ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

今日で10年

2021年03月11日 12時35分00秒 | 日記・エッセイ・コラム

 東日本大震災からちょうど10年となりました。

 あの日のことは、地震発生以降であればよく覚えています。14時46分から5、6分続いた揺れについては、このブログに載せた「2011年3月11日、高島平からの帰宅記」にも記しました。当日の行動についても書きましたので、参考になるかどうかはわかりませんが、お読みいただければ幸いです。

 その後も、このブログでは折に触れて東日本大震災のことを記しています。大震災、福島第一原子力発電所事故。私の手元にある日記には、2011年3月12日の項で福島第一原子力発電所事故のことが書かれていますが、情報が入ってこなかったためか「福島第一原子力発電所が大変なことになっている。炉心融解が起こっているという。放射能漏れが起こるだろう。大事故につながらなければよいのであるが」と書かれており、3月13日の項では「今日は福島第一原子力発電所と福島第二原子力発電所が大きく取り上げられている。昨日より避難指示の範囲が広くなっているし、被曝した人も出てきた。場合によっては大爆発などを起こすのであろうか。そうなれば東日本全体が危ない」と書かれています。その後の経緯については御存知の通りです。

 2021年2月13日の23時8分、マグニチュード7.1の地震が起こりました。この時、私はうちにいましたが、すぐに福島第一原子力発電所のことを思い出しました。どうなっているかが心配になったからです。この原発の事故の処理が終わらない限り、完全な復興などありえないと考えるのですが、いかがでしょうか。

 2011年に時間を戻すと、1月25日に千葉県東方沖を震源とする地震が発生しています。2月22日にはニュージーランドで地震が発生しており、19時からのNHKニュースも放送時間を延長しています。3月9日の11時45分には三陸沖を震源とする地震があり、宮城県北部で震度5弱を観測しました。1月25日、2月22日、そして3月11日の地震は関連性があるのではないでしょうか。

 2011年3月11日の15時24分には茨城県沖を震源とするマグニチュード7.6の地震がありました。この日には19時36分にも福島県沖を震源とする地震が発生しており、その際に私は新宿区西早稲田にいました。余震とは言えかなり大きく揺れ、道路を歩いていた私は「これが大きくなったら逃げ場もないから死ぬか大けがをするだろうな」と思っていました。

 東日本大震災の翌日、2011年3月12日の午前3時59分には長野県北部地震が発生しました。同県の栄村で震度6強を観測しており、やはり大災害となりました。

 その後、緊急地震速報がよく入るようになりました。我々がうちにいようが電車に乗っていようが車を運転していようが、地震は関係なく起きます。田園都市線の電車に乗っていて、私のフィーチャーフォン(iPhoneに変えたのは2013年でした)から緊急地震速報の音が発せられたと思うと他の乗客が持っているフィーチャーフォンやスマートフォンからも音が出ます。こういう時は誰からも「うるせえ!」などと怒鳴られず、「また来たのかよ!」、「揺れが大きいぞ!」などという声が飛び交います。実際、電車が二子橋などで急停止し、大きく揺れたのです。乗務員室のそばに立っていると、列車無線からも緊急地震速報の音が聞こえます。首都圏で緊急地震速報が頻発するような状況でなくなったのは、いつごろからでしょうか。

 2016年4月14日21時26分と16日1時25分、熊本地震がありました。14日のほうはマグニチュード6.5、16日のほうはマグニチュード7.3で、益城町で震度7を観測しています。

 そして現在。10年前と、どことなく状況が似ているような気もします。地震活動の点においてです。


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