〔「待合室」に、2007年9月13日(第228回)、2007年9月20日(第229回)、2007年9月27日(第230回)、2007年12月6日(第241回)、2008年1月7日(第246回)、および2008年1月15日(第247回)掲載。2008年10月27日、統合および一部修正の上で、別室13として再掲載。2010年10月17日、別室12へ移行。2010年11月28日掲載終了。〕
(以下は、2007年9月13日に第228回として掲載したものです。なお、一部修正を施しています。)
2004年3月下旬に大分大学を離れ、4月に大東文化大学法学部に着任しました。しかし、その年の8月下旬に西南学院大学法学部の集中講義「税法」を担当しており、それ以来、毎年1回、大体10日間前後を福岡市で過ごしています。2007年は8月と9月の2回、福岡市で仕事をしました。
その度に、福岡県内の各地を列車で周ったりしています。2004年には佐賀県唐津市を訪れたこともあります。不思議なもので、大分大学に着任するまで一度も九州を訪れたことがないにもかかわらず、しかも九州を離れて3年以上が経つにもかかわらず、福岡をはじめとして九州各地を訪れることを楽しみにしています。単に、7年間も大分市に住んでいたためではないでしょう。九州に何かがあるから、ということなのでしょう。とくに福岡ですと、福岡市内であれば天神、薬院、西新(西南学院大学の所在地ですから当然なのですが)、藤崎、大橋、福岡市内ではないのですが二日市など、滞在時に必ず訪れる街があります。
こうして、毎年のように福岡市、さらに福岡県に滞在している私ですが、しばらく大分県に行っていません。2004年12月下旬に、やはり集中講義のために大分市を訪れていますが、それ以来、大分県のことはどこかで気になっていながらも、2年以上、足を踏み入れたことがありません。そこで「時間があれば今年は大分県のどこかにも行ってみよう」と思いました。飛行機とホテルの予約などをして少しずつ準備を進める中、6月末日に或る新聞記事を読み、「日田へ行ってみよう」という気になりました。サテライト日田問題に取り組んでいた、という理由もあります。今どうなっているかを知りたいという気持ちもありました。
そうと決まれば、あとは天神または博多からどのようなルートで行けばよいかを、時刻表などで調べればよいだけです。複数のルートを割り出し、福岡入りの日程を決め、日田へ行く日を決めました。ホテルでの起床時間と体調によって最終的なルートを決めればよい、というところまで進めました。
福岡から日田に行くには、博多駅から特急「ゆふ」もしくは「ゆふいんの森」に乗る、または天神バスセンターから日田バスセンターまでのバスに乗る、というのが通常の方法です。しかし、この日、私はいずれの方法も採らず、天神バスセンターから田川後藤寺までは西鉄バスに乗り、田川後藤寺から日田までは日田彦山線に乗るという、考えようによっては危険な方法を採りました。バスの運行時間は道路事情などに左右されますし、日田彦山線のこの区間はとくに本数が少ないので、接続がうまくいかないと田川後藤寺で2時間も3時間も待たされかねないのです。地下鉄→篠栗線・筑豊本線→後藤寺線乗り継ぎという手段もあり、当初はこの方法で行くつもりでしたが、乗り換えの回数が多いということと、あまり眠ることができないままに朝を迎えたために列車では乗り過ごす危険性があるということで、天神から田川後藤寺までは西鉄の高速バスで行くこととしました。ちなみに、私は九州に住んでいたことがあるにもかかわらず、これまで高速バスに乗ったことがなかったのでした。
天神バスセンターを出発した後藤寺バスセンター行のバスは、時刻表に書かれていた予定時刻より20分ほど遅れて後藤寺バスセンターに到着しました。予定時刻どおりであれば田川後藤寺駅前で30分ほど時間をつぶさなければならないのですが、おそらくそうはならないだろうと予想していました。後藤寺バスセンターから田川後藤寺駅までは、徒歩で2分もかかるかかからないかの距離ですが、私が乗ったバスの次のバスであれば列車に間に合わなかった可能性が高かったのでした。そうなると、30分どころか、3時間以上、田川後藤寺駅で時間をつぶさなければならないというところです。何度かここを訪れていますが、私には、とてもではないが3時間も時間をつぶすだけの能力がありません。おそらく、また時刻表をみて、日田彦山線で小倉へ行くか、後藤寺線で新飯塚へ行くでしょう。
