今回は、2005年3月7日から同月14日まで「待合室」の第134回「都営三田線途中下車(4) 板橋区役所前駅周辺」として掲載した記事の再掲載です。題を変更した他、文章の一部を修正しました(内容を変えない範囲です)。なお、写真は全て2005年3月1日に撮影したものです。
2004年、帝都高速度交通営団から東京地下鉄株式会社への組織替えとともに始まった駅のナンバリング(普及しているとは思えませんが)で行けばI18の板橋区役所前駅です。その名の通り、駅を出るとすぐに板橋区役所があります。この写真の左側です。接続などはないのですが、東武東上線大山駅にも近いと思われます。自動車を運転する方であれば、首都高速の板橋ジャンクションと言えばおわかりのことでしょう。
実は、この駅、神保町、志村三丁目とともに私にとっては何かと途中下車することが多い駅です〈2004年4月から2010年4月上旬までの話です〉。その理由ですが……。
板橋区役所前駅のすぐそばにある交差点を渡り、仲宿に入ります。実は、ここに旧中山道の板橋宿がありました。上の写真は、まさに旧中仙道で、現在は御覧のように商店街になっています。食事を取る時など、巣鴨から西高島平までの間では最も便利なので、途中下車をする訳です。
現在は仲宿という地名になっていますが、板橋宿は旧中山道の最初の宿場町です。この交差点を奥のほうに進むと板橋区役所前駅で、板橋区役所(奥のほうにかすかに見える高い建物)がある訳ですが、そのあたりの地名は板橋です。
この脇道も、板橋区役所前駅への近道です。奥へ行くとさらに細くなりますが、板橋区や練馬区(元々は板橋区でした。戦後になって独立します)に典型的な細道が、ここにもあります。
首都高速が見えます。ちょうどジャンクションの部分で、右のほうへ行けば板橋本町、高島平方面です。私は滅多に首都高速を使いませんので、左側のほうは何処に出るのかわかりませんが、西巣鴨のほうでしょうか。
2枚目とは逆の方向です。奥に進みますと、板橋郵便局の近くで首都高速の下を通る幹線道路と交差し、新板橋、西巣鴨のほうへ向かいます。どこかの私鉄の駅前のように見えますが、地下鉄の沿線では意外にこうした商店街は少ないのです。三田線の場合はとくに、しっかりとした駅前商店街が少ないので、貴重なのかもしれません。
仲宿商店街から脇道に入ると、御覧のように細い道を挟んで住宅街が広がります。左側には、このあたりの地主さんのものではないかと思われる立派な邸宅がありました。私が小学生の頃までであれば、こういう道で子どもたちが蝋石を使ったりして遊んだものです。東京にはこういう場所が多く、板橋区、練馬区の他、世田谷区、目黒区、品川区などでも目にします。
川崎市にもこういう場所がありました。懐かしい思いにとらわれながら歩き、撮影しました。今、私の自宅の近所では賃貸マンションなどが次々と立ち並ぶようになっていますし、道路も拡張され続けています。私が通っていた小学校の近所は、川崎市でも区画整理が最も進まなかった所の一つと言われており、車の通行も難しい道も多かったのです。仲宿の裏のあたりも、区画整理がなされていないのではないかと思えるような所で、同じ板橋区でも高島平とは全く違います。さすがに、この道を車で通ることはできるようですが、トラックなどでは難しいかもしれません。
こんな脇道がありました。公道なのか私道なのかわかりませんが、商店街に出られるようになっており、地元の人々もよく通行しているようです。道路の舗装を見ていると、いかにも脇道という感じがします。中原区西部によく見られた光景です。
仲宿商店街に戻ってきました。先ほどの交差点のところに板橋宿の存在を示したモールがあるのですが、どういう訳かウサギの親子がモールに腰掛けています。私の知る限りでは、こういうものを見ることができる商店街はあまりないので「いいなあ」と思い、撮影してみました。
板橋区役所前駅のある交差点に雪が残っていました。すぐ上を首都高速が通っているのですが、何故かここにだけ残っているのです。たしかに、2月25日に雪が降りました。しかし、東京であれば、2日か3日も経てば、雪は融けてしまうはずです。いかに首都高速に日光などをさえぎられる歩道とは言え、どうしてここにだけ雪が残っているのか。脇道のほうなどにも残っていないのに。不思議な気分になりました。
なかなか進まない都営三田線・東急目黒線途中下車の旅ですが、今後も、機会を見つけて撮影し、掲載していきます。
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