今日(2021年4月3日)付の朝日新聞朝刊7面13版Sに掲載されている「経済気象台」は「地方に財源を」と題された文章です。
行政法、租税法、財政法を専攻し、地方税法や地方交付税法について論文を書いてきた私は、今回の「経済気象台」に同感します。しかし、読み進めると、あれこれと疑問が湧いてきたのも事実です。
まず、「地方に財源を」というフレーズは、この日本で何年も、何十年も繰り返されています。このこと自体、財源移譲が容易に実現しそうにないことを意味します。そればかりか、逆移譲も行われています。その例が地方法人税、特別法人事業税および森林環境税です(クリックしていただくと論文に飛ぶことができます)。この10年ほど、地方税財源の偏在と格差の是正が強調され、地方税財源の確保・充実は後に回されてきました。偏在と格差の是正が確保・充実につながらない訳ではなく、前者が後者の一環でもあることを忘れてはなりませんが、後者が十分でなくとも前者を行うことは可能です。
次に、「地方に財源を」の筆者である「比叡」さんの主張のそれぞれについては「ごもっとも」と言えます。「地方自治には財源が不可欠だ」という文にも同感です。しかし、「法定外税をもっと自由に導入できるよう、法制度を変えるべきではないだろうか」という結論には論理の飛躍がある、とまでは言えなくとも、必然的にそう主張できるとは思えません。むしろ、法定外税を制約すべきであるとも言えますし、法定外税は脇道、回り道ではないかと考えられます。
「比叡」さんは東京都の特別区全区で「2021年度の特別区税収が減る見込みだという報道を目にした」という文で「地方に財源を」を始めます。特別区に限らず、おそらくは東京都も相当の税収不足に見舞われることになるでしょう。このコロナ渦では各地方公共団体の基金の残高も減少していると考えられます。
また、「比叡」さんは、特別区について「都から配分される交付金の減少、ふるさと納税による減少も追い打ちをかけている」と指摘します。「比叡」さんはふるさと納税が「返礼品目的の寄付の増加と、都市部の自治体の税収減を招いた」とした上で「寄付の思想を返礼品で薄め、その元手を自治体間の税収の移動でまかなおうという発想は、せせこましい」と主張します。全く同感です。私も何度となく書いてきましたが、そもそも、ふるさと納税は地方税の原則に反しますし、地方自治法第10条第2項に定められる負担分任の原則にも反します。住民税は、住民が現在居住している地方公共団体からサービスなどによって利益を得ているという仮定が大前提となっています。この大前提が存在するから、非常に抽象的でありながらもサービスの対価として住民税を理屈づけることができますが、ふるさと納税によって(たとえ部分的であるとしても)壊されてしまったのです。地方税については応益負担を強調する論者が多いのに、このような点を指摘する者は少ないようです(管見の限りではありますが、税法学者などでもふるさと納税に対して正面から批判する者は少ないように見受けられます。私は例外的存在なのでしょうか)。応益負担論の曖昧性を如実に示すとともに、実に使い勝手が良く、どのようにでも拡張・縮小しうる議論であると言わざるをえません。
次いで、「比叡」さんは法定外税に進みます。神奈川県臨時特例企業税について最高裁判所第一小法廷が2013年3月21日に下した判決(同税を定める県条例が地方税法に違反し、無効であると判断したもの)を引き合いに出し、「過度の法律優位主義の下では、安心して法定外税を導入することは難しい」、「そのためか、現状では、訴訟を起こす可能性が低い『よそ者』に課税する例が多い」と指摘します。たしかにその通りと言えます。宿泊税は「よそ者」への課税の典型例です。しかし、ここで法定外税へ進むのは何故でしょうか。
おそらく、現実的な選択肢によるのでしょう。すなわち、主要な税源のほとんどを国税に取られている現状においては、地方税の拡充を手っ取り早く進めるには法定外税に頼るしかない、ということです。ここで再び「しかし」ということになるのですが、法定外税の拡充を求めるのは竜頭蛇尾ということになるでしょうし、国民・住民(法人を含みます)の理解を得られるかどうか疑わしいところです。「地方に財源を」という掛け声に相応しくないことは、少しばかりお考えいただければ明らかでしょう。
(ちなみに、法定外税で地方税法に違反するとして無効とされたのは神奈川県臨時特例企業税の他にはあまり例がありませんし、総務大臣の同意を得ることができなかったために施行することができなかったのは横浜市の勝馬投票券発売税くらいです。)
そうなると、やはり税源再配分を求めて地方税財源の拡充を図ろうとするのが本筋ということになります。但し、この考え方に疑念が寄せられていることも否定できません。
私が所持している本で、或る実務家の方が地方消費税を正面から批判されていました。国税たる地方税と都道府県税たる地方消費税が国によって一括徴収されていることなどからすれば、敢えて地方消費税を設ける必要はない、という論調であったと記憶しています。たしかに、国内における経済活動の多くが都道府県の枠を超えて行われることからすれば、消費税の一部を都道府県税とする意味は薄いということになります(また、消費税の税収の一部は地方交付税の構成要素となります)。
もっとも、これを言い出すと主要な地方税の多くで税源が国税と重なることから、地方税の多くは国税とすべきである、という主張を展開することもできます。税源の偏在と格差に視点の重心を置けば、地方税財源の拡充はむしろ偏在と格差の拡大にもつながるので、地方税の国税化は望ましいということにもなります。しかし、これを徹底すると地方公共団体の財政は完全に国の財政に依存する形となり、不安定の度合いが増します。
以上のように書いてきたのは、10年以上にわたって地方自治総合研究所の地方自治立法動向研究プロジェクトに参加している私が、地方税財政の在り方について考え続け、悩んでいるためです。
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