![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/a6/eee9de9a42371f5f289d11827042bac5.jpg)
■メイン写真
醍醐寺の仁王門。ド迫力の仁王さんは、1134年、大仏師・勢増、仁僧の作。
■今回のコース
・醍醐駅→醍醐寺→女人堂→開山堂
・高塚山→醍醐寺→醍醐駅
春は桜が美しい京都の醍醐寺。
ただし、空気が澄み渡るのは、キーンと冷え込んだ冬の日。
醍醐寺は修験道の寺なので、こんな寒い日に行くのも修行ぽくっていい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/42/3e87e791cca937a2352e8fceb93874db.jpg)
醍醐駅前。ずいぶんご無沙汰なので、すっかり変わっていた。
左奥に見える参画のピークが高塚山だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/bb/b8d6a91c218a8414cd5071bf8954dcd3.jpg)
醍醐寺の総門をくぐる。ここは無料で入れるエリア。
醍醐寺は、修験道を再興した聖宝理源大師が874年に上醍醐山上を拓いたのがルーツ。
聖宝理源大師というと、大峰山系・弥山へ行く途中に立派な像があるのを思い出す。
応仁の乱などで多くが焼失したが、豊臣秀吉が醍醐の花見を催したことを契機に
おおいに復興をとげた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/8c/cd9ce78a6cba577423d149ce4d25b559.jpg)
女人堂へ回り込む。ここで上醍醐への入山料600円を支払う。
醍醐寺は、先ほど通った総門、仁王門や国宝の五重塔などがある下醍醐と、
山の上にあり、醍醐寺開創の地である上醍醐に分かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/4d/b8732736556c123a64cd15f63aba5555.jpg)
石段・木段が続く幅広の参拝道だ。
ところどころ急斜面になっているが、メジャーなお寺の参道だけあって、
うまくジグザグに道が切ってあって歩きやすい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a0/3da499a4c534dd3f631ec4cf4f2b9865.jpg)
途中にある不動滝。さすがに滝の下は凍りついている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/6d/bc54d35e8829bb88a13ebf287052e6b4.jpg)
清瀧宮拝殿(国宝)。
山腹を少し切り開き、前面が崖にさしかかる懸造り(かけづくり)の構造という。
1434年の建築。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/8c/b68946ad45ac68069de8ba430bc0b24d.jpg)
醍醐水。
聖宝理源大師が、この場所で横尾明神に出逢った。横尾明神は、落葉をかきわけ
湧き水をくんで「ああ醍醐味なるかな」と言うと姿を消した。
それで聖宝理源大師は、笠取山の古名をあらため、ここを醍醐山と称した。
まさに醍醐山の発祥の地なのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/de/666bfc5c0c7a864613d46fa311494b5e.jpg)
醍醐水は今なお飲むことができるが、この日はさすがに凍ってしまっていた。
祠には、なんと、こんな千社札が!
少し上ったところに空き地があるが、ここは准胝堂跡だ。
何度も焼けており、1968年に再建さ
れたお堂も、2008年8月に落雷火災で焼失した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/45/0bcb7070f6b2ea771fc51f880989af94.jpg)
薬師堂(国宝)。
913年に醍醐天皇の御願堂として創建された。
これは古いなあ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/73/7127eb14ebc2277057ebd842bddd5ac1.jpg)
五大堂。
元はこれも913年建てられた。醍醐天皇の御願堂だった。
この後、何度か火災に遭い、これは1940年に再建されたもの。
堂前のブロンズ像は、左から醍醐寺一世座主・観賢僧正(理源大師の弟子)、
聖宝理源大師、修験道の祖・役小角行者だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1a/8ec1444114b5e43a1a0cda90a955bd91.jpg)
如意輪堂(重文)。
理源大師聖宝が上醍醐を開いた際、准胝堂と共に最初に建てた建物という。
創建は876年、現在の建物は1613年の建立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/52/e176616bf30b840132b03ce72b32fc5b.jpg)
如意輪堂前からの眺め。
ポンポン山がきれいに見えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/eb/64c7f794d522c2bbfc847262ac943017.jpg)
ずっとお寺の紹介になってしまうが、これで最後。
如意輪堂の隣にある開山堂(重文)。
理源大師聖宝を奉安したお堂。元の名は御影堂で911年、観賢僧正が建立したが、
後に焼失。これは、1606年、豊臣秀頼が再建したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/72/5ea0d02e31a38dd9e0aa53cb3eee3eb9.jpg)
厳密にはちょっと参拝ルートを外れてしまうので恐縮だが、すぐ裏手に醍醐山の
最高点がある。なんとも地味で、知らずに通り過ぎてもおかしくない。
ここからしばらくは、どのルートをどう歩いたか、何故か記憶が飛んでしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/c8/6bbec75d80895e91a6e6266a69497444.jpg)
