■メイン写真
中腹の旧草谷寺跡にある龍尾塚
■今回のコース
草谷寺(龍頭塚)→旧草谷寺跡(龍尾塚)→高天岸野神社→龍胴塚→中葛城山三角点(点名:北山)→
ダイトレ出合→中葛城山標識点→高谷山標識点→千早峠→一尾背神社→草谷寺
中葛城山の南麓、五條市の北山町に、役行者の開創と伝わる草谷寺がある。
寺には暴れ龍の伝説が残る。村を荒らしまわっていた龍に、役行者が数珠を投げつけたところ
龍は3つに切れた。祟りを恐れた村人が、頭、胴、尾を、それぞれ落ちたところに埋めて
寺を作ったという。寺はいちばん下の草谷寺しか現存しないが、龍の塚には昭和41年頃に
標石が置かれた。今回、これらの龍塚をめぐる、探索的登山を楽しんだ。
草谷寺に到着。真言宗の寺だ。
多くの仏像が安置されていたが、現在は境内北側の宝物庫に移されているようだ。
役行者像は1694年(元禄7年)の作、本尊の薬師如来坐像は重要文化財だ。
鐘楼の壁に、龍尾塚への表示が打ちつけてある。
墓地の横を通り、すぐ横の小高い尾根に上がると、まず経文塚が見つかる。
続いて龍尾塚が現れる。寺側を向いているので、ルートからは刻まれた文字は見えない。
ちゃんと修験者が置いていった「碑伝(ひで)」の板が数枚、立てかけてある。
一度、境内を離れ、のどかな農道に出る。
500mほど歩いただろうか、目印もない分岐から山道に入る。
棚田を抜けていく。
古道の雰囲気がただよう道が続く。
小さい標識のところでトラバース道を離れ、左に登っていく。
平坦な場所に出る。旧草谷寺跡だ。
その少し上に、龍頭塚がたたずんでいる。
塚には、平たい白玉石がみられる。かつては神域のように敷き詰められていたのか。
周囲に散逸していたので、幾つか拾い戻しておいた。
手製の標識が案外、役に立つ。
次の分岐で左のトラバース道をとると、高天岸野神社だ。
長く、苔むした石段が延びている。
拝殿の手前には、一本杉の跡。今は朽ちた切り株だけが残る。
本殿の祠。ご神体は既に、麓の一尾背神社に移されているとのことだが、
そこそこ手入れされている様子だ。
分岐に戻り、神社のすぐ上を回り込むように登っていく。
少し崩れたところには杉の倒木が行く手を遮るが、固定ロープを頼りに横断する。
薄暗い植林の中、黄色い標識をみる。
文字が消えかけているが、"心の眼"で書き手の意志を読み取る(笑)。
分岐をほんの数十メートル進むと、あっけなく龍胴塚に着く。
3つの塚の中では、最も石が小さい。
ネット上のいろいろなレコを見ると、さんざん迷ったり探し回って3つの塚を
巡っている例が比較的多いようだが、うまく発見できた。
中葛城山をめざす。
植林が終わり、自然林に変わるころ、心配していた雨が降り始めた。
予報より1時間半ほど早い。
小降りのうちに昼食を素早く済ませ、雨具を着て再出発。
薮の中の踏み跡を拾うこと5分、中葛城山の三角点に到着。
三角点がある以上、測量当時は見通しがきいたはずであるが、現在は展望ゼロ。
地形的には、ピークでもない場所である。
笹薮をこいでダイヤモンドトレールに合流する。
合流点は、以前は何の目印もなかったが、現在はテープが巻かれ、マジックで
三角点への方向が書かれている。
ほどなく、中葛城山の表示看板に着く。
あとはしばらく、ダイトレをたどる。よく踏まれ、幅も広い歩道は、
まるで高速道路のように感じる。
高谷山の表示看板を通過。
一気に千早峠へ。かつて天誅組が越えた峠である。
その天誅組が歩いたであろうルートを下る。
途中、サラシナショウマが幾つか咲いていた。思いがけないご褒美だ。
廃棄林道をぐんぐん下り、国道310号に出た。
雨足が少し強くなってきた。そのまま車道を歩いて、草谷寺に戻った。