、大きな川の流れの向こうで芒と眺めているような、そんな感じでした。

自分の身体と自分の心と自分の魂をほんとうに責任持てるようになったかというと、案外、未だにそうでもないかもしれませんが、少なくとも、主役である自分自身を悔いなく使おうという意思については、対岸を眺めている時よりは、確かに自分の中にその意識があるという感触を持っています。

自分という箱に納められている自分は、自分という主役であり、主役は自分でしかあり得ないのです。
だからこそ、現実から逃げたくなったり、見たくなかったりするのでしょうが、自分という箱を活かしていくことは自分であるということに納得できた時期が遅かった私は、なんともったいなことをしていたのだろう・・・、という気持に苛まれながらも、案外それが私らしい成長の仕方で、決して嫌な道程ではなかったかな、と受容したり反省したりという感情が巡る二日間を過ごしたわけです。

主役である自分が一所懸命になることは、他者の幸福にも繋がっていくようにも思います。

週末は、他者である自分が、それぞれの主役の皆様との交流の中で、心底幸福感を頂きました。

清々しい週明けです。

ありがとうございます!

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体内時計に回帰する

2012年11月04日 | 第2章 五感と体感
東京や横浜、湘南あたりが私の主な生活の場所なのですが、今年は見事な早さでクリスマス商戦に入ったことに、驚いています。

10月31日のハロウィンのデコレーションが一気に片付けられ11月に入ると同時にクリスマスデコレーション。
キリスト教祭事の都合の良いところだけに焦点を当てた日本の商の商戦は、あたかも日本の祭事であるかのような錯覚を覚えさせ、戦後生まれの私達は、いつしかこの祭事に違和感を持たなくなるようになりました。

「祭があるとそこに人が集まる」という人の習性を利用しているだけに過ぎないのですが、その祭は祭事は無く催事であるわけで、本来の祭が忘れ去られていくペースは、温暖化が進むことと比例しているように思います。

神無月から霜月となり、秋が深まってくると、冬支度も急かされてくるのが、雪深い地方での習慣でしょう。

キリスト教では、収穫祭が終わり、11月2日の死者の日を祈り、11月最後の日曜日から待降節が始まり、クリスマスを待ち望みます。

日本では、稲の収穫が終わる頃から各神社で神楽の祭事が行われ、来年の収穫を占ったり、今年の収穫を喜び合ったりして、神様に奉納します。春から秋までの疲れを癒し湯治に出かける方も昔は多くいらしたはずです。

収穫したものを蓄え、これから寒くなり長くなる夜を過ごすためには、動くことのできる季節を大切にします。

本来、自分が持っている体内時計を大切に、煽られることなく、惑わされることなく過ごそうと思ったら、やっぱり天を仰ぐくことが大事なことなのかもしれません。お天道さまは、地上に生きている私達を見ていらっしゃるし、お天道さまを大切にすることは、森羅万象の成り行きを大事にすることと同じでもあるように思うからです。

どんなに悲しいことがあった日でも、嬉しいことがあった日でも、天を仰ぐと決まった場所に月や太陽や星が見えるのですから。普遍性の中に生きている自分を思うと、自分の体内時計に回帰することができるのです。

体内時計に回帰するということは、静かに休むことではなく、森羅万象と共に生きる本来の自分の時計に戻る、ということです。

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良寛さんから学んだこと

2012年11月03日 | 第2章 五感と体感
「うらを見ておもてを見せて散るもみじ」良寛

豊かな家に育った良寛は、若いうちに家督を弟に譲り出家しました。

その時代、長男に出家された親の悲しみは、とてつもなく大きなものだったでしょう。

良寛が出家して間もなく、父が亡くなり、母が亡くなり、結局良寛は家を出て5年目に新潟に戻ってくるのです。

どうすることもできない情動は、括られることよりも強いもので、良寛自身が良寛で居られたのは、自分の時空を早くに気付いたからなのだろう、と私は思います。

晩年の尼僧との出会いから生まれた歌は、愛そのものでありましょう。人を愛することを自ずから知ることとなる良寛にとって年齢など関係ありません。

美しいものは美しい

愛しい人は愛しい

人は、地球の自転と銀河の法則によって作った時間の中で生活を営んでいるわけですが、果たしてこの時間は、自分にとって相応しい時間の流れであろうか。。。と、思う事があります。

「社会」は、すべて24時間という時間で括られ、人は一年で一歳ずつ歳を重ねていきます。
時間を24時間に括くられていることで、生まれ落ちた時から自然とその法則に縛られていきます。

その法則に心身がついていかないこと。つまり、その法則によって苦しめられていることに気付かない人の方が多いかもしれません。

幼稚園に行くこと
小学校に行くこと
中学校に行くこと
高校に行くこと
社会に出て働くこと
結婚すること
子育てすること

それらの前に「朝日と共に目覚め、夜暗くなったら寝る」
という、シンプルな一日のサイクルに一度自分を戻してみると、何を吸収し何を吐き出すかが、自分の体感で感じ取られてい
くように思うのです。

