ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

三岐鉄道北勢線に乗る(その1)

2013年03月18日 22時05分15秒 | 旅行記

 2012年11月1日、廃線の危機に瀕する近鉄内部線・八王子線を乗り通しました。これで目的の一つを果たしましたが、三重県には通勤通学路線としての軽便鉄道がもう一つあります。これにも乗ってみなければ、三重県に行った意味が弱まります。そこで、近鉄四日市から名古屋線に乗り、桑名に出ることとしました。

 近鉄四日市駅の高架線の部分には、名古屋線と湯の山線のホームがあります。私が立っているのは名古屋線の3番・4番のりばホームで、5番・6番ホームの湯の山線ホームを撮影しています。近鉄の車両の系列は非常に複雑で、縁の薄い者にとっては理解しにくいものですが、5番のりばの電車は2000系です。ビスタカー2世として有名だった10100系の機器を利用しています。

 湯の山線は、元々が軌間762ミリメートルの軽便鉄道でした。開業は1913年のことで、三重電気鉄道時代に現在の1435ミリメートルに改軌されるまで内部線との直通運転も行われていました。2004年春まで特急(名古屋線に直通)も走っていたのですが、最近は乗客の減少が著しいようで、特急の廃止、ワンマン運転化、普通電車の減便、一部を除く駅の無人化が進められています。

 近鉄四日市13時28分発の急行に乗り、桑名で降りました。この駅にはJR関西本線、近鉄名古屋線および養老鉄道養老線のホームがあり、跨線橋を使って簡単に乗り換えることができます。異なる会社の路線が集まる駅なので中間改札か何かがあるのかと思ったのですが、それらしいものはありません。どうやら、改札口は共用のようです。

 三重県で最も乗降客の多い駅は近鉄四日市ですが、JR(東海)および養老鉄道では桑名駅です。なお、養老鉄道養老線は、2007年9月末日まで近鉄養老線でした。現在も線路や車両などは近鉄が第三種鉄道事業者として保有しており、養老鉄道は第二種鉄道事業者です。

 これから目指すのは三岐鉄道北勢線の西桑名駅です。ペデストリアンデッキのようなもの(あるいはそのもの)があり、そこを歩いていきます。平日の昼下がりという時間帯ですが、人通りはほとんどありません。もっとも、左側の下にはバスターミナルが広がっているので、そちらのほうが人通りが多いかもしれません。

 「その手は桑名の焼き蛤」という有名な洒落がありますが、東海道の宿場町でもあった桑名は「鋳物の街」だそうです。以下、市のサイトを参照して、市の姿の一端を記しておきます。

 現在の桑名市は、平成の市町村合併の強風が吹き荒れた2004年12月6日に成立したもので、旧桑名市、長島町、多度町が合併したことによります。旧桑名市は、1937年4月1日に桑名町が市制を施行したことによって生まれており、それ以前から幾多の合併を経ていますが、最後に行われたのは1956年9月です。

 市のサイトによると、2012年12月末日の時点における桑名市の人口は142,603人で、男性が70,238人、女性が72,365人となっています。世帯数は55,205です。面積は136.61平方キロメートルです。

 バスターミナルの南端まで歩きます。すると、三岐鉄道北勢線の西桑名駅にたどり着きます。桑名駅から少し離れており、乗り換えは可能ですが別の駅となっています。東京都内の地下鉄ですと、この程度しか離れていなければ別の駅名であっても完全な乗換駅とすることが少なくありませんが(例、赤坂見附と永田町、溜池山王と国会議事堂前、淡路町と小川町と新御茶ノ水)、そのためには運賃計算の上で同一駅とみなすことが必要となります。

 さて、この駅の名前は「西桑名」ですが、桑名駅の東口から南へ少し歩いた所にあります。「何で東にあるのに西桑名なんだ?池袋じゃあるまいし!」とお思いの方もいらっしゃることでしょう。実は、北勢線の歴史と関係があります。

 この駅は、当初、所在の村の名称によって「大山田」と名乗っており、現在の桑名駅東口のバスターミナルの場所にありました。1914年、大山田から楚原まで北勢鉄道の路線が開業します。その翌年に大山田から桑名町(後の桑名京橋)までが開業しました。1929年、大山田村は町制施行とともに西桑名町となり、1931年にはそれに合わせる形で駅名も大山田が西桑名に改称されます。時間のずれがあるのは、名古屋線の益生駅(1929年開業)が西桑名を名乗っていたからです。なお、桑名京橋~西桑名は1961年に廃止されています。

