■メイン写真
兵庫県レッドデータランクBに指定されている珍しいフクオウソウ
■今回のコース
塩尾寺→岩倉山直下→大谷乗越→船坂峠→水無山→石の宝殿→六甲最高峰→ガーデンテラス
→記念碑台→六甲ケーブル山上駅
10~12月で3回に分けて、六甲山系を宝塚から須磨まで「逆縦走」する。
今回はその1回目。須磨から宝塚へ向けて歩いたことがある人は多いだろうが、
逆向きはどうような風情があり、どのような困難があるのか。楽しみだ。
起点となる塩尾寺。
室町時代、12代将軍足利義晴のころ、悪瘡を患った老女が中山寺に熱心に参ったところ、
夢のお告げで、武庫川にある大柳の下に湧く霊泉で湯浴みしたところ、病が癒えた。
大柳に「柳の観音」「塩出観音」とよばれる観音像ができ、お寺も建てられた。
これが現在の塩尾寺になったという。
寺の入口の左手が登山口だ。
全山縦走路は道標も充実。トレラン愛好家の姿もたいへん多い。
砂山権現の鳥居で安全を祈り、岩倉山直下、譲葉山のを過ぎ、岩原山への分岐を過ごす。
今日はロングルートなので、脇の小ピークにいちいち寄っていられない。
ツルリンドウが咲く。
秋はキノコの季節でもある。道中、いろいろなキノコがあった。
アセビ群落を抜ける。
大谷乗越で舗装道を渡る、このあとは急登だ。
電波塔が建つ大平山を南側から巻く途中、景色がパッと開ける。
池田、伊丹、西宮、大阪市街などが一望できる。
ふたたび山道に入る。短い急登が次々に現れるようになる。
ほどなく南側の眺めが広がる。写真は甲山。
船坂峠。ササに覆われた清水谷道が出合う。
ザレた風化花崗岩の急坂。こういうのが何ヶ所か出てくる。
ツリバナ。
コウヤボウキ。
石の宝殿で昼食をとった。
六甲山神社(むこやまじんじゃ)と、神社の名がついているが、もともとは巨石信仰の
場所で、慶長18年(1613年)に雨乞いのため石の祠が建てられたもので、どこの神社にも
属していない。
中世に、白山修験の山伏が開いた修験道の霊山とも言われるが、符合するように
六甲山神社の祭神は、加賀白山の白山比咩神社と同じく菊理媛命である。
また、六甲山神社は白山の宮(しらやまのみや)とも呼ばれている。
なるほど鳥居の形が神道ではなく、修験の結界と同じデザインだ。
フサフジウツギ。車道脇にたくさん咲いていた。
一軒茶屋に着くと、新しい公衆トイレの建設が始まっていた。
どんなのができるかな。
六甲最高峰近くに多く見られるアキグミ。
六甲最高峰葉ハイカーでいっぱいだった。山頂から、ガーデンテラス方面を見る。
アキチョウジ。
ヤマジノホトトギス。
何度となく車道を横断しながら、、小ピークを越えていく。
小さなアップダウンの連続に、体力が徐々にそがれていく。
ガーデンテラスに到着。いきなり俗な空間に放り込まれる感じ。
とはいえ、みやげ物を買えたり、ジュースを飲めたりできるのがいい。
みよし観音。
昭和39年、伊丹発徳島行の日東航空旅客機が、尼崎市の田能遺跡に墜落した際、
乗客7人を救出し、8人目を救出しようとして機内に入った瞬間、旅客機が爆発し、
殉職したスチュワーデスを讚えるために作られた。
建立当時、女優の吉永小百合さんらが「みよし観音賛歌」を寄せたという。
六甲山ゴルフ場の横を通る。玉よけのネットで囲まれた道を行く。
金網越しにアケビがたくさん実っていた。
六甲山小学校近くに立つ「この辺りが六甲山上のほぼ中心になります」の標識。
今回のゴール、記念碑台の下にある六甲山ガイドハウスを経て、六甲ケーブルで下山。
歩数計で計測していた人によると約30,000歩。ご参加の皆さん、がんばりました!