田川後藤寺駅に到着すると、目当ての日田彦山線日田行が止まっていました。上の写真がそれです。大分車両センターに所属するキハ125で、私が大分に住んでいた時には豊肥本線と久大本線で何度も乗っています。完全にワンマン運転に対応した車両で、豊肥本線、久大本線の他には唐津線と筑肥線の山本~伊万里で見ることができます。日田彦山線では、本数の少ない田川後藤寺~日田で見ることができます。
実は、この列車に乗りたいがために、天神でのバスの時刻、博多駅からの乗り継ぎなどを調べました。10時17分発を逃すと、日田行は13時28分発までないのです。その間に添田行が来ますが、それに乗っても日田には行けません。
福岡県および大分県の鉄道路線のうちで私がまだ利用したことがなかったのが、日田彦山線の田川後藤寺~夜明でした。この区間の近くを車で通ったことはありますので、大体、どういう場所なのかは見当がついています。山の中を走るローカル線には何とも言えない魅力を感じるので、この列車に乗って日田に入りたかったのでした。
予想よりお客は多く、20人くらいを乗せて、キハ125は発車しました。と言いたいところですが、初老の男性が、先ほどまで乗っていた小倉発田川後藤寺行の列車の中に帽子を忘れたということで、発車した瞬間にブレーキがかかりました。首都圏であれば、こんなことはありえませんが、その乗客は列車を降りて帽子を探し出し、戻ってきたのです。そんなことで、少々遅れて出発となりました。20人くらいとはいえ、結構にぎやかでした。
添田までは比較的住宅も多く、盆地のような所を結構なスピードで走っていきますが、豊前桝田からは車窓に山が迫ってきます。杉林などが多いのですが、倒木が目立ちました。大雨の影響でしょう。
有名な英彦山の入口である彦山駅で、何人かの客が降りていきます。無人駅ですが、登山口というだけあって意外に立派な駅でした。
英彦山も彦山も「ひこさん」と読みます。山のほうは英彦山と書きます。標高は1200メートルで、福岡県では2番目に高い山です(1番目は、日田市との境にある釈迦岳で、ここは大分県内の天気予報では雨量で必ず登場するくらい、雨の多い所です)。耶馬溪から英彦山にかけては国定公園に指定されています。「こんな所に小さな家でも建てて、夏の間だけでも住んでみたい」と思わせるような場所でした。ただ、生活には厳しい場所かもしれません。
さらに山が迫り、釈迦岳トンネルに入ります。このトンネルは4キロメートル以上もあります。わずかに、篠栗線の篠栗トンネルより短いのですが、ディーゼルカーがエンジンを唸らせたりするので、かなり長く感じます。東急東横線なら渋谷~学芸大学に相当する距離です。
釈迦岳トンネルを出ると筑前岩屋駅で、その次が大行司駅、そして、上の写真、宝珠山駅です。11時過ぎに到着しました。キハ125の中から写したので、変な色調になっています。
この駅は、一応、福岡県朝倉郡東峰村にあることとなっています(かつて、ここは宝珠山村でしたが、2005年3月に小石原村と対等合併しています)。一応、と記したのは、たしかに駅舎は東峰村にあるのですが、ホームの一部が大分県日田市にあるからです。この写真は福岡県側を撮影したものですが、少しばかり右に行けば大分県日田市で、境界標も立っています。キハ125は福岡県側に停車しますので、列車がこの駅を出発すると、すぐに大分県に入る訳です。なお、添田駅を出ると、そこから先は全て無人駅です。
こうして、私は大分県日田市に入りました。2003年8月下旬以来、およそ4年ぶりのことでした。大分県に入ったのも、およそ2年9ヶ月ぶりのことです。列車は大鶴駅、今山駅を通り、大分自動車道の立派な橋を上に見つつ、左に大きくカーブを切り、夜明駅に到着します。この駅も無人駅です。夜明が日田彦山線の終点ですが、列車は久大本線に入って日田まで走ります。夜明から日田までは、大分大学時代に特急ゆふ号で通ったことがあります。
ほぼ定刻に、キハ125は日田駅3番線に到着しました。日田駅を利用したのはおよそ5年ぶりのことです。大分市から90キロメートルほど離れているとはいえ、同じ大分県の市です。目指す所がありますので、改札口を出て、駅前に立ってみました。これだけの規模の駅ですから、勿論、有人駅です。しかし、日田市にある有人駅は、合併前はここだけでしたし、合併後もここと天ヶ瀬くらいではないでしょうか。
