Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

夏休みの山行報告(その5・天狗の踊り場から稜線へ!)

2005年08月24日 | 山登りの記録
そこは南岳カールの底。先ほどまでの急峻な渓谷とは打って変わって、巨大な緑の擂り鉢だ。北穂から、南岳に至る切り立った縦走路が、拒絶するかのように我々を取り囲んでいる。まるで、広角(魚眼)レンズで緑の大平原を撮影したような迫力の地形に、しばらくは圧倒されるのみだった。

目の前に巨石が数個、折り重なっている。往年のクライマーがビバークしたという岩屋だ。ここを「天狗の踊り場」と呼ぶ人もいる。内部は3人程度なら寝られそうな感じ。いつのものか判らない錆びた空き缶や、ビリビリに裂かれた黄色いヤッケが転がっている。右手の奥には、ナナカマド群落を風除けにしたテン場があった。チングルマが可憐に咲いている。ここも、時間を忘れさせる夢の空間であった。

しかし、先は長い。見知らぬ先輩諸氏の生活痕に敬意を払い、雪渓に沿って上を目指す。岩塊は相変わらず踏まれておらず、崩れやすい。

やがて左前方にA沢のコルが衝立のように迫ってきた。かなり崩れており、単独行ならば、いくら岩を落としても登り切れそうだったが、今日は4人。後続の安全を考えると登りたくない。

とはいっても、どうみても、最後は飛騨泣きか、大キレット近辺にしか取り付けないようだ。ルートを右にとり、しばらく景色と地図を見比べる。すると、右手の緑のバンドを巻きつつ標高を上げ、最後に大キレットの最低コル付近に飛び出られそうな予感がした。いや、予感というより、踏み跡もないその「ルート」が、はっきり浮かび上がって「見えた」のだ。たまにある、この感覚。「行ける。見つけた。行くよ!」3人を促し、ガラガラの岩沢をぐんぐん登る。足元は不安定だが、草付を上手に利用すれば大丈夫だ。

最後の急斜面で、イーピンM本氏が石を落としてしまった。後続にともちゃんがいたので、紳士・M本氏は、みずからの右手で岩を支えようとし、親指を少し切ってしまった。おかげでともちゃんはすっかり無事であったが、ガレ場の難しいところだ。もちろん、Mr.Dashも、カメラマンY井氏も、小規模なラクを起こしながら先行している。ヘルメットがあったほうが安心かも。

最後にハイマツの枝を頼りに右手にトラバースし、とうとう稜線に取り付く。Y氏だけは、チャレンジャブルに直登してきた。M本氏も指の痛みをこらえ、懸命ににじり登ってきた。ともちゃんは、日ごろのインドアクライミングの成果か、割に余裕あるふぜいでやってきた。

これで一般ルートに乗ったので、あとは普通に行けば全然問題ないとMr.Dashは安堵した。しかし、乗っ越した鞍部は、最初、長谷川ピークより南かもと思っていたが、実はチョイ北側だった。北穂小屋までの距離がちょっと増えたので、ややブルーになった。気持ちさえ緩めなければ大丈夫な稜線とはいえ、両側はスパッと切れ落ちている。最後の飛騨泣きの登りは確かにキツい。はるか上の北穂小屋のテラスに、小さな人影。顔は判別できなかったが、サワヤカY澤氏だと、すぐ気がついた。膝痛をおして、登頂できたのだ!彼は既に我々を見ていたらしく、手を振ってくれた。Mr.Dashは思わずガッツポーズで応えた。他の3人は、ずっと上になるまで、Y澤氏に気づかなかったようだ。

3時半に小屋に着いた。行動時間10時間半の長旅だった。Y澤氏も交えて握手を交わす。歩いてきた軌跡を目で追うと、充実感がみなぎった。熱いコーヒーを頼む。こんなうまいコーヒーは初めてだと思った。

やがて夕日の赤に槍ヶ岳が染まっていった。
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