こうした経験が、あこがれの日本アルプスへの縦走などにつながっていくはずだ。
次回は記念碑台から摩耶山を越えて鵯越までの計画だ。
兵庫県レッドデータランクBに指定されている珍しいフクオウソウ
■今回のコース
塩尾寺→岩倉山直下→大谷乗越→船坂峠→水無山→石の宝殿→六甲最高峰→ガーデンテラス
→記念碑台→六甲ケーブル山上駅
10~12月で3回に分けて、六甲山系を宝塚から須磨まで「逆縦走」する。
今回はその1回目。須磨から宝塚へ向けて歩いたことがある人は多いだろうが、
逆向きはどうような風情があり、どのような困難があるのか。楽しみだ。
起点となる塩尾寺。
室町時代、12代将軍足利義晴のころ、悪瘡を患った老女が中山寺に熱心に参ったところ、
夢のお告げで、武庫川にある大柳の下に湧く霊泉で湯浴みしたところ、病が癒えた。
大柳に「柳の観音」「塩出観音」とよばれる観音像ができ、お寺も建てられた。
これが現在の塩尾寺になったという。
寺の入口の左手が登山口だ。
全山縦走路は道標も充実。トレラン愛好家の姿もたいへん多い。
砂山権現の鳥居で安全を祈り、岩倉山直下、譲葉山のを過ぎ、岩原山への分岐を過ごす。
今日はロングルートなので、脇の小ピークにいちいち寄っていられない。
ツルリンドウが咲く。
秋はキノコの季節でもある。道中、いろいろなキノコがあった。
アセビ群落を抜ける。
大谷乗越で舗装道を渡る、このあとは急登だ。
電波塔が建つ大平山を南側から巻く途中、景色がパッと開ける。
池田、伊丹、西宮、大阪市街などが一望できる。
ふたたび山道に入る。短い急登が次々に現れるようになる。
ほどなく南側の眺めが広がる。写真は甲山。
船坂峠。ササに覆われた清水谷道が出合う。
ザレた風化花崗岩の急坂。こういうのが何ヶ所か出てくる。
ツリバナ。
コウヤボウキ。
石の宝殿で昼食をとった。
六甲山神社(むこやまじんじゃ)と、神社の名がついているが、もともとは巨石信仰の
場所で、慶長18年(1613年)に雨乞いのため石の祠が建てられたもので、どこの神社にも
属していない。
中世に、白山修験の山伏が開いた修験道の霊山とも言われるが、符合するように
六甲山神社の祭神は、加賀白山の白山比咩神社と同じく菊理媛命である。
また、六甲山神社は白山の宮(しらやまのみや)とも呼ばれている。
なるほど鳥居の形が神道ではなく、修験の結界と同じデザインだ。
フサフジウツギ。車道脇にたくさん咲いていた。
一軒茶屋に着くと、新しい公衆トイレの建設が始まっていた。
どんなのができるかな。
六甲最高峰近くに多く見られるアキグミ。
六甲最高峰葉ハイカーでいっぱいだった。山頂から、ガーデンテラス方面を見る。
アキチョウジ。
ヤマジノホトトギス。
何度となく車道を横断しながら、、小ピークを越えていく。
小さなアップダウンの連続に、体力が徐々にそがれていく。
ガーデンテラスに到着。いきなり俗な空間に放り込まれる感じ。
とはいえ、みやげ物を買えたり、ジュースを飲めたりできるのがいい。
みよし観音。
昭和39年、伊丹発徳島行の日東航空旅客機が、尼崎市の田能遺跡に墜落した際、
乗客7人を救出し、8人目を救出しようとして機内に入った瞬間、旅客機が爆発し、
殉職したスチュワーデスを讚えるために作られた。
建立当時、女優の吉永小百合さんらが「みよし観音賛歌」を寄せたという。
六甲山ゴルフ場の横を通る。玉よけのネットで囲まれた道を行く。
金網越しにアケビがたくさん実っていた。
六甲山小学校近くに立つ「この辺りが六甲山上のほぼ中心になります」の標識。
今回のゴール、記念碑台の下にある六甲山ガイドハウスを経て、六甲ケーブルで下山。
歩数計で計測していた人によると約30,000歩。ご参加の皆さん、がんばりました!
こうした経験が、あこがれの日本アルプスへの縦走などにつながっていくはずだ。
次回は記念碑台から摩耶山を越えて鵯越までの計画だ。