人生のベテランさんたちと、滋賀県湖北の呉枯ノ峰に行った。
奈良から余呉湖のある湖北までは随分遠い。朝早い電車の車内でサンドイッチをかじり、あとは爆睡する。
余呉駅からワンボックスカーサイズのミニバスを利用し、坂口で下車。
旧街道に出ればすぐ、江戸時代から、砂糖を使わない麦芽(かな?)の自然な甘さを
生かした「菊水飴本舗」がある。歴史を感じさせる建物だ。
大阪のおばちゃんたちは、飴ちゃんに目がない。
パーティ一同、すぅーっと店内に消えていく。
鳥居をくぐり、そのあと北陸自動車道のガードをくぐり、いよいよ山道へ。
石仏が一定間隔に並ぶ道だが、首の折れたものが多い。
中にはマトモな物も残っているので、首があるうちにカメラに収める。
だらだらした登り坂を進み、菅山寺への分岐でもある稜線に出る。
ここから菅山寺へ下りる道すがらのブナ林は素晴しいの一語に尽きる。
標高400m前後の斜面に、これだけ立派なブナ林が残っているのだ。
積雪の多さと、夏でも涼しい気候であることが分かる。
大箕八幡宮の朽ち始めた本堂の裏手からは、遠く横山岳が見える。
本堂は巨大なカエデの木で守られているとはいえ、近く修復が必要だ。
八幡宮の前には、直径3~40m程度の浅い池がある。
湧き水でできているらしく、水は清冽。朱色や白の立派なニシキゴイが悠然と泳いでいた。
池をぐるっと回ると、これまた巨大なトチの木がみられる。
一本で生態系をなしているかのように見えるほどだ。
思わず見上げて、しばし無言で口を開けてしまう。
無住となっている菅山寺の本堂を過ぎると、菅原道真が自ら植えたと伝わる大クスと、
その間に質素な山門が見える。残念ながら右側のクスは殆ど枯れかかっている。
ともあれ威厳は保っており、誰もが厳粛な気持ちになるたたずまいだ。
もとの尾根分岐に戻り、稜線を忠実にたどり南下する。
田上公園分岐をすぎればほどなく呉枯ノ峰の地味なピークに達する。
樹林に囲まれているが、一等三角点である。
その後も稜線をたどり続けると、やがてヒノキ等の若木を保護しているあたりから、
ルートは右へ緩やかにカーブし、標高を下げていく。斜面の途中に四等三角点が鎮座しており、なんでこんな場所に?と思ってしまう。
その後もダラダラと下り、水タンクの脇に出る。
あとは舗装道となり、学校脇を通って古い土産物街を抜ける。
最後は浄信寺へ出て、木之本駅に着く。
木之本駅の1階は地元の名産の販売所となっていて、電車を待つ間の暇つぶしになった。
奈良から余呉湖のある湖北までは随分遠い。朝早い電車の車内でサンドイッチをかじり、あとは爆睡する。
余呉駅からワンボックスカーサイズのミニバスを利用し、坂口で下車。
旧街道に出ればすぐ、江戸時代から、砂糖を使わない麦芽(かな?)の自然な甘さを
生かした「菊水飴本舗」がある。歴史を感じさせる建物だ。
大阪のおばちゃんたちは、飴ちゃんに目がない。
パーティ一同、すぅーっと店内に消えていく。
鳥居をくぐり、そのあと北陸自動車道のガードをくぐり、いよいよ山道へ。
石仏が一定間隔に並ぶ道だが、首の折れたものが多い。
中にはマトモな物も残っているので、首があるうちにカメラに収める。
だらだらした登り坂を進み、菅山寺への分岐でもある稜線に出る。
ここから菅山寺へ下りる道すがらのブナ林は素晴しいの一語に尽きる。
標高400m前後の斜面に、これだけ立派なブナ林が残っているのだ。
積雪の多さと、夏でも涼しい気候であることが分かる。
大箕八幡宮の朽ち始めた本堂の裏手からは、遠く横山岳が見える。
本堂は巨大なカエデの木で守られているとはいえ、近く修復が必要だ。
八幡宮の前には、直径3~40m程度の浅い池がある。
湧き水でできているらしく、水は清冽。朱色や白の立派なニシキゴイが悠然と泳いでいた。
池をぐるっと回ると、これまた巨大なトチの木がみられる。
一本で生態系をなしているかのように見えるほどだ。
思わず見上げて、しばし無言で口を開けてしまう。
無住となっている菅山寺の本堂を過ぎると、菅原道真が自ら植えたと伝わる大クスと、
その間に質素な山門が見える。残念ながら右側のクスは殆ど枯れかかっている。
ともあれ威厳は保っており、誰もが厳粛な気持ちになるたたずまいだ。
もとの尾根分岐に戻り、稜線を忠実にたどり南下する。
田上公園分岐をすぎればほどなく呉枯ノ峰の地味なピークに達する。
樹林に囲まれているが、一等三角点である。
その後も稜線をたどり続けると、やがてヒノキ等の若木を保護しているあたりから、
ルートは右へ緩やかにカーブし、標高を下げていく。斜面の途中に四等三角点が鎮座しており、なんでこんな場所に?と思ってしまう。
その後もダラダラと下り、水タンクの脇に出る。
あとは舗装道となり、学校脇を通って古い土産物街を抜ける。
最後は浄信寺へ出て、木之本駅に着く。
木之本駅の1階は地元の名産の販売所となっていて、電車を待つ間の暇つぶしになった。