■メイン写真
快晴の摩耶山・掬星台からポートアイランドを望む
■今回のコース
長峰堰堤横(登山口)→(山寺尾根)→掬星台→摩耶山天上寺→摩耶別山→(アゴニー坂)→
新穂高→シェール槍→穂高湖→杣谷峠→長峰山→阪急六甲駅
六甲山系・摩耶山の北側に、「穂高湖」「新穂高」「シェール槍」と、北アルプスを
思い起こさせる地名が集中しているエリアがある。
六甲山系の、ある意味、奥座敷的な位置にある当エリアを、登山教室の下見ついでに
歩いてきた。
長峰堰堤の横が登山口だ。
摩耶東谷を渡渉してまもなく、杣谷ルートと山寺尾根ルートの分岐に出る。
この日は、急登の山寺尾根を歩く。
なお「山寺」とは、かつて摩耶山南側直下にあった旧天上寺のこと。
予想通り、序盤からきつい登りが続くが、春の日差しが暖かい。
小ピークをひとつ越えると、しばらくはなだらかな道になるが、最後にまたまた
急登が出てくる。
山寺尾根ルートは、掬星台の南東側の展望デッキの下に突き上げる。
ほら、絶景が待っていた!
日曜で混雑する掬星台をそこそこに、天上寺に向かう。
もとの天上寺は、1976年1月30日未明、放火により、仁王門など一部を除いて全焼した。
今の寺は、摩耶山の北側、もともと天上寺創生の地とされる摩耶別山に移っている。
この日は正門から参拝してみた。
太平洋戦争時代の巡洋艦・摩耶の記念碑があった。
天上寺の本堂。前方は美しく掃き清められた枯山水だ。
天上寺は、真言宗の寺。釈迦生母・摩耶夫人を本尊とする、日本唯一の寺だ。
歴史は古く、646年、孝徳天皇の勅願で、法道仙人が開創した。
のち空海が留学先の中国から持ち帰った摩耶夫人尊像を奉安したことから、摩耶山と呼ぶ
ことになったという。
ちなみに摩耶別山の、地形的な最高点は、神戸市水道局の設備があり、山頂としての
趣はない。
急峻なアゴニー坂を下る。いかにも六甲の山らしい、露岩の道だ。
距離は短いものの、かつて居留地の外国人が、この急坂を「agony(ひどい)」と言った
ことからこの名がついたとか、アゴがニー(膝)につきそうな坂だからというシャレ説もある。
歩いていると、とにかく暑く感じるが、路傍にはまだ霜柱が見られる。
穂高湖方面に北上し、徳川道に出る。
徳川道とは、幕末、兵庫港の開港に伴い、外国人と参勤交代の大名行列が、生麦事件の
ようなモメごとを起こさないように、石屋川と明石の大蔵谷の区間、六甲山中を迂回して
つけられた道。
兵庫港開港の同日(1867年12月7日)に開通したものの、すぐに外国人居留地を小さく迂回する
別の道ができたうえ、明治新政府が参勤交代を廃止したため、実際の参勤交代に使われる
ことはなく廃れた道だ。
まずは新穂高(648m)のピークを目指す。ルートは薮っぽく、通好みの山だ。
狭い山頂からは、たいした眺めはないので、尾根をさらに西へたどる。
続く609mピークが、眺めのよい岩峰になっている。ぽかぽか日差しもあいまって、
ここでしばらくトカゲになった。
三枚岩の岩場を見下ろしながら急坂を下り、徳川道に戻る。
徳川道は、橋も流れて見る影もないが、美しい清流が心を慰めてくれる。
石段が続く徳川道。幅1.2mの立派な道を作ったのに、使われなかったとは…
歴史のはざまとはいえ、もったいない。
穂高堰堤に出た。この下にあずま屋があり、ランチタイムとした。
堰堤の上が、穂高湖だ。穂高湖は、1966年に造られたこの堰堤によりできた人造湖だ。
上高地の大正池に似ているところから、湖の名がついたという。
穂高湖の周回道を行くと、すぐにシェール槍への分岐がある。
岩登りチックに10分でシェール槍のピークだ。
ここも絶景が待っている。
ちなみに、「シェール」の名であるが、すぐ西に「シェール道」があり、
明治時代に神戸にいたドイツ人のシェールさんが好きだった道だったそうだ。
決してシェールガスが埋蔵されているわけではない(笑)。
狭い山頂には美人の山ガールさんが2人、ランチタイム中だったので、穂高湖など
まわりの景色の写真だけ手早く撮らせてもらって、あまり邪魔しないようにピークを
あとにした。
岩場で羽を休ませていたヒオドシチョウ。春やなぁ。
穂高湖畔から、シェール槍を観る。
そうか、これを大正池のイメージと重ねたのか。それならシェール槍は、
「槍」ではなく「焼岳」に近い気もするが…それにしても綺麗。
長峰山ルートと、杣谷ルートの分岐に着いた。
この日はさらにもう1ピーク、長峰山を踏んでから帰ろう。
長峰山の天狗塚。広い岩の上で、単独行のお父さんと世間話していたら
、おいしいチョコレートを頂いた。ごちそうさま!
伯母野住宅街に下りてきたが、ここから六甲高校・中学校の横を通って六甲駅に
至るまでの住宅街の急坂が、いちばん足にこたえた。
※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!
