ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

Hommage à "Camphor" (David Sylvian)

2011年10月22日 22時41分17秒 | 音楽

 大げさな題名をつけたかもしれない。しかし、私が大分でこのCDを購入してからというもの、何かにつけて聴いている(しかも、最初に日本盤を入手してから3年後に、今度はイギリス盤を購入した。好きなCDなどであれば、重複を承知で買うこともある)。それは、この一種のコンピレーション盤を聴いて感動しただけでなく、デイヴィッド・シルヴィアン(David Sylvian)が器楽曲(要するに歌が入っていない曲)の作る世界に共感しているからである。そして、「カンファ」(Camphor)は、私が大分で買ったCDの中で、ジャンルを問わずにベストと考えているものでもある〔もう一枚あげるとマヌエル・ゲッチング(Manuel Göttsching)の「E2-E4」がある〕。

 同世代の多くの人と異なり、私は、ポップスやロックなどにあまり親しんでいない。時期によって違いはあるものの、クラシックやジャズを中心に聴いており、CDもそうしたものが大半を占める。小学生から中学生にかけてイエロー・マジック・オーケストラやロジック・システムを聴いていたし、その後にクラフトヴァーク(Kraftwerk)、ノイ(Neu!)、クラスター(初期はKluster、後にCluster)、クラウス・シュルツェ(Klaus Schulze)などを聴いてはいたが、それ以上に進んでいなかった。ふとしたことでJAPANを聴いたが、後期の作品に何曲か収録されている器楽曲に魅力を感じた。そのJAPANのヴォーカリストだったシルヴィアンのソロを購入したのも、おそらくは単なる興味本位であったはずである。ただ、少し前に、ウインドウズ95の起動音でも有名なブライアン・イーノ(Brian Eno)がペーター・シュヴァルム(J. Peter Schwalm)との共同プロデュースで作成した「ドローン・フロム・ライフ」(Drawn from Life)、そしてアンビエント・シリーズを聴き、アンビエント系に関心をもったことが土台にあることは確かである。

 先に「大分で買ったCDの中で」と記した。実は、1997年に大分大学に着任してからも、しばらくの間、大分でCDを買ったことはほとんどなかった。六本木WAVEなどで購入していたのである。しかし、六本木WAVEが1999年12月25日をもって閉店したため(私は大晦日になって知った。その時のショックを今でもよく覚えている)、2000年から大分で買うようになったのである。大分では当初クラシックばかり買っていたが、どういう訳かロック系の棚も見るようになり、時折ロック系も買うようになった。その時に、シルヴィアンの作品が気になった。小学生の頃、「孤独な影」(Gentlemen take Poraroids)の収録曲をAMラジオで聴いたことがあり、断片的ながら節を覚えていたので買いやすかったのかもしれない。そして、ヴァージン・レーベルからの最終作である「カンファ」を購入した。

 このCDを買ったのは2002年8月17日のことだった(余談であるが、この年と翌年、私は夏休みをとっていない)。日本で発売されたのが同年6月のことであるから、それほど時期が離れている訳でもない。黒を基調とした不気味なジャケットであったが、何故か心をひかれた。ジャケットだけを見て全ての音楽を想像しうる訳でもないが、その時はおそらくこういう音楽であろうということを想像することができた。しかし、実際に聴いてみたら想像以上の素晴らしい出来だった。

  「カンファ」は、イギリスの有名なレコード会社、ヴァージンから出たシルヴィアンの傑作集というべきものである。このアルバムは、彼がJAPANの後期より長らく所属していたヴァージンでの最後のアルバムとなるだけでなく、3曲(そのうちの1曲は、シルヴィアン自身により、サンスクリット語か何語かわからないが、とにかくインドの言葉で歌われている)を除き、ヴォーカル曲は収録されていない。元はヴォーカルが入っているものも、編集などがなされていて、ヴォーカルが入っていない。そのことが、いやがうえにもアンビエント色と現代音楽色を高め、冒険的あるいは急進的ながらも気品のある作品となっていることを指摘しておきたい。

 タイトルのCamphorは樟脳を意味する言葉である。何故にこのような名前がつけられたのかわからないが、たしかに、樟脳が持つ独特の輝きと匂いが、この音楽にもあるような気がしてならない。