メジロが数羽いた。
こちらの足音に驚いて一斉に飛び立って逃げるとき、顔のすぐ前を横切ったので
こちらが目を白黒させてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/66/99d2d3d2d610628139b944137a964ae3.jpg)
UFOの一団が大木に激突していた。地球侵略に失敗したか(笑)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/dc/3d195ea2c07d86902179750ae153573c.jpg)
気がついたら高塚山にいた。
山頂から10mほど手前に休憩ベンチがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fe/b3b6d347c7576e77e7bd9cf759c5df84.jpg)
ベンチからはわずかに眺めが得られた。
稲荷山から東山にかけての山塊だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/86/d8db428cd3f5cfd24d1e6937c999fd36.jpg)
木の枝をよけるようにアングルをさがすと、比良・蓬莱山が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/99/c502fe04c090632efb171b4b51b876aa.jpg)
同様に、比叡山もなんとか見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/90/a77e680d72d4e9240867472e5f7a6cad.jpg)
高塚山の、ひっそりした三角点。
尾根道は時折、複線化しているが、とにかく主たる稜線を外さなければ
迷うことはない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/2c/753e5c0a15c606c49637b38a4fdb2fd7.jpg)
長尾天満宮に下りてくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/dc/e08d8052765e5204e9b08103a9657e59.jpg)
理性院(りしょういん)の千体地蔵。
理性院は、1115年、醍醐寺の賢覚が、父・賢円の住房に大元帥像を安置
したことに始まるという。この千体地蔵は、先代の住職が祀ったという。
北門を出て、古い友人の家がこのへんかなと探したが、見つからなかった。
あとで確認したら、家業の店の前を通っていた。残念。
※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!
醍醐寺の仁王門。ド迫力の仁王さんは、1134年、大仏師・勢増、仁僧の作。
■今回のコース
・醍醐駅→醍醐寺→女人堂→開山堂
・高塚山→醍醐寺→醍醐駅
春は桜が美しい京都の醍醐寺。
ただし、空気が澄み渡るのは、キーンと冷え込んだ冬の日。
醍醐寺は修験道の寺なので、こんな寒い日に行くのも修行ぽくっていい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/42/3e87e791cca937a2352e8fceb93874db.jpg)
醍醐駅前。ずいぶんご無沙汰なので、すっかり変わっていた。
左奥に見える参画のピークが高塚山だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/bb/b8d6a91c218a8414cd5071bf8954dcd3.jpg)
醍醐寺の総門をくぐる。ここは無料で入れるエリア。
醍醐寺は、修験道を再興した聖宝理源大師が874年に上醍醐山上を拓いたのがルーツ。
聖宝理源大師というと、大峰山系・弥山へ行く途中に立派な像があるのを思い出す。
応仁の乱などで多くが焼失したが、豊臣秀吉が醍醐の花見を催したことを契機に
おおいに復興をとげた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/8c/cd9ce78a6cba577423d149ce4d25b559.jpg)
女人堂へ回り込む。ここで上醍醐への入山料600円を支払う。
醍醐寺は、先ほど通った総門、仁王門や国宝の五重塔などがある下醍醐と、
山の上にあり、醍醐寺開創の地である上醍醐に分かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/4d/b8732736556c123a64cd15f63aba5555.jpg)
石段・木段が続く幅広の参拝道だ。
ところどころ急斜面になっているが、メジャーなお寺の参道だけあって、
うまくジグザグに道が切ってあって歩きやすい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/a0/3da499a4c534dd3f631ec4cf4f2b9865.jpg)
途中にある不動滝。さすがに滝の下は凍りついている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/6d/bc54d35e8829bb88a13ebf287052e6b4.jpg)
清瀧宮拝殿(国宝)。
山腹を少し切り開き、前面が崖にさしかかる懸造り(かけづくり)の構造という。
1434年の建築。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/8c/b68946ad45ac68069de8ba430bc0b24d.jpg)
醍醐水。
聖宝理源大師が、この場所で横尾明神に出逢った。横尾明神は、落葉をかきわけ
湧き水をくんで「ああ醍醐味なるかな」と言うと姿を消した。
それで聖宝理源大師は、笠取山の古名をあらため、ここを醍醐山と称した。
まさに醍醐山の発祥の地なのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/de/666bfc5c0c7a864613d46fa311494b5e.jpg)
醍醐水は今なお飲むことができるが、この日はさすがに凍ってしまっていた。
祠には、なんと、こんな千社札が!