このホームページ(注:「川崎高津公法研究室」)に、2002年8月19日、当時の湯布院町の中央公民館で行った講演の草稿を掲載していますが、その日の午前中に、サテライト日田関係訴訟の件などのために日田市を訪れています。大分駅から特急ゆふ2号に乗って日田に行きました。そして、サテライト日田関係訴訟のうち、日田市対別府市訴訟を担当された弁護士の方の事務所にお邪魔し、お話をうかがったりしていました。それから、九州をはじめとして人気のある、緑色の芋虫のような形をした特急ゆふいんの森号に乗り、列車の中で昼食を済ませ、由布院駅で降りて会場に行き、仕事をさせていただきました。
日田と言えば水郷(関東地方では「すいごう」と読みますが、九州では「すいきょう」と読むことが多いようです)、天領、温泉です。とくに、私にとってはやはり天領という言葉が日田のイメージに合います。ここは江戸時代に幕府の直轄地で、九州地方における金融の中心地でもあったのです。 今でも、淡窓から豆田にかけて、当時の面影が残っています。最近では、私が大分大学に勤務していた頃に操業を開始したビール工場でしょうか。勿論、全国的に有名になった日田天領水を忘れてはなりません (実は飲んだことがありません)。
ただ、日田市というと、大分県に住んでいたことのある私でも、大分市、別府市、臼杵市、佐伯市、竹田市などとはかなり違う印象を受けます。中津市と宇佐市は豊前の領域にありますから、豊後の領域とは少々雰囲気が異なります。日田市は豊後の領域ですが、駅前などを歩いていると、豊後の領域にある他の市町村とは空気などが違うような気がするのです。町並みから受ける印象のためなのかもしれません。
以前から何度も書いていますが、私は温泉にあまり興味も関心もありません。大分県に住んでいた7年間でも、友人が大分に来た時などでなければ、温泉に行ったことはほとんどありません。近くを通ったりしたことは何度もありますが、わざわざ入浴していこうという気にならないのです。そのため、日田温泉も、三隅川(筑後川)の近くにあるということは知っていますし、そばを何度か通っていますが、入ったことはないのです。
平成の大合併で、日田市は日田郡の各町村を併合し、かなり大きな面積の市となりました。そのため、日田市で有名な温泉として天瀬温泉が加わりました。かつての天瀬町です。この他、日田郡には、2002年のワールドカップの際にカメルーンのチームが合宿所とした中津江村(鯛生金山でも有名)、一村一品運動(今の宮崎県がやっていることは、私から見れば大分県のこの運動の別ヴァージョンのようなものです)の原型となる運動を展開していた大山町、子ほめ条例を制定した前津江村、熊本県との県境にあり、オートパークなどがある上津江村といった個性的な町村がありました。こうした地域をどのように生かしていくかが、今後の日田市の課題であるかもしれません。
日田駅前の通りです。これを見ると、大分県内でも日田市は独特の雰囲気を持っているということが理解できます。大分市はともあれ、首都圏の郊外、とくに私鉄の駅前を思い起こさせるような駅前の風景は、この日田駅にしかないのです。
日田駅前から南のほう、日田市中央のほうに伸びる通りの歩道です。ここだけ切り取ると、大分県の風景とは思えません。首都圏の私鉄、あるいはJR中央本線のどこかの駅を参考にしてこのような街並みにしたのでしょうか。あるいは、地理的に見て、福岡県内の西鉄天神大牟田線のどこかの駅、福岡市内のどこかを参考にしたのでしょうか。そうとしか思えないほどです。正確にどこに似ているとは記すことができないのですが。
今度は車道です。このあたりは、何度も私の愛車で通っていますし、歩いてもいます。その時とあまり変化がないことに気付きました。これは、悪い意味ではありません。あまりに変化が激しいと戸惑いますし、変化することが良いものとは限りません。
撮影したのは、9月4日の午前中、と言ってもあと少しで正午という時間です。
関東地方では見かけなくなりましたが、大分県内ではまだまだ現役の円筒型郵便ポストです。日田駅前交差点の西南側に、九州では一般的なスーパーマーケットであるサンリブがあります。そのそばにこのポストがあります。いつまで役目を果たし続けるのでしょうか。
ここからタクシーに乗り、目的地の一つに向かいます。
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