 ここで、収録曲と原収録アルバムを記しておこう。なお、以下は日本盤の構成である。

  1. All of My Mother's Name "Dead Bees on a Cake"

  2. Red Earth (as summertime ends) Originally released as "Rain Tree Crow"

  3. Answered Prayers "Gone to Earth"

  4. The Song Which Gives the Key to Perfection unissued

  5. New Moon at Red Deer Wallow  Originally released as "Rain Tree Crow"

  6. Praise (Pratah Smarami) "Dead Bees on a Cake"

  7. Wave (Version) [Original on "Gone to Earth"]

  8. Mother and Child (remixed) Original on "Secrets of the Beehive"

  9. Plight (the spiralling of winter ghosts) detail David Sylvian and Holger Czykay, "Plight & Premonition"

10. Upon this Earth "Gone to Earth"

11. Big Wheels in Shanty Town Originally released as "Rain Tree Crow"

12. The Healing Place "Gone to Earth"

13. Camphor unissued

14. A Brief Conversation Ending in Divorce "Alchemy  An Index of Possibilities"

15. Mutability (A new beginning is in the offing)  [David Sylvian and Holger Czykay, "Flux &  Mutability"]

 〔なお、イギリス盤は2枚組になっており、1枚目は14曲目までを収録し、2枚目はボーナスCDとして次の3曲を収録している。

   1.Plight (The spiralling of winter ghosts) David Sylvian and Holger Czykay, "Plight & Premonition"

   2.Mutability (A new beginning is in the offing) [David Sylvian and Holger Czykay, "Flux &  Mutability"]

   3.Premonition (Giant empty iron vessel) David Sylvian and Holger Czykay, "Plight & Premonition"]〕

 シルヴィアンのソロ第一作である「ブリリアント・ツリーズ」(Brilliant Trees)からは1曲も選ばれていないが、第二作である「ゴーン・トゥ・アース」(Gone to Earth)が最も古い音源であり、3曲が選ばれている。また、実質的にジャパンの再結成アルバムである「レイン・ツリー・クロウ」(Rain Tree Crow)から3曲も選ばれている。

 そして、コンピレーションにあたって、幾つかの曲で手が加えられている。最もよくわかるのは8曲目で、これは元々「シークレット・オヴ・ザ・ビーハイヴ」(Secret of the Beehive)に収録されていたヴォーカル曲であるが、ここではヴォーカルの代わりに、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)を彷彿とさせるトランペットが起用されている。それが実に素晴らしい。元々ジャズのような曲であるだけに〔シルヴィアンは1980年代にウェザー・リポート(Weather Report)などを愛聴していたらしい〕、トランペットは曲の雰囲気をさらに高める効果を発揮している。そして、坂本龍一によるピアノが前衛的で、曲とのバランスを考えると非常に興味深い。全体として哀愁がたっぷり漂う曲で、「カンファ」のハイライトと言ってもよいかもしれない。

 ジャズのような曲と言えば三拍子の1曲目がそうで、私は、このCDを最初に聴いた時、マイルス・デイヴィス(Miles Davis)の「オン・ザ・コーナー」(On the Corner)とコルトレーン(John Coltrane)のフリー・ジャズを一緒にしたような、アヴァンガルド・ジャズと評価してもよいこの曲に打ちのめされた。躍動的なタブラのリズムが強烈であり、中間部のエレクトリック・ギターによるソロは完全にフリー・ジャズである(この曲にも坂本龍一が参加している。彼は、YMOでメジャーになる前、川崎市出身のフリー・ジャズの鬼才、阿部薫などと共演していた)。

 また、3曲目と12曲目は、「ゴーン・トゥ・アース」収録時より半音だけピッチが上げられている(3曲目はFメジャー・マイナーからGマイナーに、12曲目はEマイナーからFマイナーに)。そのためか、オリジナルよりも幽玄の境地という度合いが増している。とくに、12曲目については成功したと言うべきであろう。ビル・ネルソン(Bill Nelson)のギター・ソロが一層美しく聴こえてくる。なお、同じ「ゴーン・トゥ・アース」に収録されている7曲目(これには相当に多くの編集が加えられており、原曲よりも幽玄さが増している)と10曲目のギター・ソロは、あのキング・クリムゾン(King Crimson)のギター奏者、ロバート・フリップ(Robert Fripp)によるものである(かなり強いサスティンが利いた特徴のある音なのですぐにわかる。なお、最近出たイーノとの共作も素晴らしい出来である)。