 西桑名駅前から桑名駅東口バスターミナルは、すぐ目の前です。三交イン桑名駅前が見えます。旧東海道の後身である国道1号線は、東に数百メートル離れた所を通っています。

 さて、西桑名駅の構内に入ってみましょう。北勢線の現在の起点であるこの駅は有人駅で、自動券売機や自動改札機も備えています。昔ながらの窓口もあり、鉄道グッズも売られています。最近ではこの類の物品を見かけることが多く、東急ハンズでも売られていますが、北勢線のものはこの駅でなければ買えないのでしょう。どの程度の収入があるのかはわかりません。

 御存知の方も多いと思われますが、北勢線は、長らく近鉄によって運行されていました。しかし、赤字路線であり、その累積の結果、近鉄は同線の廃止を打ち出しました。そこで、存続をめぐって地元自治体などが動き、三岐鉄道が運行することとなり、同社に譲渡されました。これが2003年のことで、その年から10年間は地元自治体の支援を受けて三岐鉄道が運営することとなっています。それから10年が経った今年、つまり2013年、北勢線について三岐鉄道、桑名市、東員町、いなべ市がどのような判断を下すのでしょうか。仄聞したところによると、駅の統廃合などを行った結果、乗降客数は上昇に転じたということですが、詳しいことはわかりません。北勢線の実績次第では、現在も近鉄の路線として運行されている内部線・八王子線の存廃問題にも影響が出ることでしょう。

 終点の阿下喜駅までの切符を買いました。460円です。距離は20.4キロメートルですから、やはり、少しばかり高いというところでしょう。参考までに記すと、東急東横線の渋谷から妙蓮寺までの営業キロ数は20.2で普通運賃は260円、東急田園都市線の渋谷から市が尾までの営業キロ数は20.6で普通運賃は260円です。JR東日本の場合ですと、東京駅から中央線快速経由で西荻窪までの営業キロ数が20.6で普通運賃は380円です。

 西桑名駅のホームは一本のみ、線路も一本のみです。留置線などもありません。元々が途中駅であったという事情もあるのでしょう。なお、この駅については移転計画があり、桑名駅に近づけるとのことです。

 楚原13時21分発の電車が13時56分に到着しました。14時5分発の阿下喜行きになります。4両編成で、上の写真に登場する先頭車両がクモハ273(近鉄時代はモ273)です。その後にクハ142(ク142)、サハ136(サ136)、クハ141(ク141)の順番に連結されています。全車がロングシートで、車体の色は三岐鉄道三岐線と同じ黄色で統一されています。内部線・八王子線の車両と違って塗色が統一されているので、好感が持てます。ちなみに、近鉄時代の色はマルーンでした。

 270系は近鉄時代の1977年にデビューした車両で、北勢線の近代化に大きく貢献しました。全長は15メートルで、軽便鉄道(近鉄では特殊狭軌線と称していました)の車両としては最大級です。しかも、扉は両開き、総括制御が可能となりました。但し、車体幅の関係などにより、非冷房車にして吊り掛け駆動でした。

 この系列に含まれるのはクモハ270形とクハ170形、さらにクモハ277形(1両のみ)ですが、クモハ270形が6両であるのに対し、クハ170形は2両です。これは、三重交通時代からの車両も引き続いて使用されるためで、クモハ270形(およびクモハ277形)がこれらの車両を牽引する形で運用されています。

 三岐鉄道に移管されてから冷房改造が行われていますが、クモハ273は非冷房車のままです。

 さて、この電車に乗り、いなべ市の阿下喜に向かうこととします。この駅を発車すると、すぐに全国で最も有名な踏切の一つを通過します。北勢線の762ミリメートル、JR関西本線の1067ミリメートル、近鉄名古屋線の1435ミリメートルという、三つの異なる軌間が集結しているのです。

 (2013年1月27日から2月6日まで、「待合室」に第511回として掲載。)

 追記(2014年8月28日)

 西桑名駅で撮影した動画を追加しておきます。


YouTube: 三岐鉄道北勢線クモハ273+クハ142+サハ136+クハ141(1)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (新)司法試験と法科大学院... | トップ | 三岐鉄道北勢線に乗る(その2) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事