いよいよ16日、2年前に断念した「横尾本谷から北穂の滝」ルートに再挑戦だ。やっと明るくなった朝5時、横尾山荘を出発する。Y澤氏の腰痛は回復していない。本谷橋に着いた時、彼は本隊からの離脱を宣言し、単独、ノーマルルートで北穂に上がるという。
彼自身、リベンジの念が強いのは、みんなもよく分かっていた。「荷物をみんなで手分けして持つから」と翻意を促すが、「無理」とのこと。体力にはそこそこ信頼の置けるY澤氏が、そこまで固辞するということは、かなり具合が悪いのだろう。聞けば腰をかばってか、右ひざも傷めてしまったという。
結局、「だめだったら涸沢で留まるように」と念を押し、逆に、我々本隊が退却する事態も想定して、どこの小屋に泊まることになっても連絡をつけようと、いろんな可能性を洗い出し、別れを告げた。彼はこのあと、痛む足腰をかばいつつ、7時間をかけて根性で北穂小屋にたどり着くことになる。(もっとも涸沢でソフトクリームを食べて時間をつぶしていたらしい)
本隊は、2年前の記憶を元にまず横尾本谷の左岸をヤブコギしながら進む。朝露でずぶ濡れになるが、今日の好天を考えると、すぐに乾くと予想される。涸沢を分ける頃、適当なところを見つけて岩をエイッと飛び越え、右岸に渡渉する。振り向けば左岸にテントが2張り。先達がいるのだろうか。
さしたる苦労もなく、ほどなく2年前の退却地点である横尾右俣と本谷の分岐に着く。そこには巨石がひとつ。我々が前回の無念を込め「嘆きの岩」と呼んでいるものだ。「歓喜の岩」に変えるべく、真西に延びる本谷を詰める。踏み固められていないガラガラの岩が時折崩れるが、「ひょうたん岩」で慣れた我々には、もはや脅威ではない。スノーブリッジを(落盤がちょっと恐かったが)くぐり、忠実に沢を遡れば、左前方に大きな落差を誇る北穂の滝が見えてきた。
間近に見る滝は、谷を下りる風と一体化し、マイナスイオンの飛沫を一面に降らせていた。落差40mはあろうか。夢に見た滝だ。青空から突然降り注ぐ流れに、しばし無言でたたずむ。滝の上には北穂池や雪田があるが、いわゆる沢の流れはないという。つまり、それらの水は一旦、地下水脈となり、滝として噴き出しているのだ。なんという自然のイタズラ。苦労してここまできた甲斐がある。Y澤氏の分まで、4人でガッツポーズをとる。
いつまでもここにいたいが、先は長い。時間がない。滝に惜別し、大岩の右の谷をとる。さらに上流を目指し、やがて小滝をエイヤッと越せば、突然、眼前に雄大な光景が広がった。
彼自身、リベンジの念が強いのは、みんなもよく分かっていた。「荷物をみんなで手分けして持つから」と翻意を促すが、「無理」とのこと。体力にはそこそこ信頼の置けるY澤氏が、そこまで固辞するということは、かなり具合が悪いのだろう。聞けば腰をかばってか、右ひざも傷めてしまったという。
結局、「だめだったら涸沢で留まるように」と念を押し、逆に、我々本隊が退却する事態も想定して、どこの小屋に泊まることになっても連絡をつけようと、いろんな可能性を洗い出し、別れを告げた。彼はこのあと、痛む足腰をかばいつつ、7時間をかけて根性で北穂小屋にたどり着くことになる。(もっとも涸沢でソフトクリームを食べて時間をつぶしていたらしい)
本隊は、2年前の記憶を元にまず横尾本谷の左岸をヤブコギしながら進む。朝露でずぶ濡れになるが、今日の好天を考えると、すぐに乾くと予想される。涸沢を分ける頃、適当なところを見つけて岩をエイッと飛び越え、右岸に渡渉する。振り向けば左岸にテントが2張り。先達がいるのだろうか。
さしたる苦労もなく、ほどなく2年前の退却地点である横尾右俣と本谷の分岐に着く。そこには巨石がひとつ。我々が前回の無念を込め「嘆きの岩」と呼んでいるものだ。「歓喜の岩」に変えるべく、真西に延びる本谷を詰める。踏み固められていないガラガラの岩が時折崩れるが、「ひょうたん岩」で慣れた我々には、もはや脅威ではない。スノーブリッジを(落盤がちょっと恐かったが)くぐり、忠実に沢を遡れば、左前方に大きな落差を誇る北穂の滝が見えてきた。
間近に見る滝は、谷を下りる風と一体化し、マイナスイオンの飛沫を一面に降らせていた。落差40mはあろうか。夢に見た滝だ。青空から突然降り注ぐ流れに、しばし無言でたたずむ。滝の上には北穂池や雪田があるが、いわゆる沢の流れはないという。つまり、それらの水は一旦、地下水脈となり、滝として噴き出しているのだ。なんという自然のイタズラ。苦労してここまできた甲斐がある。Y澤氏の分まで、4人でガッツポーズをとる。
いつまでもここにいたいが、先は長い。時間がない。滝に惜別し、大岩の右の谷をとる。さらに上流を目指し、やがて小滝をエイヤッと越せば、突然、眼前に雄大な光景が広がった。