ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

阪急梅田駅にて(2003年6月7日)

2014年03月25日 10時56分17秒 | 写真

 昨年、学会報告のために京都へ行きましたが、ここ何年間か、大阪を訪れていません。4年ほど前に神戸に行った際にも、大阪を通過してしまいましたので、今年は行こうか、などと思っています。それで、また、過去に「待合室」に載せた記事の再掲載をします。今回は、第65回として2003年9月6日から12日まで掲載したものを、一部修正の上でお届けします。

 2003年6月7日、或る研究会に出席するために京都へ行きました。前年の11月下旬以来、約7か月ぶりのことです。

 2002年11月に訪れた際には、大分駅から寝台特急彗星号に乗りました。大分駅を21時台に発車し、終点の京都駅には朝8時頃に到着するので、街を歩くにはよいだろうと思ったのです。ただ、慣れていないからなのか、十分な睡眠をとることができなかったことを覚えています。そこで、2003年6月7日には、大分駅から小倉駅までは特急「ソニック」20号に乗り、小倉駅から新大阪駅までは「ひかり」370号に乗りました。大阪の梅田にでも寄ろうかと思ったからです。また、京都での会場が阪急京都線の烏丸駅に近いことから、約14年3か月ぶりに阪急京都線を使おうと思い、阪急梅田駅に向かいました。

 まだ時間に余裕があったので、この写真の電車で河原町(京都の中心街に最も近い駅)まで行きました。写真ではわかりにくいかもしれませんが、阪急電車の塗装は本当に美しいのです。特急用としては、6300系という、ローレル賞を受賞した2扉車もありました。

 隣のホームに停まっていた急行電車です。もっとも、以前私が乗った時に比べると、特急も急行も停車駅が増えました。たしか、約14年3か月前に特急に乗った時には、梅田を出発すると十三(じゅうそう)、大宮、烏丸、河原町の順だったと記憶しています。2003年6月7日の時点では、特急が梅田→十三→茨木市→高槻市→長岡天神→桂→烏丸→河原町の順で、急行は梅田→十三→淡路→南茨木→茨木市→高槻市→その先は各駅に停車、となっていました。ちなみに、現在、阪急京都線には急行という種別がありません。

 どうでもいいことですが、特急の方向幕に比べて、急行の方向幕は少々寂しい感じがします。東急東横線や田園都市線のような色彩が望まれるところです。

 奥の電車は阪急の原点である宝塚線(箕面有馬電気軌道として開業)の特急です。あの宝塚歌劇団も阪急系で、元はと言えば、この宝塚線の増客策として行われた事業の一つで、宝塚唱歌隊として1913(大正2)年に創設されました。宝塚音楽歌劇学校が開設されたのは1919(大正8)年のことです。こうした多角経営は、箕面有馬電気軌道が先鞭を付けたもので、東京急行電鉄(戦前の目黒蒲田電鉄)などにも影響を与えました。なお、箕面有馬電気軌道は、1918(大正7)年に阪神急行電鉄と改称しています。

 京都線は、元々が新京阪鉄道で、名前の通り京阪電気鉄道系でした。戦時中に京阪と阪神急行電鉄が合併し、京阪神急行電鉄となりました。戦後に再び分離したのですが、新京阪鉄道(京都線と嵐山線)は京阪ではなく、京阪神急行電鉄の路線となりました。1973(昭和48)年に、現在の阪急電鉄となります。

 阪急の路線図を見ればすぐにわかりますが、主要路線である京都線、宝塚線、そして神戸線(写真の手前から奥への順)は、JR大阪駅に連絡する梅田駅から出発します。そして、十三まで三路線が併走するのです。そのため、阪急梅田駅は、私鉄の起点駅としては相当に大きな規模です。これに匹敵するのは、小田急の新宿駅でしょうか。

 関西、というより阪神地区をみると、阪急の沿線に大学が多いことがわかります(例、大阪大学、神戸大学、関西大学、関西学院大学、大阪経済大学)。そのため、私の場合、関西の大手私鉄で最も利用する機会が多いのは阪急なのです。しかし、神戸線・神戸高速線の六甲~新開地、今津線全線、甲陽線全線および箕面線全線を利用したことがありません。阪神地区の御屋敷街という場所も歩いてみたいので、今年こそは大阪へ行こう、と考えています。


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