9月2日、青葉台のフィリアホールで「江國香織×森丘ヒロキ×岸徹至『本とわたしとジャズな夜』」を見ました。「フィリア・トーク&コンサートシリーズ」の第2回です。
私は、大分大学教育福祉科学部(いつの間にか、また教育学部になっていました)に在職した頃、何冊か、江國さんの著作を買って読んでいました。それにジャズです。江國さんは、このコンサートへのメッセージで「子供のころ、家のなかに流れている音楽は、スタンダードジャズ(父親の趣味)かシャンソン(母親の趣味でした)」と書かれており、部分的ながら共通点を感じました。私の場合、子供の頃、今は亡き母が、FMや、TBSラジオで日曜日の10時から放送されていた「キューピー・バックグラウンド・ミュージック」を聴いており、ジャズやシャンソンなどを聴いていました。LPなどもあり、松本英彦さんのテナー・サックスやグレン・ミラー楽団の演奏(「ハロー・ドーリー」)を聴いたりもしていたのです。今でも、ジャズの演奏での「夕日に赤い帆」は聴いてみたいと思っています。私が本格的にジャズを聴き始めたのは中学1年生になってからのことですが、下地は幼少時に形成されたのでしょう。
フィリアホールはクラシックの中でも室内楽専門と言ってよいホールですが、時折、ジャズなどのプログラムも用意されます。沖仁さんと渡辺香津美さんのコンサートも楽しみました。今回はもっとストレートなジャズなので、楽しみにしており、何ヶ月か前にチケットを買っていました。
江國さんが選ばれた曲目はスタンダード7曲でした。時代で言えば1930年代から1940年代でしょう。プログラムにはTea for TwoやBody and Soulなどが書かれていました。
私は、例えばブルー・ノートの1500番台や4000番台の前半、プレスティッジなど、時代で言えば1950年代と60年代、ハード・バップ、ファンキー・ジャズ、新主流派、フリー・ジャズといったところを好むのですが、ピアノ・トリオなど様々なスタイルでスタンダードの曲は聴いています。たとえ曲名がわからなくても、聴けば「あっ、これか!」とわかるものばかりです。Tea for Twoと言えば、名画「真夏の夜のジャズ」でアニタ・オデイのスキャットで何度となく聴きましたし、Body and Soulはコルトレーン、Mack the Knifeはロリンズの超名演や、オスカー・ピーターソン・トリオ+クラーク・テリーなどでも聴きました。
ジャズの場合、何だかんだと言っても曲そのものというより、演奏、アドリブで決まることがあります。典型的な例がMy Favorite Thingsでしょう。陳腐な曲と言ってよいでしょうが、コルトレーンにかかると途端に名曲に変化します。彼の死の前年に行われた日本公演での同曲での、テナー・サックスのソロを聴いた時には、タイムマシンが欲しくなったほどでした。
森丘さんと岸さんの演奏は、最初からお客を楽しませてくれました。森丘さんのピアノは、ソロもバッキングもリズム感にあふれていましたし、演奏中の表情も、「自分たちが楽しんでいるよ」と思わせながらお客も楽しませるのです。よくわからないところもありますが、気が乗らなかったりして自分たちが楽しめず、「つまらないなあ」、「こいつと演奏したくないね」などと思いながら演奏し、顔にまで出ていたら、お客も楽しめないでしょう。こういうところについては、実は私自身の仕事にも当てはまる部分があるのです。
また、このコンサートで特に印象的であったのが、岸さんのベース(勿論、コントラバス)の音でした。2回ばかり、アンプのノイズの音が出たのは御愛嬌でしょうが、コンサート・ホールという場所のためか、アンプを使っているとは思えないほど自然な響きに聞こえる音でしたし、弓弾きの音(「アルコ」という表現がよく使われます)が美しかったのには驚きました。しっかりとヴィブラートも利かせていたので、伸びのある音となっていました。一瞬、チャールズ・ミンガスのMeditations on Integrationや、ドルフィーとリチャード・デイヴィスのデュオでのCome Sundayを思い起こしました。どちらも、ベースのアルコの音が美しく響く演奏です。
私が特に気に入った演奏は、Body and Soul、Mack the Knife(だんだん速くなり、転調を繰り返す)、そして最後に演奏されたAutumn in New York(聴いた瞬間にケニー・ドーハムを思い出す)でした。この3曲については、録音が残っていたらまた聴いてみたいものです。特に最後の曲は、どことなく切なさもあり、そこにひかれました。
田園都市線に乗って帰る間に妻が感想を言っていたので、翌日、机に私が所有するジャズのCDを何枚か置いておきました。楽しんでくれたでしょうか。
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