 シルヴィアンは、ドイツ・ロックの伝説的なバンド、カン(Can)のベース奏者であったホルガー・シューカイ(Holger Czykay)と2枚の作品を残している。いずれも、これぞアンビエントという感じであり、現代音楽との混合と評価してもよいものであるが、非常に長い曲であるため、「カンファ」では短縮版が収められている。しかし、元の雰囲気はそのままになっている。

 そして、13曲目と14曲目について触れておきたい。いずれも、このアルバムの中では最も現代音楽的色彩が濃い。そして、シルヴィアンがこれまでに発表した作品の中では、この2曲と「アプローチング・サイレンス」(Approaching Silence)に収録されている3曲が、最も現代音楽的なのである。

 私は、これらを聴いてから長らくの間、誰かの作品が持つ雰囲気によく似ていると思っていたが、よくわからなかった。ゆっくりとしたテンポ、多くのミニマル・ミュージックには感じられない独特の間からは、日本が生んだ20世紀最高の音楽家の一人、武満徹の作品を想起させる瞬間を生み出していたが、確信を持てなかった。

 解答の、少なくとも一部は、シルヴィアン自身が示してくれた。それを、私は、今年(2006年)の夏、偶然にして自由が丘で見つけた。「武満徹|Visions in Time」という本に、シルヴィアンの寄稿文が掲載されていたのである。その文によると、シルヴィアンが武満の作品を知ったのは、JAPANが活動していた1970年代の終わり頃で、武満の「鳥は星型の庭に降りる」が最初の体験だったようである。そして、シルヴィアンの最初のソロ・アルバムである「ブリリアント・ツリーズ」の中に、武満徹の作品をサンプリングしたものがあった(私にはよくわからなかったが、聴き直してみたい)。実は武満に無断でサンプリングをしたとのことだが、武満は許し、むしろ関心を示したらしい。そして、「アプローチング・サイレンス」の元にもなった、1990年、東京の寺田倉庫でのインスタレーション「エンバー・グラス」に、武満は来場したのである。

 その後のことは同書を参照していただきたいが、日本のロック関係の評論家が全く触れえなかった現代音楽からの影響を、シルヴィアンは告白している。「カンファ」の13曲目と14曲目は、いずれも、武満の特徴でもある、音自身の浮遊感(詩人の大岡信が非常に的確な表現を使って述べていたが)、無調の世界における調和感を、シルヴィアンなりに再構成しようと試みているものであろう。2曲とも、明確な調性はない。長調でもなければ短調でもない。聴き方によってはフリー・ジャズ、あるいは、ドイツのFree Music Productionなどヨーロッパの前衛音楽の影響も感じられるが、暴力性のないこと、速さを感じられないこと、などの点は、フリー・ジャズなどと決定的に異なる。また、同じ現代音楽でもスティーヴ・ライヒ(Steve Reich)やテリー・ライリー(Tery Lilly)、ジョン・ケージ(John Cage)とは違う。やはり、武満の世界に近いのである。このことは、ヴァージンを離れてからの最初のソロ・アルバムである「ブレミッシュ」(Blemish)にも感じられる。

 シルヴィアンには、もう一枚、私が傑作と考えているものがある。残念ながらあまり話題にならない「アプローチング・サイレンス」である。私は、2003年6月、たまたま寄った小倉駅構内の中古レコード屋で入手したが、ここまでアンビエント色が強い作品も珍しい。或る意味でイーノを超えている。いや、アンビエントと評価してはならないのかもしれない。シルヴィアンとイーノとでは、目的やスタンスが違うような気がしてならないからである。

 いずれにしても、「カンファ」は傑作中の傑作であると思う。もっとも、一般的にこのようなアルバムは受けが悪いということも承知している。しかし、結局のところ、音楽を気に入るか入らないかは、聴く個人の感覚に委ねられる(そういう部分が大きい)。好みを論理的に説明しようとすることは無理であろう。ただ、私は、巷に流れる音楽、テレビ番組や民放FM局の番組の笑い声、山手線の発車サイン音などで精神的に疲れることが多いため、「カンファ」や「アプローチング・サイレンス」などを聴くのだ、と記しておこう。

                                                                                           〔2006年4月19日掲載/2006年11月14日修正〕


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