■メイン写真
竹矢来・馬防柵が復復元された石田三成陣跡
■今回のコース
関ヶ原古戦場記念館→岡山烽火場→八幡池→最後決戦地→笹尾山(石田三成陣跡)→
島津義弘陣跡→開戦地・小西行長陣跡→天満山→徳川家康最後陣跡→関ヶ原古戦場記念館
今月の「らくらく山歩の会」は、関ヶ原古戦場の名所を回る企画。
それでも「山歩」なので、ピークを3つ踏もうという欲張りな企画である。
関ヶ原古戦場記念館に駐車する。平日なので、比較的すいていた。
同記念館は2020年10月のオープン以来、凝った映像や、わかりやすい展示、
古戦場全体を見渡せる展望フロアなどが好評で、土日はいつも混雑する人気ぶり。
まず向かったのは、岡山烽火場(のろしば)。岡山は、標高164mの小高い丘だ。
黒田長政(黒田官兵衛の嫡男)とともに岡山に陣取った竹中重門(竹中半兵衛の嫡男)が、
戦機をみて烽火を上げた場所。関ヶ原が一望できる。
南西にみえる小高い山が、小早川秀秋軍1.5万人が陣を敷いた松尾山。
ほぼ真東に見えるのが、石田三成陣があった笹尾山だ。
関ヶ原の戦いは、壮大な規模の戦いのように思いがちだが、それぞれの陣は意外に
近距離であったことに驚かされる。
西軍8.4万人、東軍7.4万人の戦が、わずか1日、7時間ほどで決着がついた。
中田池、小栗毛池、八幡池が並ぶあたりは、戦の雰囲気から離れて「エコフィールド
関ヶ原」として、バードウォッチングなど自然観察のゾーンとなっている。
ゴンズイの実。
樹皮の縞模様が、魚のゴンズイに似ていることから、この名がある。
キツネノマゴ。
道端にみられるが、ふだん山道ばかり歩いていると、意外と知らなかったりする。
国道365号のガード下をくぐり、田園風景の中を最後決戦地へ。
小早川秀秋の寝返りで東軍が優勢となり、東軍所隊がわれ先に三成の首を狙って
激戦を繰り広げたとされる場所だ。
ノビタキ。
この日は野鳥に詳しいお客様が参加されていて、いろいろ教えて頂いた。
つる植物のタンキリマメ(痰切豆)。
一瞬、さっき見たゴンズイと似て見えるが、こちらはマメ科の蔓性。
この豆を食べると、痰が出るのが治るといわれる。俗説だとも言われるが、
薬効もあるようで、「茎と葉は鎮痛、解熱作用があり、頭痛、腹痛、産褥熱などに用いる。
できもの、はれものには煎液を外用する。種子はジフテリア、扁桃腺炎に服用し…」
などとある。
決戦地のすぐ北東へ、島左近陣跡から5分、山道を上げると、石田三成が陣を敷いた
笹尾山に着く。山頂には、あずま屋が建っている。
その手前に、陣跡が再現されている。ボタンを押せば、日本語、英語で解説音声を
聞くことができる。
ここも関ヶ原の全体が見渡せる。写真左奥の山が、徳川家康が最初に陣を敷いた
桃配山だ。
ノブドウ。
実はまずいらしいが、焼酎に浸けて果実酒にすることもあるようだ。
島津義弘陣跡。
西軍が総崩れになる中、鉄砲を巧妙に使って最後まで戦場に残っていた島津義弘隊は、
北陸街道を西に逃げることができず、東軍がひしめく東側へ敵中突破による退却を敢行した。
甥の島津豊久がしんがりをつとめ戦死する中、義弘は養老山地を越え、堺の港から脱出、
薩摩に帰国した、いわゆる「島津の退き口」の舞台だ。
開戦地。すぐ奥には小西行長陣跡がある。
最後の3座目は、三角点がある天満山(198m)をめざす。
標高差は40mほと。ほどなく山頂に到着する。
三角点は、最高点の直下にあるので、天満山の実際の標高は202mほどあるようだ。
黄金に揺れるススキの穂を見ながら、徳川家康最後陣跡へ向かう。
国道を渡り、徳川家康最後陣跡に到着。
家康軍は、ここから松尾山の小早川へ「早く動け」と発砲する。
合戦後、この床几場で引見が行われ、武将たちが討ち取った敵の首実検が行われた。
道を一本渡ると、関ヶ原古戦場記念館に戻る。
このあと自由時間とし、それぞれ記念館を見学したり、土産物を物色したり、
カフェコーナーでスイーツを味わったり、楽しい時間を過ごした。