少し上ったところに空き地があるが、ここは准胝堂跡だ。
何度も焼けており、1968年に再建さ
れたお堂も、2008年8月に落雷火災で焼失した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/45/0bcb7070f6b2ea771fc51f880989af94.jpg)
薬師堂(国宝)。
913年に醍醐天皇の御願堂として創建された。
これは古いなあ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/73/7127eb14ebc2277057ebd842bddd5ac1.jpg)
五大堂。
元はこれも913年建てられた。醍醐天皇の御願堂だった。
この後、何度か火災に遭い、これは1940年に再建されたもの。
堂前のブロンズ像は、左から醍醐寺一世座主・観賢僧正(理源大師の弟子)、
聖宝理源大師、修験道の祖・役小角行者だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1a/8ec1444114b5e43a1a0cda90a955bd91.jpg)
如意輪堂(重文)。
理源大師聖宝が上醍醐を開いた際、准胝堂と共に最初に建てた建物という。
創建は876年、現在の建物は1613年の建立。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/52/e176616bf30b840132b03ce72b32fc5b.jpg)
如意輪堂前からの眺め。
ポンポン山がきれいに見えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/eb/64c7f794d522c2bbfc847262ac943017.jpg)
ずっとお寺の紹介になってしまうが、これで最後。
如意輪堂の隣にある開山堂(重文)。
理源大師聖宝を奉安したお堂。元の名は御影堂で911年、観賢僧正が建立したが、
後に焼失。これは、1606年、豊臣秀頼が再建したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/72/5ea0d02e31a38dd9e0aa53cb3eee3eb9.jpg)
厳密にはちょっと参拝ルートを外れてしまうので恐縮だが、すぐ裏手に醍醐山の
最高点がある。なんとも地味で、知らずに通り過ぎてもおかしくない。
ここからしばらくは、どのルートをどう歩いたか、何故か記憶が飛んでしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/c8/6bbec75d80895e91a6e6266a69497444.jpg)
メジロが数羽いた。
こちらの足音に驚いて一斉に飛び立って逃げるとき、顔のすぐ前を横切ったので
こちらが目を白黒させてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/66/99d2d3d2d610628139b944137a964ae3.jpg)
UFOの一団が大木に激突していた。地球侵略に失敗したか(笑)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/dc/3d195ea2c07d86902179750ae153573c.jpg)
気がついたら高塚山にいた。
山頂から10mほど手前に休憩ベンチがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fe/b3b6d347c7576e77e7bd9cf759c5df84.jpg)
ベンチからはわずかに眺めが得られた。
稲荷山から東山にかけての山塊だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/86/d8db428cd3f5cfd24d1e6937c999fd36.jpg)
木の枝をよけるようにアングルをさがすと、比良・蓬莱山が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/99/c502fe04c090632efb171b4b51b876aa.jpg)
同様に、比叡山もなんとか見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/90/a77e680d72d4e9240867472e5f7a6cad.jpg)
高塚山の、ひっそりした三角点。
尾根道は時折、複線化しているが、とにかく主たる稜線を外さなければ
迷うことはない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/2c/753e5c0a15c606c49637b38a4fdb2fd7.jpg)
長尾天満宮に下りてくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/dc/e08d8052765e5204e9b08103a9657e59.jpg)
理性院(りしょういん)の千体地蔵。
理性院は、1115年、醍醐寺の賢覚が、父・賢円の住房に大元帥像を安置
したことに始まるという。この千体地蔵は、先代の住職が祀ったという。
北門を出て、古い友人の家がこのへんかなと探したが、見つからなかった。
あとで確認したら、家業の店の前を通っていた。残念。
※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!