ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

こんなことをやる町に、市になる資格はない

2012年03月03日 22時14分48秒 | 国際・政治

 昨日(3月2日)付の朝日新聞夕刊なのですが、14面4版に「人口水増し問題 幹部ら4人処分 愛知・東浦町」という記事が掲載されておりました。小さい記事ではありますが、気になったので読んでみました。

 東浦町は、大府市の南隣にあり、高浜市や半田市にも近い所です。ここは市への昇格を目指していたようで、2010年10月に行われた国勢調査で、人口が水増しされたという疑惑が生じました。

 地方自治法第8条第1項は「市となるべき普通地方公共団体は、左に掲げる要件を具えていなければならない」として、次の要件を定めています。

 「人口五万以上を有すること。」(第1号)

 「当該普通地方公共団体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が、全戸数の六割以上であること。」(第2号)

 「商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の数が、全人口の六割以上であること。」(第3号)

 「前各号に定めるものの外、当該都道府県の条例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。 」(第4号)

 東浦町は、上のうちの第1号の要件をクリアするために、どうやら「居住実態を確認しないまま住民票に基づいて調査票に居住者を書き加えた」ようです。引用は上記朝日新聞記事からでして、意図的に水増しをした、などの作為性を感じるのですが、町は2日に行われた町議会の全員協議会で否定しています。

 私がおかしいと思ったのは、町長が全員協議会の冒頭に説明したという部分で、また記事の引用によると「職員が調査のルールを十分理解しないまま、それぞれの判断で、住民票などに基づいて書き加えを行った」という言葉です。

 これは真実なのでしょうか。そうであるとすれば、職員の資質が疑われます。国勢調査は住民が質問事項に対して回答を記入するものであって、市町村の職員が勝手に書き加えたりすることが許されないというのは、別に地方公務員の仕事をしていなくてもわかるはずです。つまり、常識を踏まえていないのですから、職員の資質がない、言い換えれば職員としての前提要件が欠如しているとしか思えません。

 もう一つの可能性は、町が組織ぐるみで不正を行ったということです。このようであれば事態はますます深刻です。

 市になってよいこともありますが、町村よりも事務の量は増えます。よくわかっているのかと、疑わしく思います。

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石川結貴『ルポ 子どもの無縁社会』(中公新書ラクレ)

2012年03月03日 17時19分09秒 | 本と雑誌

 中公新書ラクレは、21世紀になってから刊行された新書シリーズですが、中公新書の姉妹版であるだけに読み応えがあるものが多く、書店では必ずチェックしています。今回は、昨年の12月に刊行された、石川結貴『ルポ  子どもの無縁社会』を簡単に紹介します。ちなみに、私が購入したのは今年に入ってからです。

 ルポと銘打っているだけに、多くの事実が取り上げられています。どれも、いわゆる常識では考えられないようなことばかりです。まず、住所はおろか居所すらわからない児童や生徒です。或る日突然、子どもが学校に来なくなります。理由は不明ですが、親にも連絡が取れず、子供がいなくなるのです。

 非常に切実なのは、派遣労働者、ワーキングプアの問題です。派遣労働者の子どもが居所もわからない児童や生徒になってしまいます。住民票をA市にしておいても、実際の居所はB市になったりC市になったりします。これでは学校にも通えません。親の収入だけでは話が済みません。 ひどい場合には、子どもが実際に生きているのに、出生届も何も提出されていないので、法律上、その子どもは存在しない、という事態になりかねません。また、社会的にも存在を認められないこととなりますから、結局のところ、その子ども自身にとっても大きな損失を蒙ることとなるでしょう。

 第一章で衝撃を受け、第二章で扱われる虐待の問題、と読み進めていくうちに、これまで日本でも声高に唱えられてきた福祉社会や福祉国家とは一体何であるのか、という疑問が深まってきます。そして、全体を社会における人間関係の希薄性が貫通します。

 とくにそのことを示すのが、第四章の「ネットで出会い、リアルで孤立する親」の箇所です。ネットゲームに夢中になり、育児を放棄した親の例は、ネットでは他人との関係を築くことができても、現実(リアル)の世界ではそれができない。もっと言うならば、ネットでしか他人との関係を築くことができない。このようなことは、今、おそらく社会全体に蔓延しているとは思うのですが、育児放棄の問題にまで発展してしまう訳です。

 ネットでの出会いとは言いますが、これは本当の出会いではないでしょう。何せ、匿名で、ということは無名性を保ったままで、擬制の空間(実際は空間ですらないのですが)のみで関係を築くのです。ここには真の関係が存在しません。

  読み進めていけば、『ルポ 子どもの無縁社会』に示されている内容は、日本社会が抱える非常に深刻な問題であることがわかります。いや、単に「わかる」というのでは不十分です。何事にも万能の策はなく、特効薬もないのですが、解決策を見出さなければなりません。

 書いている間に、思い出したことがあるので、最後に記しておきます。

  まだ私が大分大学に勤務していた時のことですが、主婦を兼ねた学生が何人かおりました。そのうちのお一人が、「老人福祉には政治も行政も力を入れるが、児童福祉にはそれほど力を入れていない。それは、老人福祉なら票になるが、児童福祉では票につながらないからだ」という趣旨のことを、或る時に私に言われました。それが、今まで私の中に引っかかっています。たしかに、児童福祉関係より老人福祉関係のほうがニュースになりやすいし、ビジネスにもつながりやすい、という部分もあります。

 しかし、それでは我々の社会的責任を果たせないのではないでしょうか。少子高齢化と言いますが、高齢化よりも少子化のほうが、問題としては大きいのです。将来を担うべき子どもたちのことに無関心であり続けるならば、社会は必ず滅茶苦茶になります。

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