先日、古書で『植草甚一読本』(晶文社)を入手しました。
まだ学部生か院生であった頃に、晶文社から刊行されていた「植草甚一スクラップ・ブック」の『植草甚一日記』を購入し、よく読んでいました。たしか花田清輝氏の解説が付いており、その解説にも書いていたと記憶していますが、読んでいるとやる気になるような何処かを歩きたくなるような、不思議な気分になるものでした。
『植草甚一日記』には1945年1月1日から8月15日までの日記と、1970年1月1日から12月31日までの日記が掲載されていました。『植草甚一読本』には1970年の日記のみが掲載されていますが、読んでいると、何となく、当時の東京の様子が浮かんでくることがあります。私は1968年生まれなので、1970年といえばまだ2歳、東京の様子を目にしたところで記憶しているはずもないのですが、1970年代後半の記憶が蘇ったのかもしれません。
大阪万博など目もくれず、東京の神保町、経堂、三軒茶屋、渋谷、六本木など各所へ行き、時には京都などへ足を運んで古本や洋書を漁りまくり、そして原稿執筆に明け暮れる日々が綴られています。こうした生活の様子が当時の若者の人気を集めたというのも理解できます。実際、街を歩く様子を読めば、うらやましくもなるのです。今、古本屋が少なくなっているから、余計にそう感じるかもしれません。
植草氏の文体は独特で、東京の下町育ちらしい言葉遣いもふんだんに現れながら或る種の気品があるものです。文章というよりは語りに近いと言えるかもしれません。『植草甚一読本』に収録されている「植草甚一自伝」はその典型ですが、ジャズ、映画、英米の文学などに関する文章もそうです。ちなみに、植草氏はピーナツブックス、そう、チャーリー・ブラウンやスヌーピーなどが登場する漫画に、かなり早くから注目し、読んでいたようです。
時々、日記と銘打った本を買って読むことがあります。公刊する以上、私的な日記ではなくなり、著者の実際から多少とも離れ、脚色されたりして、虚実が入り交じることもあるでしょう。それでも、日記には著者の本音などが示されたりするものですから、読み返して新たな発見があったりするものです。
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