快晴の摩耶山・掬星台からポートアイランドを望む
■今回のコース
長峰堰堤横(登山口)→(山寺尾根)→掬星台→摩耶山天上寺→摩耶別山→(アゴニー坂)→
新穂高→シェール槍→穂高湖→杣谷峠→長峰山→阪急六甲駅
六甲山系・摩耶山の北側に、「穂高湖」「新穂高」「シェール槍」と、北アルプスを
思い起こさせる地名が集中しているエリアがある。
六甲山系の、ある意味、奥座敷的な位置にある当エリアを、登山教室の下見ついでに
歩いてきた。
長峰堰堤の横が登山口だ。
摩耶東谷を渡渉してまもなく、杣谷ルートと山寺尾根ルートの分岐に出る。
この日は、急登の山寺尾根を歩く。
なお「山寺」とは、かつて摩耶山南側直下にあった旧天上寺のこと。
予想通り、序盤からきつい登りが続くが、春の日差しが暖かい。
小ピークをひとつ越えると、しばらくはなだらかな道になるが、最後にまたまた
急登が出てくる。
山寺尾根ルートは、掬星台の南東側の展望デッキの下に突き上げる。
ほら、絶景が待っていた!
日曜で混雑する掬星台をそこそこに、天上寺に向かう。
もとの天上寺は、1976年1月30日未明、放火により、仁王門など一部を除いて全焼した。
今の寺は、摩耶山の北側、もともと天上寺創生の地とされる摩耶別山に移っている。
この日は正門から参拝してみた。
太平洋戦争時代の巡洋艦・摩耶の記念碑があった。
天上寺の本堂。前方は美しく掃き清められた枯山水だ。
天上寺は、真言宗の寺。釈迦生母・摩耶夫人を本尊とする、日本唯一の寺だ。
歴史は古く、646年、孝徳天皇の勅願で、法道仙人が開創した。
のち空海が留学先の中国から持ち帰った摩耶夫人尊像を奉安したことから、摩耶山と呼ぶ
ことになったという。
ちなみに摩耶別山の、地形的な最高点は、神戸市水道局の設備があり、山頂としての
趣はない。
急峻なアゴニー坂を下る。いかにも六甲の山らしい、露岩の道だ。
距離は短いものの、かつて居留地の外国人が、この急坂を「agony(ひどい)」と言った
ことからこの名がついたとか、アゴがニー(膝)につきそうな坂だからというシャレ説もある。
歩いていると、とにかく暑く感じるが、路傍にはまだ霜柱が見られる。
穂高湖方面に北上し、徳川道に出る。
徳川道とは、幕末、兵庫港の開港に伴い、外国人と参勤交代の大名行列が、生麦事件の
ようなモメごとを起こさないように、石屋川と明石の大蔵谷の区間、六甲山中を迂回して
つけられた道。
兵庫港開港の同日(1867年12月7日)に開通したものの、すぐに外国人居留地を小さく迂回する
別の道ができたうえ、明治新政府が参勤交代を廃止したため、実際の参勤交代に使われる
ことはなく廃れた道だ。
まずは新穂高(648m)のピークを目指す。ルートは薮っぽく、通好みの山だ。
狭い山頂からは、たいした眺めはないので、尾根をさらに西へたどる。
続く609mピークが、眺めのよい岩峰になっている。ぽかぽか日差しもあいまって、
ここでしばらくトカゲになった。
三枚岩の岩場を見下ろしながら急坂を下り、徳川道に戻る。
徳川道は、橋も流れて見る影もないが、美しい清流が心を慰めてくれる。
石段が続く徳川道。幅1.2mの立派な道を作ったのに、使われなかったとは…
歴史のはざまとはいえ、もったいない。
穂高堰堤に出た。この下にあずま屋があり、ランチタイムとした。
堰堤の上が、穂高湖だ。穂高湖は、1966年に造られたこの堰堤によりできた人造湖だ。
上高地の大正池に似ているところから、湖の名がついたという。
穂高湖の周回道を行くと、すぐにシェール槍への分岐がある。
岩登りチックに10分でシェール槍のピークだ。
ここも絶景が待っている。
ちなみに、「シェール」の名であるが、すぐ西に「シェール道」があり、
明治時代に神戸にいたドイツ人のシェールさんが好きだった道だったそうだ。
決してシェールガスが埋蔵されているわけではない(笑)。
狭い山頂には美人の山ガールさんが2人、ランチタイム中だったので、穂高湖など
まわりの景色の写真だけ手早く撮らせてもらって、あまり邪魔しないようにピークを
あとにした。
岩場で羽を休ませていたヒオドシチョウ。春やなぁ。
穂高湖畔から、シェール槍を観る。
そうか、これを大正池のイメージと重ねたのか。それならシェール槍は、
「槍」ではなく「焼岳」に近い気もするが…それにしても綺麗。
長峰山ルートと、杣谷ルートの分岐に着いた。
この日はさらにもう1ピーク、長峰山を踏んでから帰ろう。
長峰山の天狗塚。広い岩の上で、単独行のお父さんと世間話していたら
、おいしいチョコレートを頂いた。ごちそうさま!
伯母野住宅街に下りてきたが、ここから六甲高校・中学校の横を通って六甲駅に
至るまでの住宅街の急坂が、いちばん足にこたえた。
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