世の中の皆が、自然の法則のままに生きていたら、きっと自ずから生まれるものは、共存のための知恵ではなかろうか、と。

括られ過ぎているものを自ら外すことは、改めて共に生きる意味を模索するよき機会かもしれません。

深まる秋に良寛を一句
「月読みの光を待ちて帰りませ山路は栗の毬(いが)の多きに」



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カフェ文化

2012年11月02日 | 第2章 五感と体感
パリの街を歩くと至る所にカフェがあります。

パリの街は、もともと日本に住んでいてもエトランゼ(外国人とか見知らぬ人という意味)気分で暮らしている自分に合っていると思うと、エトランゼである自分を受容できて、思い切りエトランゼを楽しむことができる場所なのです。

Parisの街に住む人は、とてもとても働き者です。移民や地方出身者が多いせいもあるのでしょう。「稼ぐ」ことに一心になっている姿をエトランゼである私が垣間見ると、何故かふつふつと勇気と元気が湧いてくるのです。

街中のホテルに泊まっていると夜明け前からパンを焼く香りが漂ってきたり、石の建物に響く車やバイクの音がせわしなく走る音や路の洗浄車が水を撒きながらゆっくりと走り去っていく音を聴いていると、とても安心感を感じます。

決まったカフェで、コーヒーを頂き見知らぬ人やおカフェでそこで出会い親しくなったお客さん同士との会話を楽しむ事は、孤独な者であることを受容した人達の元気に生き抜く術でもあるように思うのです。

日本では、お酒が入らない限り、この様な人間関係は難しい事かもしれません。

都心ではカフェが増えてきましたが、カフェを人々の宿り木としての場として考えてみると、パリと日本では宿り木としての機能の解釈に差異を感じます。

カフェ文化から見る文化は、文化人類学を比較考察し思索するにはとても相応しい場所のように思います。

そんな私もカフェを度々利用する一人です。自分の心身を整えるために仕事前にカフェに入ると、家事を終えてバタバタと出かけた自分を一旦小休止することができ、落ち着いて仕事に入ることができます。

自分に相応しい環境に束の間でも身を寄せて呼吸を合わせ気を整えることは、一杯100円から300円以内のコーヒーで充分可能です。

毎日走りっぱなしでは、疲労困憊間違いなしです…。束の間の一人の時間を大切にしたいものです。

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やっていると見えてくる

2012年11月01日 | 第2章 五感と体感
どんな掛け軸に仕立てようか。。。、と、思案する時間は、作業している時間よりも楽しさを感じます。

作品(本紙)をじっくり眺め、その本紙から醸し出すものを感じ取り、それに見合う裂なり和紙なりを選んでいきます。

まぁいいか、という思いで作業を始めると、技術的にも哀しい結果に終わるので、掛け軸を仕立てる前に出来上がりのイメージを想像し、「こんな感じのものを仕立てたい」という柱を或る程度固めます。

この柱を中心に作業を進めていくと、進めている過程で、もっと素敵なアイディアが湧いてくることが度々あるのです。

つまり、

自分の「こうありたい」というイメージを持っておくと、現実的な作業の中で、目標するイメージが明確になってくる、というわけです。

セザンヌが目指した光の表現と同じように、「こう描きたい」という頭の中でイメージするものを筆で描いていくことと同じであるでしょうし、「こう弾きたい、こう表現したい」というイメージで奏でる楽器にしても、描く人、奏でる人の持つイメージは「自己実現」への道程なのだと思います。

つまり、自分は「こうありたい」、というイメージがまず無くては、向かう方向も解らないというわけです。

どんな掛け軸にしたいか?

理想が高ければ高いほどやりがいはありますが、理想を持つことで自分の身の丈が見えてくることも人生の道程で出合う大事な出来事です。
その時に、自分を理想を再度吟味することで、自分の幸福感を意識化できれば、きっと自分の選んだ何かに間違いが無いはずだ、と私は信じています。

道程を歩む中、自分の感性を開いていると、どんどん柔らかい概念になってきて、それが結果、よきものを生み出していくようにも感じます。

自分を信じて道を歩いていると見えてくるのです。

昨日、表装作業しながら、「いいねぇ~」と自我自賛。

仕立てている掛け軸に李朝の白磁の壺が合う。。。と、思った自分にOKサインを出し、あとはきちんと作業を進めるだけと、思ったよき一日に感謝です。「この軸に合う壺を探したいと」思うのは、余計なお世話ですね(笑)

方向性が決まり「正中線がぴしっとする」という感覚は、気持が良いものです。

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