ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

西日本新聞の記事―日田市に税収増の見通しはない―

2012年03月15日 14時22分57秒 | 国際・政治

 私が大分大学に勤務していた頃は、平成の大合併の大波が全国を包み込んでいました。九州では、宮崎県だけがこの波から少し離れており、残りの県では合併に伴う様々な動きがありました。大分県は、それ以前から日本全国で最初の広域連合を発足させるなど、市町村合併や広域行政に熱心でしたので、最初から合併の枠から外れていた別府市を除く全市町村で賛成、反対の意見が熱心に交わされました。大分市に住む行政法学者として、合併に全く無関係ではいられず、大分時代の後半は市町村合併の動きを追い、大分県および宮崎県の何箇所かで講演などもさせていただきました。その幾つかを、私のサイトで紹介しています(http://kraft.cside3.jp/gyousei.htm)。

 結局、大分県で合併せずに残ったのは、別府市の他、日出町、姫島村、玖珠町、九重町、津久見市だけでした。他の市町村は全て合併しており、県内の市町村は58から20弱にまで減少しています。今回取り上げようとする日田市は、同市が日田郡に属していた大山町、天瀬町、上津江村、中津江村および前津江村を編入し、広大な領域となっています。同様であるのが佐伯市(南海部郡の全町村と合併)、中津市(下毛郡の全町村と合併)です。

 「リーダーたちの群像~平松守彦・前大分県知事」(月刊地方自治職員研修2003年10月号所収)という論文でも述べましたが、当時、大分県の過疎地域市町村指定率は全国一でして、1999年度には約77.6%(58市町村中45市町村)、2003年度(2003年4月21日の時点)では約75.9%(58市町村中44市町村)という高さでした。これが合併でどのようになったのかはわかりませんが、合併前の大分市でもそうであったように、過疎地域を多く抱え込んで面積が広大になった結果、目に見える過疎地域率は少なくなったとしても、実質的な率は高くなったものと考えられます。現在の日田市や佐伯市の領域を何度も車で走りましたが、合併後の市の中心部から50キロメートル以上も離れた場所では、行政活動などに支障がないとは思えません。この距離を考えてみてください。公共交通機関に恵まれた首都圏でも、移動に時間がかかります。まして大分県は鉄道もバスも衰退しています。自家用車がなければ移動もできない社会です。住んでいる者にやさしい社会とはいえませんし、遠くからの観光客を呼べる地域とも言えません。

 さて、日田市です。大分県の西部で、大分市より福岡市のほうが近い(地域によっては熊本市のほうが近い)というこの市も、当時の政府や大分県の政策に乗って合併を進めて現在の市となった訳ですが、非常に悲観的な見通しが立てられています。今日の0時28分付で西日本新聞社が「日田市、税収増の見通しなし」(http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/291865)として報じているところによりますと、日田市が発表した2012-16年度の財政状況予測では今後の予算総額が減少を続けるという趣旨のようです。同市の人口は、2010年度国勢調査によると70940人で、高齢化率は29%でした。今年は7万人を下回る可能性が高く、高齢化率は30%に達するという予測もあります。

 このようになると、市の財政規模も小さくなります。日田市の2011年度普通会計の総額は393億円ですが、2009年度には歳入も歳出も400億円台でしたので、減少傾向にあることは明らかです。これが今後も続くということでしょう。とくに歳入は減ります。市の見通しでは、2011年度に77億6千万円であった市税歳入が2016年度には71億円になるといいます。しかし、高齢化が進展すれば、福祉関係の歳出は増えます。

 元々、市税収入が少ない自治体です。歳入を補うために必要なのが地方交付税ですが、これについても見通しは明るくありません。合併特例債などの問題です。これは、合併の大波の最中に我々、というより一部の学者が危険性を強く指摘していました。また、大分県でも、当時の県議会議員、市町村議会議員の方が鋭く指摘されていたのです。

 当時の市町村合併特例法では、合併からの10年間について合併特例債などの多くの特例が認められていました。しかし、そろそろ期限が到来します。日田市の場合、2015年度から5年間、地方交付税の額が減らされます。2019年度までに20億円くらいの減少となるようです。国の財政状況からして、地方交付税の拡充を望めそうもないだけに、財政状況はますます厳しくなる蓋然性が高いといえます。

 今回は日田市の話を取り上げましたが、同市だけの問題ではありません。合併した自治体を中心に、財政特例の期限切れ、地方交付税の減額、税収入の減少などの問題を抱え、身動きが取れない状況になるでしょう。

 果たして、国はこうした地方の状況をどの程度認識しているのでしょうか。2010年6月22日に閣議決定された「地域主権戦略大綱」は、言うまでもなく民主党政権になってからのもので、同党の意識や意向が強く現れているものですが、その中の「第3  基礎自治体への権限移譲」の中に「いわゆる『平成の合併』により、全国的に市町村合併が進展し、市町村数は3,232(平成11年3月末)から1,727(平成22年3月末)となり、市町村の行政規模や能力の拡充が図られている」という文章があります。これを見る限り、自公連立政権と何ら変わるところはありません。そもそも、民主党のマニフェストでは市町村合併や道州制についてあまり触れられておらず、書かれているとしても非常に抽象的です。「地域主権」を唱えている割に、各地域の現状が理解されていないように見受けられるのは、私だけなのでしょうか。

 

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世田谷線(2)

2012年03月15日 00時20分52秒 | 写真

今年の2月27日付で「世田谷線」という記事を掲載しましたが、今回はその続編です。但し、写真は1枚しかありません。

  300系302F、第2編成です。2010年7月10日、下高井戸駅で撮影しました。青系の塗装は、この編成の他、303F、307F、310Fで見られますが、302Fが最も基本的な青色ということのようです。

 300系は1999年に登場した車両で、「ペコちゃん」などのニックネームで人気のある200形以来の連接車です。この車両が登場したことにより、デハ70形、デハ80形およびデハ150形は次々に廃車となり、冷房化が進みました。

 東急と言えばステンレスカーですが、軌道線である世田谷線は異なっており、日本で最初のオールステンレスカーである初代7000系の後に登場したデハ150形は普通鋼車でした。そのデハ150形は1964年に登場したので、300系は35年ぶりの新車ということになりますが、オールステンレスカーではなく、セミステンレスカーです。日本最初のステンレスカーである5200系はセミステンレスカーで1958年に登場しており、次の初代6000系は1960年に登場しているので、東急では49年ぶりのセミステンレスカーということになります。

 また、東急と言えば8000系以来のT型ワンハンドルマスコンですが、300系もそのT型ワンハンドルマスコンを採用しています。

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