西桑名駅を14時5分に発車したクモハ273+クハ142+サハ136+クハ141は、ゆっくりと走ります。現在、高速化事業を行っている最中らしいのですが、最高速度は時速45キロメートルです。単線なのは当然として、非常にカーブが多く、速度制限の箇所も多く、吊り掛け駆動のモーター音だけが高く響きます。
内部線・八王子線と比べるならば、路線距離の関係もあるのでしょうが、住宅地はそれほど多くないようです。農地、丘、雑木林が増えてきました。乗客は、蓮花寺などの駅で減り、東員駅(2005年に六把野と北大社を統合して誕生した駅)でクモハ273の客は私だけとなりました。楚原で小学生たちが大勢乗ってきました。引率の教員がいるので、何かの課外活動でしょう。メゾン・レ・スポワールという、へーベルハウス風のアパートがありますが、楚原駅周辺の風景から浮いたような名前です。雑木林の中を走ることが多くなり、久大本線の鬼瀬あたりや豊肥本線の竹中あたりを思い起こさせるような光景が展開します。勾配とカーブがやたらと多くなりました。
麻生田(「おうだ」と読みます)を発車し、しばらくすると25パーミルの坂を下ります。小さな街が目に入ってきました。終点の阿下喜に到着です。有人駅(但し、駅員配置の時間帯は限られます)で、自動券売機、自動改札機が設置されています。西桑名と違い、ホームは島式でのりばが二つあります。
懐かしい近鉄色の車両が置かれています。戦前に製造されたモニ226で、荷物室もある車両です。その後には腕木式信号機も置かれています。
阿下喜駅の南側には「軽便鉄道博物館」があり、線路も敷かれています。「北勢線とまち育みを考える会」という市民団体が運営しており、毎月第1・第3日曜日に公開されるとのことです。モ270形(クモハ270形)を模したミニ電車も走りますので、モニ226の周囲にはそのための線路も敷かれています。
私が先程まで乗っていた電車が駅に停車しています。写っているのはクハ141とサハ136です。14時56分に到着し、15時1分には発車します。
現在は柵のこちら側と向こう側とで違う立場にありますが、何年か前まではどちらも北勢線の線路を走っていました。塗装の違いも時代の流れを感じさせます。
モニ226の側面です。乗務員室の扉はないようです。
客室用の扉と荷物室用の扉があります。北勢鉄道時代に製造された車両ですが、270系の登場とともに何両かが内部線・八王子線に移っています。このモニ226もその1両でした。1982年には260系の登場に伴い、廃車となります。モニ220形の中にはサ120形に改造されたものもあり、現在も内部線・八王子線で運用されていますが、北勢線では走っていません。
廃車となったモニ226ですが、解体を免れました。これは、近鉄の車両としてはあまり例がないそうです。言われてみれば、近鉄線を走行してきた電車で、他社に譲渡されたものと言えば、路線そのものが移管された北勢線、養老鉄道養老線、および伊賀鉄道伊賀線の車両を除けば、大井川鉄道に譲渡された16000系(南大阪線・吉野線特急用)、6421系(大井川鉄道では421系)くらいしか思い当たりません。関東の大手私鉄、たとえば東急、小田急、京王、西武で使用された車両は、他の私鉄へ譲渡されて第二(場合によっては第三)の活躍をしますが、関西の大手私鉄や西鉄の車両については、最近、あまり譲渡例がありません。近鉄と西鉄はその代表格になっています(関東では京成が近い例でしょうか)。
モニ226に話を戻しますと、同車は長らく四日市市内で保存されてきました。2008年に阿下喜駅構内へ移され、2011年から公開されています。
軽便鉄道博物館には転車台もあります。これは実際に阿下喜駅で使用されていたものだそうです。ただ、いつ頃までのことかはわかりません。北勢線が電化されたのは1931年で、その後にも蒸気機関車が使用されたのでしょうか。電車には転車台など不要です。ともあれ、ここに移設されました。
転車台の周りにはミニ電車用の線路も敷かれています。公開日にはこの線路の上を走るのでしょう。
(2013年2月6日から14日まで、「待合室」に第512回として掲載。一部修正。)
スピードアップのための工事をしているとのことですが、線形からしてどれほどの効果があるでしょうか。
乗客数については、一度乗った限りですが、蓮花寺で多くのお客が降り、東員で非常に少なくなりました。私は「その1」に登場するクモハ273に乗っていたのですが、東員で私一人になってしまいました。