ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

東京の御岳山(2005年11月4日撮影。その2)

2015年11月05日 08時00分00秒 | 旅行記

御岳登山鉄道のケーブルカーに乗り、山上へ向かいました。滝本駅から見るだけでもかなりの急勾配なのですが、実際に乗ってみたら、本当に急な勾配でした。

 「いきなり何だ?」と思われるかもしれません。車内から撮影してみました。ケーブルカーですから、時速がそんなに高い訳でもないのですが、こんな写真になってしまいました。窓ガラスにかなりの傷がついていることまでわかってしまいます。ちなみに、車両の年齢(車齢)も高いはずです。

 途中、登山道も見えました。細い道ですので、軽自動車がようやく入れるような道です。

 山上の駅、御岳山駅に到着しました。ここで降ります。標高は828メートルです(但し、山上駅も階段状になっていますので、駅舎の標高はさらに高くなります)。

 標高を示す札の右側に、453という数字が書かれ、左斜めに上げられている白い板が見えます。これが勾配標です。453というのは、453パーミルを意味します。1000メートル進む際に453メートル登る、という意味です。これは非常にきつい勾配でして、ケーブルカーのようなものでなければ登ることもできず、下ることもできません。自転車、自動車でも無理です。普通の鉄道〔とくに蒸気機関車と気動車(ディーゼルカー)〕は勾配に弱いので、なおさら無理です。

 既に廃止されてしまった信越本線横川~軽井沢の急勾配は、明治時代に旧中仙道沿いに幹線を建設しようとした政府関係者の頭を悩ませたほどで、アプト式(線路の間にラックレールを敷き、車両に仕掛けた歯車をかませて走行する方法)を採用して開通し、後には普通の車両に、シェルパというニックネームまでついた電気機関車EF63の2両を連結していましたが、ここで最も急な勾配が60パーミル台でした。これは、アプト式を採用しなかった京阪京津線の逢坂山付近と大体同じです。また、やはりアプト式を採用していない箱根登山鉄道で80パーミル台です(残念ながら、塔ノ沢から先には乗ったことがありません)。アプト式を採用しているのが大井川鉄道井川線で、最急勾配は90パーミルほどです。ちなみに、スイッチバックで有名な豊肥本線の立野~赤水(ディーゼルカーに乗ると風情があります)は33パーミルほどでした。

御岳登山鉄道のホームページによると、走行距離は1107メートル、勾配の平均角度は22度26分、最急勾配は25度10分であるとのことです。両駅の高低差は423メートルほどです。

ケーブルカーは、普通、山上駅にあるコントロールセンターで、運転士が2台を同時に運転します。つまり、車内に運転士はいません。乗り込むのは車掌です。

御岳山駅から、今度はリフトが通っています。大展望台駅までです。これも鉄道なのです。ロープウェイも鉄道ですから、当然のことではありますが。

 リフトに乗るのは、1997年の秋に大分県耶馬溪町(現在は中津市の一部)にある羅漢寺のリフト以来、およそ9年ぶりのことです。この羅漢寺のリフトは、とにかく座り心地が悪く、プラスティック製の椅子で滑りやすいので何度も落ちそうになりましたが、御岳山のリフトは比較的乗り心地がよかったと思います。リフトに乗りながら撮影をするというのは難しいものですが。

大展望台の駅に、杉の切り株が置かれています。何だろうと思い、辺りを見ると、説明板がありました。

 神代杉という杉の株でした。御覧のような説明が書かれています。昭和41年と言えば1966年、私が生まれたのが1968年ですので、その2年前のことです。伊勢湾台風については、とくに三重県での大被害の話を聞いたことがあります。勿論、非常に有名な話です。

 大展望台駅の裏です。ここから御岳神社までは山道を歩いて行くのですが、何と言ってもこの展望でしょう。どの方角を写したものだったか、よく覚えていないのですが、立川や八王子のほうだったでしょうか。川崎のほうは、残念ながらあまりよく見えなかったのですが、この光景で疲れも吹っ飛びました。

 (2006年6月26日から7月3日まで、「待合室」第173回として掲載。一部を修正。)


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