■メイン写真
ユニークな方位標識が立つ剣尾山の山頂
■今回のコース
能勢温泉→剣尾山登山口→大日岩→行者堂・ミロク岩→東の覗き→行者山→風の峠→
炭焼窯跡→六地蔵→月峯寺跡→剣尾山→摂丹国界標石→反射板→横尾山→トンビカラ→
小鳥のテラス→ひと休み峠→能勢温泉
今年最後の登山教室は、大阪府能勢町の剣尾山へ。
江戸時代に玉泉寺が行場道を開き、「摂津大峯」の名で呼ばれた名山だ。
能勢温泉を起点に、剣尾山から府県境をたどり、横尾山へと周回する定番ルート。
下山後は温泉を楽しもうという企画だ。
現在、登山者は能勢温泉前の駐車場は無断利用できない。
フロントに申し出て500円を支払い、建屋の向かって右横(東側)の専用駐車場に
許可証を掲示して駐車するシステムである。
なお、キャンプ場の営業期間は、キャンプ場の敷地内を通り抜けさせてもらえるように
なっているが、この日から年末休暇で敷地内を通れず、車道を迂回することに。
公衆トイレのすぐ奥が、登山口である。
登山口には、郷土史家のオリジナル看板が立っている。
植林の中を登っていくと、正面にオーバーハングした大日岩が見えてくる。
岩に刻まれた大日如来像。
行者堂に着く。
すぐ手前には、巨大なミロク岩。岩屋となっていて、転がり落ちそうで落ちない。
ここを起点に、かつて修験者が修行した険しい行場ルートがあるが、この日は
時間の関係もあり割愛する。
山頂へ向かう登山道を行くと、ほどなく高さ20mはあろうかという断崖絶壁が
現れる。まずは洞ノ不動明王を見上げる。
絶壁のすぐ下を通り抜ける。岩肌には、古いハーケンやボルトが残る。
かつて、修験の聖域にクライマーが人工物を打つということで、ひと悶着あったと
聞いている。
東の覗きからは、堂床山など、南側の絶景を楽しめる。
このすぐ上が、行者山である。
風の峠を過ぎて、登山道は尾根の東側を巻くようになる。
炭焼窯の跡がいくつかみられる。まだ天井が落ちていない、保存状態がよいものもある。
六地蔵に到着。天文5年(1536年)のものという。
すぐ右には、石仏や五輪塔が集められている。梵字や五輪塔を刻んだ岩もある。
このあたりからが、かつての月峯寺の境内になるのだろう。
メインの登山道から時折はずれながら、月峯寺跡をさまよう。
水が枯れてしまった「しじみ池」の平坦地には、自由に枝を広げた杉が2本ある。
月峯寺の本堂があったとされる場所。四角形に区切られた石の囲いと、
建物の礎石が残る。
月峯寺は、聖徳太子の命で日羅上人が開いたと伝わる古刹。
現在の月峯寺は、1664年、観行上人が能勢町大里に移設、再興したものだ。
このほか、周囲は明らかに平坦に切られた区画や石垣が多くみられ、石仏、石灯籠の
一部などが各所に散乱する。
井戸跡。今も澄んだ水をたたえる。
ほんの少しで、剣尾山の山頂に到着する。
東に大きく開けた山頂からは、手前に半国山、奥に比良山系の武奈ヶ岳と蓬莱山が
雪をいただき、地蔵山、愛宕山、比叡山が見える。
山頂北側の露岩からは、深山やるり渓温泉など、北側の眺めが得られる。
あまり知られていない、岩くぐりスポットで遊ぶ。
尾根道を少し北上すると、明治時代に設置された摂津・丹波の国境標石がある。
裏面に設置者名として「京都府、大阪府」と、廃藩置県後名称が刻まれているのに、
表面には「摂津・丹波」境と旧国名が用いられているのが謎である。
二つ目の国境標石は、急坂を登り返した、電波反射板が立つピークにある。
少し雪が残っている。
横尾山の山頂。三角点があるものの、展望には恵まれない。
るり渓へ続く薄い踏み跡の尾根道を分け、左へシカ除けネットに沿って急斜面を下る。
ネットは老朽化し、もはや役に立たないが、左のヒノキの植林もすっかり成長し、
所期の目的は達成したのだろう。
トンビカラの岩峰群を通過する。
後半戦はやや単調な風景が続くので、ここでの変化がとても楽しい。
鉄塔下に出る。
南側が伐採され、金網が設置された尾根道。
ここからの下山は、落ち葉が積もって滑りやすい急坂が続き、予想以上の苦戦で
時間がかかった。
大きな場所でのフラットフッティング、小さな場所でのつま先の使い方、
下り坂での重心のかけ方、大股にならず疲労が少ない足の置き場所、
三点確保の手の使い方、ストックの有効な使い方など、下りの技術は意外に
難しいようで、安全面からも、今後少し重点的に取り組んでいく必要がある。
能勢温泉に到着。このあとゆっくり風呂で温まった。
これで今年の登山教室は終了。
皆さま、ご贔屓にしていただき、ありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。