〔今回は、「待合室」の第49回(2003年5月17日から24日まで)として掲載した記事の再掲載です。かなりの時間が経過いたしましたが、修正をしていません。なお、写真撮影日は2003年5月4日です。〕
今回から、速見郡日出(ひじ)町の中心部にある暘谷(ようこく)城址の様子を紹介いたします。 大分県に住み始めて7年目に入りますが、日出町を車で通過することが多いとは言え、町の中心部をゆっくりと歩いたことはあまりなく、暘谷城址を歩いたこともなかったので、一度は行ってみようと思い立ちました。
大分大学に就職してから、ゴールデンウィークも仕事をすることが多く、今年(2003年)もそうでした。ただ、研究室に詰めていると気分も湿ってきますので、5月4日、曇り空の中、敷戸駅から豊肥本線と日豊本線を乗り継ぎ、日出駅へ行きました。
大分駅から日豊本線上り列車に乗ると、しばらくは複線ですが、日出駅から杵築駅まで単線です。バスなどは日出駅発着なのですが、実は、町の中心部から外れています(日出町川崎に日出駅があります)。一つ手前の暘谷駅が、中心部の最寄り駅です。そのため、暘谷城址や松屋寺(しょうおくじ)へ行くのであれば、暘谷駅が最寄となります。
暘谷駅を降り、日出町役場の通りへ出ると、そこが日出町の中心街です。日出町役場のすぐそばに、上の写真に登場する建物があります。これは大分銀行の支店です。旧本店の赤レンガとともに、粋なデザインだったので、写真に収めました。
上の写真に「下町通り」があり、暘谷城址に建っている日出小学校が見えます。その通りに入ると、何かのイベントの時に使われるものと思われる鰈(かれい)の巨大な彫り物が置かれていました。しばらく歩くと、暘谷城址に着きます。
上の写真は、城址の入口にある案内板です。説明にあるように、天守閣などは残っておらず、その土台と堀が残されています。現在は日出小学校が建てられていますが、この校舎が天守閣をイメージしたものと思える姿をしています。なお、日出小学校と日出中学校との境目付近に、暘谷城の時鐘(じしょう)が残されています。
次回に、堀の様子などを紹介します。
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